11 デライラ
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息を少し乱しながら離れる。
目の前には顔を赤くしてアワアワしている夫がいた。
あの世にいっても恥ずかしがり屋は変わらないのか。
ぼんやり見ていると、足に衝撃を感じる。
「ピィ!」
赤い鳥が私の足を自身の足で蹴っていた。
鍛えているので全く痛くない。しかし、蹴る動作と黒々とした目を見てハッと思い出した。
「ピヨか?」
「ピィ!」
はいと答えているのか、違うと主張しているのか。でも、蹴りの入れ方は完全にピヨだ。
蹴りを入れ続ける立派な赤い鳥を、剣を持ったまま捕まえて抱き上げる。
「可哀想に、お前もあんなに小さかったのに死んだのか。というかお前はヒヨコかニワトリだと思っていたが、種類の分からない赤い鳥だったのか。あの世にくると急成長するのか? それが本来の姿か?」
「ピィピィ!」
抱き上げたピヨらしき赤い鳥は、抱かれるのが嫌らしく身をよじって抜け出そうともがいている。
そんなに嫌がるならと下ろしてやると、今度は夫の足元まで行って足を蹴っている。今度は軽くジャンプしながら蹴りを入れていて夫は痛そうだ。
「わ、ライラック! 痛いってば! さっきも振り落としたんだしもう蹴らないで! え、あっうん」
なにやら夫は蹴られながら赤い鳥と意思疎通しているようだ。神妙な顔で頷くと近付いてきて、私の肩に刺さったままだった矢を抜いて回復魔法を使う。みるみるうちに淡い光に包まれて、火傷や傷が治っていく。
「死んだのだからもう魔法など使わなくても……」
「うっ」
夫は口に手を当てて顔をそらした。そんな夫を赤い鳥は容赦なく蹴り続けている。
「? 魔物の血で臭かったか?」
「いや……魔力切れで……」
そう言いながら夫はゲホゲホと咳き込んだ。
あの世でも怪我が痛くて、魔法も使えてしかも魔力切れまであるのか? まさか、私は……私たちは死んでいないのか? そんな都合のいいことがあっていいのか?
赤い鳥に蹴られ続けながらうずくまった夫の前にしゃがむ。
「き、汚いから……見ないで」
夫は私がぼんやりしている間に、魔力切れで吐いたようだった。
魔力切れにも段階がある。最初は眩暈がするらしい。それを無視して魔力を使っていると立っていられなくなり、やがて吐く。その場合はもう魔力を使えず、休む必要がある。
この夫は眩暈をずっと我慢していたのだろうか。
夫の汚れた口の周りをやや雑に私の汚れた服で拭う。
剣を収めてそのまま抱き上げて、焼けていない木の根元に寝かせた。
「私たちは死んでいないのか?」
「ピィ!」
しんどそうな夫の頬を撫でると、夫は頷いただけで返事をしたのはピヨだった。
「死んで、いない?」
私は立ち上がって呆然と周囲を見回した。消火はされたが焦げた臭いが新たに鼻をつく。
「これは現実なのか?」
「あ……セルヴァは……」
「サムエル! 私はサムエルを追う。あの王子の首を取る」
生きているなら、火が消えてドラゴン出現の危機が去ったなら、サムエルを追わねばならない。
「あ、それは多分……」
夫が何か言っていたが私は駆けだした。そしてすぐに立ち止まる。
人影が二つ向こうに見えたからだ。といっても、一人がもう一人を引きずっている。
「テオドール……」
兄の姿を認めて、私は自然と警戒して剣に手をかける。兄が敵なのかそうでないのかまだ私には確信が持てていない。
兄がサムエルを引きずりながら、ふらつきつつこちらに向かってきていた。
「デライラ、大丈夫。テオドールも私と一緒に来たから……途中でライラックに振り落とされたけど……サムエルを見かけて……」
「は? オフィ、どういうことだ」
さっきから振り落とされたとか言っていたがどういうことだ。兄と一緒に来たって? 確かに、この夫が魔の森のここまで一人で来れるはずがない。
私の疑問をよそに夫は赤い鳥に手を伸ばそうとしてまた蹴られている。
「ライラック、お願い」
「ピィ!」
「頼むよ。散々マズそうって言ったサムエルのこと嫌いなのは分かるけど……」
「ピィピィ!」
「この地をずっと守ってきた彼に死んでほしくないんだ。お願い」
