2 オフィール
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祭り二日目でも彼女はすぐに人に囲まれる。
油断するとすぐに私は人に押されて流されて彼女から引き離されそうになるくらいだ。彼女は辺境伯で、二度出現したドラゴンを殺してエストラーダを守り抜いた人なのだから当たり前か。年配者は彼女のことを子供の頃から知っていて娘か孫に接するように話しかけており、若い者たちは尊敬と憧れの眼差しで彼女を見ている。
彼女の兄テオドールを辺境伯に、などと主張する人が本当にいるのだろうか。サムエルがそんな主旨の発言をしていたがこの人気ぶりを見ると疑わしい。
そんなことを考えていると人々の熱気に押されて、弾き飛ばされるように私は彼女から遠く引き離された。こけないように踏ん張るので精いっぱいだが、ピィピィとかしましく頭上のライラックが喚くので彼女は振り返ってくれる。
「なんだ、皆に隣を譲るとは私の夫は大層謙虚なのだな」
そう言いながら人混みをかき分けて近づいてきて私の腕を引き寄せる。
周囲からからかうようにヒュウと口笛を吹かれるが、その口笛も「見て、ピヨ様よ!」「毛並みが素敵!」「睨んで欲しいわ!」などという声にすぐかき消された。
デライラが「ピヨ二世」とずっと呼んでいるものだから「ピヨ」として認知されてしまっている。
野菜の切れ端に釣られてライラックがとある女性の手にぴょんとジャンプすると、歓声が上がる。それを見てしばらくデライラは不思議そうにしていた。
「なんだ、初日からピヨがモテているのか。なぜだ?」
デライラは意外そうに呟いた後で、口の端を釣り上げて笑う。
「あぁ、なるほど。エストラーダでは強くて堂々とした男がモテるからな」
「それは私への皮肉だろうか。確かにライラックはオスだし、皆が恐れるサムエルにさえメンチを切ってるけど……」
「あなたはもう結婚しているのだからモテなくていいだろう」
デライラは「ちょうどいいから踊るか」と祭りのために設置された舞台に私の手を引いて行く。
「え、お、踊るの?」
「あぁ、そうだが? さっきから夫婦で踊らないのかとずっとせっつかれていた。ピヨを一人にすると可哀想かと思っていたが、あの様子ならいいだろう」
「えぇ……そんな見世物みたいなこと……」
「祭りを盛り上げるのも辺境伯夫妻の仕事だぞ」
「酔ってる?」
「私はどんなに飲んでも酔わないが? あぁ、もしかして私のヒヨコは踊れないのか?」
「習ったけどこんな大勢の前で踊ったことないよ……」
「大丈夫だ、ほらあんな適当な踊りだ」
彼女に引き寄せられた腕が熱い。昨晩と今朝を思い出して踊る前から心臓がうるさくなってしまう。彼女が平気そうなのが憎たらしい。何とも思っていない様子で「辺境伯夫妻」なんて口に出しているし。
こちらは彼女のとんでもなく綺麗に割れた腹筋とか、首の後ろに回された鍛え上げられた腕を思い出しているのに。全部治したが、あちこちあった打ち身や傷跡も。
昨日私はセルヴァたちに飲まされてかなり酔っていたが、デライラの傷を見つけて回復魔法を使ったら酔いは醒めた。
どれだけあの言葉を言うのに勇気を振り絞ったと思ってるんだろう。酔いに任せて言えていたら良かったのに。あぁ、でも彼女は酔っていたと思っていたのかもしれない。
面と向かってではなく、髪を梳きながらこっそりつけないと贈り物も渡せなかったくらいだし。
舞台上ではカップルや夫婦とおぼしき数組が陽気な音楽に合わせて踊っていた。
ポケットに手を突っ込んでタンタンとつま先や踵で床を蹴り、腕を組んでぐるぐる回る。たったそれだけの簡単な踊りだ。乳母からダンスは習っていたが……そもそも乳母以外と踊ったことがない。婚約破棄騒動を起こしたから、学園の卒業パーティーだって出ていないのだし。
