9 オフィール・デライラ
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眩しい。
周囲が全部白い。何も見えない。
白はあまり好きな色ではなかった。
城の壁が大体白で、母と一緒に与えられていた部屋の壁もこんな風に白だった。
部屋で毒を盛られて体調を崩して白い壁を眺めていた時ほど虚無を感じたことはない。でも、この白はなんだか柔らかな気がして虚無をそれほど感じなかった。
セルヴァを止めようとして「やめろ」と叫んでから一体何が起きているんだ?
見えない中で周囲を手で探る。縄はいつの間には焼き切れたように両手から頼りなくぶら下がっていた。
硬いしっかりした何かに当たる。でも、ペタペタ触ると柔らかい部分もある。
ロイドの腕や背中かと思ったが違うようだ。
何も見えないのでその何かに触れているうちに、だんだん光が一か所に収束していく。私の手元に。
――本当にお前は遅い。
「え?」
やっとまばゆさが落ち着きつつある周囲を見回すと、ロイドは意識がないものの無事であるようだった。
収束しようとしている光から視線を剥がした先では、私を連れて行こうと迎えに来たのだろう馬車が大きく燃えていた。
「み、水を!」
――ほっとけば消える。
さっきから聞こえるこの失礼な声はなんだろうか。馬車の中でも聞こえたはずだ。
乗せてこられた馬車を振り返ったが、そっちは燃えていなかった。
「あ、テオドールを!」
足の縄もいつの間にか焼き切れたようになっている。立ち上がって走ろうとして、何かに引っかかって転んだ。
足元を見ると、焼けただれたような……これは人だ。
――お前はお約束ばかりやるな。
どうしよう、この足元の火傷したようなピクリとも動かない人物はセルヴァかもしれない。そんな気がする。何が起きたか分からず震えながら、もう一つの燃えていない馬車を目指す。
震える足を叩きながら馬車の中をのぞくと、灰色の目とバチリと視線が合った。
先ほどまで死にかけて目を閉じかけていたテオドールがしっかりと瞬きした。胸から腹辺りまで斬られていたはずの傷が……綺麗になかった。
しかし、斬られていたのは本当のはずだ。だってテオドールが流した血はそのままある。
「一体、何が……」
――覚醒が遅い。このポンコツ。
バサバサと大きな羽音がして、肩がズシリと重くなる。
見覚えのある生意気で鋭いそれなのにクリクリとした目がすぐ近くにある。赤い大きな鳥が肩にとまっていた。
やたらと尾が長く、私の腰くらいまでそれは垂れている。
「……肩に赤い鳥……まさか……本当に……」
テオドールが呆然とそう呟き、私は首を傾げた。
***
ライナーには悪いが、彼をやや丁重に振り返りもせずに地面に放った。
死ぬなよ、私たちの父親みたいに。しぶとく生き残れ。
王子と後ろからワラワラと出てきた騎士たちを合わせた人数は三十ほど。王子の護衛についている手練れであったとしても私なら勝てる。全員、必ず殺してみせる。
片手で剣を握って騎士たちに応戦しながら、王子の動向を観察する。
さっき王子はおかしなことを口走った。魔石の鉱脈と。
魔石とは珍しい資源のことではなかったか。魔力の結晶体のようなイメージの。どこかの国では国全体を覆う結界維持のために魔石を使っていると聞いたことがある。
地下にあるというそれを狙ってこいつらは今日の祭りの日に水を差す真似をしたのか。
あの口振り。
そしてあちらの国から採掘するのではなく、ここまで手勢を連れてきているのを見ると……魔石の鉱脈が魔の森の地下を通ってエストラーダ領まで続いているということか。
採掘のために以前魔の森に火をつけたのか? それで父は死んで、兄は怪我を?
こいつらにとってエストラーダ領はまさに黄金郷というわけか。
私にとっては望み守っているけれども、父が死に兄が出て行って押し付けられた形の黄金郷だ。
押し付けられた黄金郷は夫以外にも存在した。
いや、押し付けられたのか? 本当に?
十人ほどの騎士を切り捨てたところで、名前も知らない隣国の王子の口から笑みが消えた。
「さすがは竜殺しだ」
「それはどうも。お前の名前も死ぬ前に聞いておこう」
「エイデン・アステア。第二王子だ」
スペアの第二王子か。魔石の鉱脈で王位継承争いでも絡んでいるのか。それならば、第二王子を害されたということで戦争になるかもしれないな。こいつを殺しただけで終わるだろうか。
それに、エイデンは「火」を意味する。嫌な名前だ。
「君の強さを舐めないで良かったよ」
「これだけ手勢を殺されておいて余裕だな」
「どうしてここにいたかは考えないのかい?」
情報をなんとか搾り取ろうと会話をしていたが、背筋が粟立つ嫌な感覚に思わず剣を握り直した。
エイデンが手を振ると、私の側の木が燃え上がった。
驚いて声も出せなかったが、考えるより先にその木を切り倒す。ついでに襲ってきた騎士も刺して炎の中に投げ入れた。
無風状態の今、燃えている木を切り倒しておけば火は広がらないだろう。しかし、私の手は魔の森が燃えることによって生じるドラゴンの出現を予想して小刻みに震えた。
燃える木を挟んで向かい合う。
「今のは魔法か?」
「魔法を使える者は世界で年々減っているとはいえ、一応王族だからね」
生活魔法や身体強化魔法は程度の差はあれど一般的だ。あとは小さな切り傷を治す回復魔法も実は多くの者が使える。
ただ、大きな火を起こしたり、枯渇した水源に水を呼び込んだり、夫のような回復魔法を使える者は希少である。そんな便利な魔法を使える者が多かったら、ドラゴンにも対処できるのに。
このエイデン・アステアはドラゴンに立ち向かえるほどの魔法の使い手なのか?