ピィピィとしか鳴いていないようだが、夫と赤い鳥は何やら意思疎通をして赤い鳥は本当に不服そうに舞い上がった。
鳥のわりに表情が豊かである。
そのやり取りの間に兄はズルズルと音を立てて近付いてきていた。
片手でサムエルを引きずり、もう片手に剣ともう一つ何かを持っている。兄の右手に見覚えのある赤毛が見えた時、私はやっと彼が何をしてきたのか悟って唇を引き結んだ。
赤い鳥が兄のところに舞い降りる。思わずといったように立ち止まった兄は驚いたように赤い鳥を見ていた。
兄は私から見ても冷静な人間だった。戦いの最中や魔の森では特に。そんな兄があれほど驚くのは珍しい。
赤い鳥は首を伸ばして頭部をふるふると振った。
そしてやたらと偉そうにもったいぶって歩くと、引きずられたサムエルの体にぐりぐりと頭をこすりつけた。
気のせいかもしれないが、赤い鳥の目から涙が一粒落ちたように見えた。
夫が使うような回復魔法の淡い光が瞬く。
その光を見て、私は剣の柄から手を離して兄とサムエルに駆け寄った。赤い鳥はまたもフンと言いたげな表情で舞い上がって夫の元に戻る。
サムエルの意識はないようだった。服に血がついていたので慌ててめくって確認する。ついている血の量のわりに外傷は何もなかった。背中の火傷まで消えている。
兄は手に持っていた赤毛の王子の首を放ると、サムエルをゆっくり地面に寝かせる。
「……王子をやったのか」
「あぁ」
兄との会話はそれだけで十分だった。
「ここに放っておけば魔物が食べるから、他国の王子でも証拠隠滅できる」
兄は夫と一緒にやって来て、サムエルを追ってあのエイデンという王子を討ち取ったようだった。
「まさか、本当に聖人だとは」
兄はふらつき剣を地面に突き刺してバランスを取る。今更気付いたが、兄の服にも血がべったりついていた。とても動けるような出血量ではないから夫が回復魔法を使ったのだろう。しかし、出血分まではすぐ回復しないから血が足りずにふらついているのだ。
「誰のことだ? 私の夫か?」
兄は灰色の目を気だるげに私に向ける。それは稽古で勝つまで相手をさせる聞き分けのない私によく向けていた目だった。
「近年、聖人の定義は強い回復魔法を使える者とされているらしいが……旧い聖典では不死鳥を従える人物が聖人と呼ばれている。デライラ、お前の夫は間違いなく聖人だ」
私は思わず夫の方を振り返る。
木に体を預けた夫は相変わらず赤い鳥にピィピィと文句を言われていた。
「デライラも見ただろう。不死鳥の涙はすべての傷を癒す。さっきサムエルの傷を癒したのは不死鳥の涙だ」
「従えているのか? あれは」
「その定義は分からん。だが……ライナーも回復魔法で無事だ」
「セルヴァは?」
「……死んだ」
「セルヴァは、私を裏切ったのか?」
聞きたくなどなかったし、信じたくなかった。あの王子の発言を信じる価値もなかった。
兄が笑い飛ばしてくれれば、この胸の不快感もどこかへ行くのに。
「誰かがアステアに情報を流していた。他国で俺にあの第二王子が接触してきた時、やたらとエストラーダに詳しくて情報が洩れすぎていると思った。だからエストラーダの誰かが裏切っていると推測してあの王子に付いていた。誰かまでは聖人の誘拐未遂を起こすまでは分からなかった。王子も口を滑らさなかったし、全員怪しかった」
喉の奥に黒く重い何かが押し込まれた気分だった。
兄の左手には火傷を隠すための手袋が嵌められたままだ。それがさらに私の気分を重くする。
兄は私の呪いを解きに行った先でスパイの存在に気付き、二重スパイをしながら戻ってきたのだ。
私はセルヴァの裏切りにも気付かなかったし、隣国の思惑も魔石の鉱脈の存在も知らなかった。
やっぱり、兄こそ辺境伯の座にふさわしいのか。
感情の処理が追い付かずに思わず夫の方をもう一度見た。夫は赤い鳥に蹴られながら私を見て、兄と和解したとでも思ったのか嬉しそうに口角を上げていた。
泣きそうになって唇を噛んで耐える。
彼の笑顔を見ただけでなぜか酷く安堵した自分がいた。
不死鳥を従えるのが聖人か。
彼は、私に押し付けられた黄金郷などではなかった。むしろ、エストラーダが押し付けられた黄金郷なのかもしれなかった。
第三章はこれで終了です。




