2 オフィール
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側近ロイドを含む最低限の使用人とわずかな荷物とともに馬車に揺られ、たどり着いたエストラーダ辺境伯領は王都とは何もかもが違っていた。
まず、明るい色彩がない。
魔の森があるせいか、不気味で何もかもがくすんで黒や灰色なのだ。
しかし、そんな中で命じられた私の結婚相手であるデライラ・エストラーダは鮮烈な紫だった。服の話ではなく、髪と目の色が。
門前にやる気なく迎えに出てきていたエストラーダ辺境伯は、ドレスではなく動きやすそうなズボン姿でポケットに手を突っ込み不躾に私をジロジロと眺めてきた。
平たいブーツを履いているのに、私と同じくらいの身長がある。女性にしてはかなり身長が高い。
「おや、学園で見つけた真実の愛のお相手はついてきていないのか?」
「あぁ……いない」
初対面にも関わらず、最初からものすごい攻撃が飛んできた。
普通そういうことは城の中に入ってからこっそり話すか、察するものじゃないのか。王都の貴族たちはこんな明け透けに聞いてこない。思わず面食らってしまう。
「そうか」
嫌がらせで聞かれたのかと思ったが、辺境伯は意外そうに頷いただけでそれ以上聞いてこなかった。言葉の攻撃力は高かったが、不思議と嫌な感じはしない。彼女は純粋な疑問を口から出しただけのようにも見えた。
私は気にしなかったが、後ろで側近のロイドはいきりたっている。長旅の疲れもあるのだろう。
彼は自ら志願して辺境に婿入りする私に付いてきてくれた。もう亡くなってしまったが、乳母の息子だ。
「オフィール殿下に対してなんと不敬な」
苛立たしそうに小声で怒るロイドをこっそり手で制する。
「髪も目も黄金なのだな」
なぜだろう。
エストラーダ辺境伯に自身の容姿を恐らく褒められていると思うのだが、彼女にそう言われると目をくり抜かれて髪をむしられすべて売られそうな幻想に陥った。
彼女は私よりも一つ年上なだけのはずだが、この溢れ出る風格はなんだろうか。
学園にも通わず、王都の社交の場に顔を出すこともなく、魔物狩りに明け暮れる彼女は好き勝手にウワサされていて、その内容は酷いものである。
やはり「竜殺し」として有名だからだろうか。
「エストラーダ辺境伯。急に決まった結婚で不本意だろうが、これからよろしく頼む」
「あぁ、こちらこそよろしく。お互い押し付けられた結婚だから、干渉せずにいこう。私もあなたも夫婦としての役割はお互い求めない。ただ、ここがエストラーダ領だということは忘れないでもらいたい」
挨拶は簡素な握手と脅しのような言葉だった。
硬く力強い手のひらが私の手に当たる。
日常的に剣を握っている者の手だ。
正直、目の前の若いデライラ・エストラーダが英雄と名高い前エストラーダ辺境伯も倒せなかったドラゴンを倒したという話を信じていなかった。
しかし、あながち嘘でもないというのは彼女の手と佇まいで分かる。
立っているだけでこちらを威圧してくるような女性に会ったのは、これで三人目だ。
亡くなった母の後に王妃となった義母と、婚約者だった公爵令嬢。
この二人に感じるのは油断したら足をすくわれるくらいのものだったが、辺境伯の威圧感は気を抜くと殺されそうだ。頬がピリピリする。
これが、日常的に戦場に立っている女性と王都で安穏と暮らしている貴族女性の違いか。
カンカンカンカン!