それならおかしい。なぜ、木を一本だけ焼くようなつまらないことをする? さっさと私に魔法で攻撃してくればいい。
「ドラゴンが現れたらお前たちも困るはずだ」
「ドラゴンはどちら側の国から火をつけてもエストラーダ領に突撃した。つまり、今回現れてもわが国に被害はない可能性が非常に高い」
「ドラゴンを倒す者がいなければ、そちらの国にも被害は出るはずだ」
「君も魔石の鉱脈の存在に気付いているのならなぜ採掘しない? ドラゴンは魔石の発するエネルギーに引き寄せられる。それならばこちらには被害はない」
露ほども考えていなかったことで少し呆然としかける。
エイデンが言っていることが間違いかもしれない。しかし、二度ドラゴンがこちらを襲ってきたのは事実。いや、たまたま二回ともドラゴンがこちらに向かってきただけではないか。
魔の森が魔物を生むのは当然だと思っていた。
黒い靄が発生してそこから魔物が出てくるというところまでは聞いたし、現場も見た。
ドラゴンだって空を突き破るように出て来た。まるで別の場所から転移でもして現れてきたかのように。
魔石の鉱脈のせいなのか?
それさえ採掘してうまく使えば、魔物の被害はないと? しかし、採掘しようとした途端ドラゴンがまた現れる可能性は? だって、魔の森を焼こうとしてドラゴンは出現したのだ。魔物を殺している間は全く出なかった。つまり、採掘も魔の森を焼くのと同じことでは?
騎士の一人が火矢を放とうとしているのを見て、すぐに私は動いた。
矢を叩き落とすが、すぐに他にも飛んでくる。切り捨てるのが間に合わず、捨てた片手で火矢を掴んだ。
肌を火が舐めて、焦げる臭いがする。
痛みも熱さもどうでも良かったのだが、この臭いにはどうしても慣れない。ネルソン村と父と兄を嫌でも思い出す。
「アステアに下るなら今のうちだ」
「言ったはずだ。タイプじゃないと」
「君のか弱い夫は死んでいるはずだけどね。それに、私は君の強さを舐めていないと言ったはずだ」
騎士が放った火矢をもう一度掴む。
それを見て、エイデンは口角を上げた。
「何を企んでいる?」
「そちらの王都にも偽の情報を流しておいた。テオドールが阻止していなければ、ここで君のか弱い夫が反乱を企てていることになっているよ」
「王都に今こちらに構う余裕などないはずだ」
「辺境は情報が入るのが遅い。いつの話なのかな、それは。王妃と王太子はすでに国王を殺して王太子が即位したけれど」
信じるな、嘘かもしれない。
そんな大きな知らせがこちらにまで来てないのはなぜか。起きていないのか、情報統制されたのか、王都で大混乱が起きているのか。
大混乱が起きているなら、今エイデンがこちらに来ているのも納得がいく。
そんなことを考えていると、私はある臭いを嗅ぎつけた。魔物の血と皮膚の焦げた臭いの先に。微かな油の臭い。
「やはり、竜殺しと交渉はできないようだ」
この王子は派手な魔法を使えるわけじゃない。使えても小さな火を起こせるだけ。
だが、この油の臭いは……。
ある可能性に到達して唇を噛んだ。この人数、そして油が撒かれている可能性。
自分の中の経験がはっきりと警鐘を鳴らす。この人数と戦いながら、森に火を付けられて燃え広がるのを阻止できないと。
頭では否定したいが、これまでの経験が紛れもなく無理だと言っている。
それでも私は無理矢理口角を上げた。
ドラゴンだって倒すのは不可能だと思ったじゃないか。ネルソン村の復興だって無理だと思った。でも、不可能だと思ったことはすべて実現した。私以外の人間の力によって。
その時向こうの最後尾の騎士が一人、不自然な行動をした。急に後ろを振り向いて倒れた。その騎士の背中には一本のナイフが刺さっている。
王子たちの注意が逸れた瞬間に私は踏み込んでいた。
サムエルまでは裏切っていないことを頭の片隅で願って。




