5 オフィール
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「これは嫌いか。ピヨの好みはよく分からんな」
──まっず!
デライラはテントの中で簡易ベッドに寝ころびながら、ライラックに野菜の切れ端をやっている。その野菜は気に入らなかったようでライラックは「まっず!」という悪態を私にしか聞こえない声で叫びながら、ぺっぺっと吐き出した。デライラには「ピィピィ」と鳴いているようにしか聞こえないだろう。
「冬の間はそんな贅沢言っていられないからな、ピヨ。まぁ王都で好きな野菜を見つけて食べ散らかすといい。こんなに急激に赤く大きくなったから好き嫌いが激しいのか? ん? 前は黄色くてもっと小さかったのに」
──こいつ、ずっとピヨって呼ぶ! これほんとまじぃ! 好き嫌い激しいんじゃなくて舌が肥えてるんだよ! 前の聖人がうまいもんばっかり食わせるから!
寝ころんだデライラは仕方ないなと言うように、ピヨことライラックをガシガシ撫でる。
ライラックは文句を言いながらも満更でもないようで撫でられている。
これは一体、どういう状況だろうか。前の聖人? そうか、不死鳥はその名の通り死なないから……でもライラックは、最初はヒヨコだったよな?
「なんだ、オフィも撫でられたいのか」
自分はどんな表情をしていたのか。
寝そべったままのデライラが手招きするので簡易ベッドに腰掛ける。
──聖人……お前、覚醒が遅かった上に恋愛までポンコツとは……。
ライラックは失礼なことを言いながら見てらんねぇと言いたげにテントの隅に飛び去った。とても不死鳥とは思えない餌の食べ方と態度だ。
「いや、そうじゃなくて……王都に向かっているのに平和だなって錯覚して……」
「エストラーダ領では情報が入るのも遅いし限りがある。これからは雪が降ってあちらは攻め込んではこないだろうが、それではいたずらに戦の準備期間を与えるだけだ。雪が解けて攻め込まれるのも嫌だし、そもそもあいつらに備蓄の食料を割くのは厳しいから復讐をネタに早急にお帰り頂く必要がある」
あいつらというのは国王軍のことだ。
エストラーダの冬は厳しい。
今年は備蓄を大量にできたが、爆発に巻き込まれて助けた国王軍がエストラーダに居座る場合はその全てを賄うことはできない。国王軍の指揮官を始め、殺されかけたのが分かった兵士たちはデライラが号令をかけない限り帰りたがらなかったのだ。
テオドールにエストラーダを任せて、国王軍の生き残りと動ける兵士すべてとエストラーダの精鋭だけを連れて王都に向かっている最中である。
「大体、エストラーダの冬は魔物も出ないから家に籠ってゆっくり過ごせる唯一の時。それをよく分からん悪魔対策に邪魔されるのは本意ではないだろう」
「……私が、逃げずにきちんと向き合っていればこんなことにならなかっただろうか」
父に回復魔法をかけていれば、大神官がこの国にやってくるようなことはなかったかもしれない。王妃と異母弟から逃げ回っていなければ、今のような事態にはなっていなかったかもしれない。
俯いた私の顎をデライラはがしっと掴む。
「へあいら?」
彼女に呼びかけたが変な音になった。テントの隅でライラックがブフッと吹き出しそうになったのを必死になって翼で押さえている。本当に不死鳥らしくない。不死鳥らしいというのもどんなのかは分からないが。
「問題ない。私の夫が大人気でいろいろなところに奪われそうになるのを私は阻止するだけだ。この前はセルヴァの裏切りで聖国に奪われそうになり、今回は悪魔か。ドラゴンと悪魔はどちらが強いと思う?」
デライラは寝そべったまま、顎から後頭部に手を移動させて私を引き寄せる。
ちょっと普通の夫婦とは違うんじゃないだろうか、これは。
慌てて彼女にぶつからないように両手をベッドにつく。見ようによっては私がデライラを押し倒しているようだが、逆だ。
「なんだ、好戦的な妻は嫌いなのか?」