急に何かを打つような大きな音が聞こえて、身をすくめそうになる。初対面の女性を前にそんな恥ずかしいことはできず、なけなしのプライドでなんとか虚勢を張った。
「おや、殿下の来訪を魔物が祝ってくれているかのようだ」
辺境伯はその音に驚くわけでもなくニヤリと笑うと、私の後ろのロイドを急かした。
「これは魔物の襲来の合図だ。結婚の書類にサインすればいいのだろう? 早く出してくれ。サインしてから私は行く。あぁ、私は案内できないから城の中のことは使用人に聞いて荷物を運びこんでくれ」
妻になるはずの辺境伯は書類に手早く名前をサインすると、すぐに走り去った。
彼女のマントが顔をかすめたと思ったら、もう彼女の姿は腹心らしき大男とともに遠くなっていた。
私はそれをぼんやりと見送ることしかできなかった。
こんなにすぐ双眼鏡を使うことになるとは思わなかった。
「殿下に対して礼儀がなっていません。ここは王都から離れすぎているからでしょうか。貴族なのにあれほどマナーがなっていないとは。なんですか、あの偉そうな態度と言葉遣い。王都の平民の方がよほどマシです!」
「ロイド、もう殿下じゃないから。それにエストラーダ辺境伯は国を守ってくれている英雄だから、弁えた方がいい。私たちが魔物を見たことさえないのは、南のエストラーダ辺境伯と北のゴトフリー辺境伯のおかげだ」
「それは分かっていますが……実際目にするとあまりにも。この部屋だって殿下が過ごすのになんと簡素な」
目につくものがすべて不快なのだろう。ブツブツ呟くロイドにもう一つの双眼鏡を押し付ける。
双眼鏡の向こうでは、先ほど結婚書類にどうでも良さそうにサインした女性が、三本の角を生やした大きな黒い生き物に細い剣を突き刺したところだった。戦闘というよりも舞うような動きである。
ロイドもそれを双眼鏡で捉えたらしく、口を半開きにしている。
「あれが、魔物……」
「そうだ。私もがっちり守られた状態で、北のゴトフリー辺境伯領で一度しか見たことがない」
「あんなに大きいのに、あれほど素早く動くのですね」
「かなり大きい種類だと思う。私が見たのは大型犬くらいの大きさだった」
「あれは、もっと大きいです。大岩が動いているかのようです」
辺境伯は身体強化を使っているのだろう。魔法を使うことのできない騎士たちでも、体内に魔力を持っていれば身体強化は無意識でも使えると聞いている。
先頭を突っ走り、細い剣なのに難なく魔物をバサバサ切り裂いて、軽々ととんでもない高さを跳躍している。
「あれが、『竜殺しのデライラ・エストラーダ』の動きですか……父親である前辺境伯の手柄をかすめ取ったわけでもなさそうです……。殿下は大変な方と結婚しましたね。まさか、こうなると分かっていて王妃と第二王子の罠にわざと引っ掛かったのですか?」
「いいや。あの時はもう諦めていた。暗殺者に毒に裏切りに……。開拓地に送られるか、国境に送られるか、悪くて毒杯だと思っていた。まさか、結婚だなんて」
「国王陛下は最後に父性に目覚められたのでしょうか」
「いいや、そんなわけがない。あの人は私をきちんと見たことなどないよ。エストラーダ領への支援を最小限で最大に見せるためだろう。私というゴミの有効活用だよ」
「殿下……そんなことはおっしゃらないでください」
王妃だった母が病で亡くなり、新しい王妃が迎えられ、彼女が第二王子を生んでから私に対する刺客や毒物混入が目に見えて増えた。
私がなかなか死なないので、今度は学園で男爵令嬢によるハニートラップだ。
私の婚約者だった公爵令嬢の家は婚約を継続しながらも、とっくに第二王子派に乗り換えていたことは知っていた。
筆頭公爵家がついたのだから王太子には第二王子を指名すれば良かったのに、前例がないとかで、私に瑕疵がない状態で異母弟が王太子にはなれなかったのだ。だからこそ私は母という後ろ盾が亡くなっているのに、執拗に狙われ続けた。
「エストラーダ辺境伯は、野蛮で残忍で悪魔のような醜い女性というウワサでしたが……」
「ウワサなんて嘘ばかりということはロイドだって分かっているだろう」
参加する気もないのに強制参加させられている王位争いに疲れ果ててしまった。
先に生まれたというだけで特に秀でていないのに命を狙われ続け、変に担ぎ上げられる。
学園で魂胆が見え見えの男爵令嬢が近付いてきた時、私はすべてを諦めて王妃と第二王子の罠だと分かっていて乗っかったのだ。男爵令嬢の口車に乗って学園でバカげた婚約破棄宣言までして。
何なんだ「私は真実の愛を見つけた」って。演技で言うにしても気持ち悪すぎるだろう。
抵抗するにはあまりに私は無力だった。
母の母国はこの国よりも国力がないので、私への支援などできなかった。
婚約は私の有責で破棄となり、やっとしがらみから自由になれると思ったら、まさかの辺境伯との結婚。
私はもう疲れ果てていた。でも、死ぬ勇気もない。
父である国王は私にこう言いたいのだろう、この辺境で勝手に野垂れ死ねと。魔物にでも食われろと。でも、あの魔物に食われると思うとそれだけで怖い。
辺境伯だって私を押し付けられて迷惑だろう、申し訳がない。
ただ今だけは、双眼鏡の向こうで縦横無尽に魔物を狩る辺境伯を純粋に綺麗だと思った。長らく私は何かを綺麗だと感じたことさえなかったのに。
返り血を浴びて、おぞましい見た目の魔物とやり合っているのに、彼女はとても生き生きしていて美しかった。
諦めて情けない生きざまを晒している自分よりも、国のために魔物と戦う彼女はよほど王のように見えた。




