2 デライラ
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夫の目撃情報を辿って行き着いた先は祭りの二日目に行った丘の上だった。
まだ一週間ほどしか経っていないのに、祭りが遠い昔のように感じる。
夫は大きなナラの木の下に座り込んでいる。赤い鳥になったピヨがギャアギャア喚いているし、夫の見事な金髪は日光の元ではかなり目立つ。
少し離れた場所でロイドが死んだように眠っているのも見えた。情報整理に彼は必要だが、休ませてやらないといけないだろう。
私の姿は見えているはずなのに、夫はぼんやりしたままだった。疲れているだけなら夫はこうはならない。何か思う所があってここに来たということだ。
「どうした。嫌になったのか?」
私の接近に気付いていなかったらしい夫は、私がしゃがんで顔を覗き込むとぎょっとして木の幹に頭を酷く打ち付けた。
ピヨは私を見るとやれやれと言わんばかりに飛び去って行った。
「エストラーダも地獄だったか?」
「違うよ……」
夫は頭を打って涙目になりながらも否定した。
「では、どうした。なぜそんな情けない顔をして呆けている? 王都では悪魔が召喚されそうだぞ?」
悪魔に生贄を捧げるということは、悪魔召喚を行うということだ。
ただ、夫がかなり回復魔法を使ったので絶命した人数は予想よりは少ない。
「王都で何が起きているか、本当のところは分からないがな。相手の指揮官に話を聞いているし、ロイドも起き次第また情報を集めてもらわねばならない。聖国の大神官も関わっているようだし。こちらとしてももう一度攻め込まれたら困るから対策を立てないと」
「なんで……デライラは平気なんだ?」
夫は泣きそうになりながら掠れた声を出した。よく見れば、頭をかきむしったのだろう。艶々の髪がやや乱れている。
「私のせいで……あんなに人が死んだ」
「オフィのせいではない。国王や王妃、いや王太后になるのか? そのせいだ」
「足が引きちぎれた者も……腹が抉れている者も……見た」
「そうだな。でも、オフィは治しただろ」
「治したらいいというものじゃない。セルヴァの言っていたことがよく分かった……あんなおぞましいことを……あんなことを……私の身柄さえ渡していればこんなことには」
「それはないな。向こうはあれだけ準備して来ているんだ。ここで何人殺して生贄にするかによってどんな悪魔が召喚されるか決まるんだろう」
夫は私の言葉を聞きたくないとばかりに、両耳を塞ぐ。
「人はいつか死ぬ。魔物に食われて死ぬか、爆薬で粉々に吹き飛ばされて死ぬか、老衰で死ぬか。どれでも結局一緒だ。死に方は選べない」
「……一緒じゃない。あんな死に方、していいわけ……一緒なわけない」
人間の死体をあれだけ見たらショックなのだろう。死体でなくとも怪我の状態も酷かっただろうから、初見ではショック状態にもなる。私は敢えて何も言わずにしばらく放っておいた。
夫の震えが落ち着いた頃に声をかける。
「私の夫は聖人ではなく、聖女だったのか? とんだタマなし野郎だな」
夫の目線に合わせてしゃがんでいたが、私は立ち上がる。夫の縋るような視線が追いかけてきた。
「誰も人を殺したくて戦場に立っていない。愛する者を、そしてこの地を守るためだ。大切な者に恐ろしい思いをさせないためだ。誰が人を殺したいと思う? 我々は喜んで人を殺しているとでも?」
「デライラは……先頭に立って傷ついてるじゃないか。」
「それはすでに覚悟していることだろう?」
「してたつもりだった……でも、実際に見ると怖い。怖くてたまらないんだ。どうしてこんな醜い争いが起こってるのか……正しさなんてどこにもないんじゃないかって思うんだ。どうしてこんなに愚かなことを私たちはしているんだ? どうして争いなんて……」
「向こうが私からそなたを奪おうとしてくるからだ。だから戦っている」
夫を見下ろすと、驚いたのか自身の膝あたりをぎゅっと握る手が目に入った。
「……エストラーダのためじゃ……皆に向けてそう言っていた」
「それもあるが、一番は私の夫を奪われないためだ。妻が夫のために戦うのは当たり前だろう」
夫は私が何を言っているのか分からないとばかりに目をぱちくりさせている。
「結果など誰にも分からん。だが、私は決めたぞ」
王都の正確な状況はまだ分からない。
悪魔召喚か、聖国の大神官がどうして絡んでいるのか。果たしてそれは本当に大神官なのか。何も分からない。だが一つだけ分かっていることは、このままでは夫が殺されるか奪われるかするということ。
「私はそなたを奪われないため、守るために国王に反逆する。というか、もうしている。そなたの敵は私が全部殺す。もう後には引けない、立ち止まることもしない。この選択がエストラーダの未来を決めようとも」
夫が顔を伏せたので、私は再度しゃがもうとしてやめた。
「オフィはどうする? 今、ここで決めろ」
アステアの第二王子が魔法で魔の森に火をつけた時、私は死を覚悟した。でも、死にたくないと思ってしまった。勇敢にエストラーダを守って死ぬことが最善だと分かっていたのに。
軟弱な母のために生きていたような父を蔑んでいた時もあったのに。父は、きっとあの時が一番強かったのだ。母のいる城に帰ると決めて生きていた時が最も。
「私は、祭りの日にここでキスできなかったのを残念に思っていたが」
「あ……えと……」
夫は目を盛大に逸らしながらも顔をやっと上げた。
「アステアの第二王子に魔の森を燃やされかけて後悔した。あの日、キスしてから聞いておけば良かった。私と一緒に死んでくれるのかと。私はオフィのために命を懸けるからと」
夫と相変わらず目は合わないが、座り込んだままの彼の顔は真っ赤だ。
「まだ立てないのか? 私のプロポーズを断るほどタマなしなのか?」
結婚しているのにプロポーズというのもおかしな話だった。
しかし、夫は顔を赤らめたまま慌てて立ち上がった。太もものあたりを強く握りしめたままだ。
「私は……」
「うん?」
「私は、デライラと一緒にいたいだけなのに。一緒に安心して暮らしていけたらいいだけなのに、そんなことも叶わないのかと思って……」
「全部殺してから叶えればいい。どうせそなたが生きている限りあいつらは付きまとうのだろう。エストラーダに押し付けた後もそうなのだから存在自体が気に食わないはずだ。それか、一緒に逃げるか?」
私らしくない逃亡の問いに夫は一瞬だけ考えたようだった。
「デライラはエストラーダを大事にしているのだから……逃げてはいけない」
「では、私と共に戦うか? 間違っていたら一緒に死ぬか?」
「もちろん、そのつもりだけど……私はデライラの夫でいられればなんでもいいんだ」
夫はおずおずと私の方に手を伸ばしてくるので、両手を握った。
「私の願いは……君の夫としてずっと生きていくことなんだ。一緒に、なるべく長く」
「名に懸けて誓えるのか?」
笑いながら聞くと、夫は意味が分かったのか少し手を緊張させた。
両手を握ってまるで結婚の誓いのような言葉だ。
そして、夫の願いは言葉が違うものの私の願いとぴたりと一緒だった。
「オフィール……オフィール・エストラーダの名に懸けて、誓います」
婿入りしたから、夫の名前はエストラーダ姓である。たどたどしいのは名乗ったことがなかったからだろう。
私は笑って夫の手を引っ張ってキスをした。
途中からロイドが必死に寝たふりをしているのを気配で知っていたが無視した。そう、きっとこれは父の時と同じだ。ナラの木だけが私たちを見ていた。




