5 デライラ
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「なんでこんなにデカい魔物が、この時期にこんなところまで!」
「普通なら森の深部で冬眠に備えているはずなんだがなっ!」
何匹目かの魔物の背中に乗り上げて首の後ろを刺しながら私はライナーに大声で話しかけた。
大きな魔物は攻撃されると厄介であるが、的が大きく狙いやすくて楽だ。町に出て行かれたら被害が大きいので森で仕留めるしかない。
見張りがいたはずなのだが、気付いた時には大きな魔物が迫っていたらしい。なぜか見張りも酒を飲んでいた。ここ十年この時期に大きな魔物は出ていなかったから気の緩みも仕方がないのかもしれない。
しかし、最も気になるのはわざわざ見張りに酒を持って行った人物がいたということだ。櫓の上で寒い中見張るのが見張りの役目である。そこにわざわざ交代でもないのに登って行った者が目撃されているのだ。
使い物になる者たちを集めて森に入り、魔物を倒していく。
向こう側から白い靄か煙が漂ってくるのが見えて背筋が凍りかけた。ライナーも見えたらしく一瞬動きを止めている。
私は襲ってくる魔物に剣を突き刺しながら、大丈夫だと自分に言い聞かせて息を吸った。いくら吸い込んでも何かが燃えたような焦げた臭いがしない。そして煙だけで炎がいつまでたっても見えない。
誰の仕業だ。
何かを焚いて森の奥にいるはずの魔物を慌てさせて誘い出したのか。
「ライナー、分かるか」
「……囲まれてる」
木の上まで意識がいっていなかったが、どうやら敵はずっと待ち伏せしていたようだ。魔物との戦闘で私たちが疲弊するのを待っていたのか。
手近な木を斬りつけるのと同時に木の上から矢が降ってくる。斬りつけた木から何人か人が落ちてきたのでそれを盾にする。
こんなことなら魔物を殺さず、こちらに誘導すればよかった。
手近にのそのそと現れた人食いカピバラを引っ掴み、木の上に向かって投げる。
王妃の手先だろうか。
いや、この時期に魔物を間引くとよく知っているのは兄だ。魔の森にも精通しているじゃないか。これほどの兵をここに隠すという大胆な方法は、魔の森に入ったことのない部外者では思いつかないだろう。
それにロイドたちの集めた情報によれば、今の乱れた王都の状況では王妃はこれだけの兵をエストラーダに差し向けられないはず。
あるいは、兵士たちの中に裏切者がいるのか。
どのみち最悪だった。
ドラゴンが出ていないことだけが救いだが、私の頭の中は最悪の想定でいっぱいだった。
一緒に森に入り別行動しているサムエルたちが気付いてくれて合流できるだろうか。それとも、彼らも別の場所で襲われているのだろうか。
ライナーは私を庇いながら戦っているせいか、背中に何本もすでに矢を受けている。
「デライラッ! お前だけでも逃げて応援を呼んでくれ!」
「ライナーが行け。私がここは食い止める。お前ではわずかな時間稼ぎにしかならないだろう」
さっき合図の指笛を吹いたが、誰も来なかった。
つまり他も襲撃されているか、あるいは裏切者がいるか。この兵力なら前者だろうか。サムエルたちが魔物にやられるなんてことはないだろう。だが、対魔物装備しか持っておらず対人間の装備はしていない。
なぁ、ライナー。ここは地獄だ。
誰がこんなことをしているのだろう。エストラーダに魔の森以外の何があるんだろうな。
ここから運よく逃げられても、相手にどれだけ兵力があるのか分からない。
私が森を出るまでに死んだら、この兵たちはそのまま町に進むのだろうか。
なんだ、私はドラゴンとの戦闘で運よく死ななかっただけでやっぱり早く死ぬ運命だったのか。
オフィに言っておけば良かった。
さっき丘の上で最後まで言えなかった言葉を。なんとなく言うのを躊躇ったから言わなくて良かったのだと思っていたが。
「デライラッ!」
「早く行け!」
私の利き腕でない方の肩に矢が刺さった。
仕方ない、片腕は捨てるか。どうせ、元々死ぬ予定だった落ちぶれた命だ。父の代わりになぜか生きて、なぜか兄の代わりについた辺境伯の座なんだから。
魔物の警戒は皆している。
この兵たちがこのまま森から出て領民に襲い掛かったとしても、皆警戒はしているのだからすぐ戦闘に持ち込めるだろう。
では、私のすることは逃げて応援を呼ぶことではない。魔物は大体片付けたが、森にさらに兵力を投入して他の冬眠前の魔物を刺激するのは良くない。
私が今すべきことは、ここから先にこいつらを一人も行かせないことだ。それにライナーよりも私の方が強い。
ライナーは少しの間迷ったものの、矢を避けるためにジグザグに走り始めたのが見えた。
動きで避けられない矢を捨てると決めた片腕で受けながら、木に斬りつける。
高所からの攻撃は相手が有利だが、木の上では逃げ場が少ない。ちょうど音を聞きつけたのか、大きな魔物が森の奥からのそりと現れた。
魔物は矢を受けても平気そうにこちらに進んでくる。
私はすぐさまその魔物に近寄って、目を潰してから背中に飛び乗った。魔物の急所を外しながら背中に剣を刺す。
視力に頼れなくなった魔物は痛みで怒りながら、近くの木にぶち当たる。私は毛足の長い魔物の毛を掴み、矢を避けつつ魔物を木に突進させた。
だいぶ向こうでライナーが矢でハリネズミのようになって倒れたのが見える。
ライナーがやられた。生きているだろうか。生きてさえいれば、連れて帰って回復魔法を受けさせればいいが……。
でも、ライナーだけではなく私にも死の足音が迫っている気がする。
ライナーがやられたことで私が逃げるとでも思ったのか、何人かが木から下りてきて私と乗っている魔物を取り囲んだ。
見たことのない顔ばかりで、鎧もうちの国のものではなかった。
「なんだ、姿を見せたということは死ぬ覚悟はできているのだろうな」
上から降ってくる矢を防ぎながら、暴れる魔物に敵を踏みつけさせる。
オフィに「私と一緒に死んでくれるか」と聞いていればよかった。
私のために戦って死ぬ者はたくさんいた。あのヒヨコみたいな夫は、きっと私が死んだら情けなく泣いてくれるだろう。
私がエストラーダを守って死ぬのは当たり前のことだった。
死を毎日覚悟していたのに、ドラゴンの呪いを受けてからは余計にだったのに。
私は存外傲慢な望みを持っていたようだ。
愛する者と一緒に死にたい、なんていう傲慢な望みを。だって、自分が死んであのヒヨコのような夫がなんとか生きていくのも、他人と生きていくのも許容できないのだから。
慌てて引っ掴んで腰に下げていた巾着の存在をふと思い出す。矢を受けて血が流れる片腕はもう使い物にならない。
手を突っ込んで取り出し、手投げ式の爆弾を目の前の密集した兵に向けて放った。
私は爆風を避けるために魔物の背にしがみつく。
あの夫に言えなかったのだから仕方がない。また今度言えばいいと思ったのが良くない。明日大切な者が死んだらどうする、明日自分が死んだらどうする。それがエストラーダなのに。
私に明日はやはり許されていなかった。
ドラゴンによって父が死んだ時のように私は死を覚悟した。
それでもやっぱり脳裏にちらついたのは、押し付けられた黄金郷の夫だった。