「違うよ……ただ、竜殺しじゃなくて悪魔殺しだから……不安で」
「私は一人ではないし、召喚できるなら倒すこともできるはずだ。でないと、召喚しても悪魔が暴れて困るだけだろうしな。きっと何らかの制約があるはずだ。もちろん、杞憂であればそれでいい。情報が入ってこない今、私たちはまず王都に行かないといけない。国王軍にもさっさとお帰り頂かないとな」
デライラは私の後頭部に置いていた手を放してから、今度は私の長い金髪でくるくると遊ぶ。
「どうして、悪魔なんて召喚しようと思うんだろうか」
「不遇な時ほど自分だけの神を求めて人間は何にでも縋るものだ」
デライラの口から神という言葉が出るのは意外だった。彼女はそんなものに縋っていないように見えたから。彼女の紫の目が弱気になったのを私は見たことがあるだろうか。セルヴァの裏切りを知って、反逆を決めた夜くらいだろうか。
意外そうに瞬きをしたのが伝わったのだろう。
「私はドラゴンと向かい合ったらさすがに何かに祈る暇はなかった。ただ、自分の力と仲間に縋るしかなかった。そうでない人間は神や、あるいは神に縋ってダメなら悪魔にでも縋るだろうな」
「私は……君に縋ってばかりだ」
「私はいいと言っている。だって、私の夫だろう?」
デライラは悪魔がいるかもしれない王都に向かっているというのに面白そうに笑って、私の金髪を口元まで持って行った。
「死ぬ時に一緒なら私は怖くない」
「そこは頑張って長生きしようよ……」
「それもそうだな、オフィはエストラーダの冬は未経験だろう。すくみあがるほど寒いから覚悟しておくといい」
私の金髪をとうとう口に含んでいるデライラを見て妙な気分になった。彼女が死ぬつもりはないのは分かっている。でも、やっぱり不安は拭えなかった。大丈夫だと思いたかった。成り行きに任せていたら王都に向かうことになっていたが、あまりに目まぐるしくて何かに操られているような気もする。
「生きて帰ろう、エストラーダに。死なせないから」
「そのセリフもなかなか夫らしくていい」
デライラは笑いながら私を引き寄せた。私もそれに抗わなかった。
「焦げ臭いな。王都はいつもこんなに焦げ臭いのか」
「そんなに臭う?」
「あぁ、おかしいほど焦げた臭いがする」
王都が見えるほど近づくと、デライラの言っていることがよく分かった。火事でもあったのかというほど焦げ臭い。
「おかしいほど人が少ないです。そしてどうやら貧民街で大規模な火災があったようで……そのせいかもしれません」
先に王都に偵察に向かった国王軍の兵士がそう報告してくる。
私の脳裏に最悪の可能性がよぎった。
「まさか……貧民街を焼き討ちにして住人を生贄にしたんじゃ……」
「そうかもな。王都の貧民街の規模は大きいだろう? 我々の被害が少なかったからそちらから補充したのかもしれないな」
ライナーたちや国王軍の兵士たちは難しい顔をして戦略を話し合っている。
どこへ行っていたのか分からなかったライラックがいつの間にか戻ってきて、無遠慮にガッと私の肩を掴むように留まった。
──聖人。やっぱり今回もだ。隣国の王子の件と反逆で終わったのかと思っていたが。
「え? 何の話?」
──平和な世に聖人なんて要ると思うか? 聖人がこの地上に押し付けられたということはすなわち、反対の存在もいるわけだ。
意味が分からず、肩に乗るライラックを凝視した。
しかし、ライラックは野菜が気に入らない時とは違って眼光鋭く見つめ返してきた。
──ほら、あれを見ろ。
ライラックの動きに釣られて見ると、王都の上にどこから現れたのか黒い雲がかかり始めたところだった。周りはよく晴れているはずなのに。
その不穏な雲にじわじわと抑え込んだはずの不安がせり上がってくる。
──始まるぞ。運命は最もふさわしい場所にお前を運んできたのだ。
思わず、デライラを見る。デライラにはライラックの声が聞こえていないはずなのに、厳しい表情でその雲を見上げていた。
第五章はこれで終わりです。