あれよあれよという間に引っ張られて舞台の上に連れて行かれる。
舞台にデライラが現れたせいで、手拍子だけだった領民たちの歓声が大きくなってしまう。
これは、もう、逃げられない。辺境に来て初めて回復魔法を使った時よりも注目されている今の方が足はすくんだ。
デライラは私の腕を放すと、数歩離れて胸に恭しく手を当てて私に向かってお辞儀をする。ダンス開始の合図のようで、私も慌ててそれに倣った。
デライラはさっと両手をポケットに突っ込むと、ブーツのつま先と踵を舞台の床に打ち付けてステップを踏む。女性たちの歓声が上がる。
踊っている他の女性たちは長い厚手のスカートだが、デライラはズボンにジャケット姿だ。今日は結ばれていない紫紺の髪が動きに合わせて揺れる。
女性たちが騒ぐのも分かる。中には「辺境伯様! 私と結婚して!」「抱いて!」なんていう叫びもある。いや、それも分かる。回転を入れつつステップを踏む彼女は鍛えているせいか上半身は全くブレず、背筋もしっかり伸びており、自信に溢れているから正直他のどの男性よりも格好いいだろう。
気付くとデライラが手のひらをこちらに向けてクイクイッとやっていた。早くステップを踏めということだろう。
以前の私だったら、こんな舞台に上げられること自体を良しとしなかった。好意的な注目を浴びることにも慣れておらず、どうにかして隠れていたかった。だって、学園での婚約破棄以外で目立てば殺されると分かっていたから。
まだ、いつもの癖で足がすくんでいる。刺繍の多いズボンのポケットに突っ込もうとした手はみっともなく震えている。
でも、胸を張ろうと思った。彼女の夫として堂々としていようと。
昨日の口付けで分かち合ったのが何なのか分からない。愛なのか、それとも恐怖や孤独なのか。昨日、私を押し倒して挑発気味なことを言う彼女の目には恐れが垣間見えた。
毎日のように魔物を相手にして、ドラゴン相手にも果敢に向かって行く彼女にも怖いものがあるのかと不思議に思ったものだ。
私のことは簡単に殺せるだろうから、私を恐れているわけではない。愛するのが怖いのか、愛されるのが怖いのか。
多分、私が彼女に寄り添い続けるのかどうか信じられないのだろう。
大切なものは手から零れ落ちていく。そんな経験をしていれば無理もない。
自信はないがなんとかステップを踏むと、デライラは満足げに笑って腕を組んできてくるくる回った。目が回りそうになるが、すぐに反対の腕を組まれてまたくるくる回る。
ピィピィと聞こえて何事かと思ったら、ライラックが人々の頭の上を踏み台にして舞台まで上がってきた。私を蹴るのかと思ったら、舞台の上で踊っているつもりなのか飛び跳ね始める。それでさらに観客は盛り上がった。
「なんだ、私たちよりピヨの方が人気ではないか」
不満げな内容のわりにデライラは楽しそうに笑っていた。
思わず、私の口角も上がった。
「ピヨに人気を取られたままなのが少し面白くないな」
デライラが回転の途中で腕を放したので何事かと思ったら、すぐに彼女は私を抱え上げてくるくる回った。お姫様抱っこというやつだ。浮遊感に思わず彼女の首に手を回す。
ピヨ、じゃないライラックの時よりも大きな歓声が上がる。
「お、重くない?」
「ドラゴンの翼くらい軽い」
「ど、どっち⁉ それ重くないか⁉」
「昨晩もそんなことを言っていたな。嫁にいけないと」
それは覚えていない。まさか、自力でベッドまで行ってなかったのか?
そう口にしようとして、デライラの肩ごしの観客の中にライナーを見つけた。
大柄だから目立っているのもあるが、皆がきゃあきゃあ興奮している中で彼だけが無表情にこちらを見ていた。それでさらに目立っていた。
どうしたんだろうか。その表情に何となく違和感を覚えた。
ライナーと一瞬目が合う。
視線はすぐに逸らされ、彼は踵を返して舞台から離れて行った。




