6 オフィール
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実りの祭りの準備は順調に行われていた。
祭りまであと二日というタイミングで、今日は辺境伯と一緒にネルソン村を訪れている。
「あなたのお兄様の前で偉そうなことを言ったのに……すまない」
まだまだ工事が必要な建物を見て回りながら、私は辺境伯に謝った。
ライラックは後ろからゆっくり歩いてついてきているが、疲れた途端に「抱っこをしろ!」とギャアギャアドッタンバッタン騒ぐのまでがお約束だ。
これって本当にニワトリに成長途中のヒヨコなんだろうか。たまに散歩に連れ出してくれるライナーも「なんだか違う気が」としきりに首をかしげている。
残念ながら私はヒヨコがニワトリになる過程など知らないので、こんなものだと思っておく。だんだんライラックの体は大きくなり、黄色くなくなってきている。
「なぜ謝る。雪が酷くなる前には終わりそうだ」
「いや、実りの祭りまでにできれば復興したいなんて口に出したのに……」
王都に余裕がないといっても念のため警戒はしないといけない。
私を連れ戻すことはなくても、妨害工作はできる。もしかしたら王妃の手の者が辺境に入り込むかもしれないから、外部から人を入れて工事をしてもらうわけにいかなかったのだ。だから資材があっても辺境伯領の人々の農作業の予定などがあれば進捗は遅れる。
「十分だ。あなたが来なかったらここは今でも荒れ果てたままだっただろうから。ネルソン村が復興すれば父も、あの戦いで死んだ者たちも喜んでくれるだろう」
私はそっとネルソン村を見渡す辺境伯の横顔を眺めた。
彼女の紫紺の髪が風にあおられる。風が彼女の髪で遊んでいるようだ。彼女の横顔と髪が綺麗でしばらく見惚れていた。
「どうした」
「あ、えっと……あなたのお兄様には何か動きがあったのかなと思って」
「サムエルやライナーたちに交代で監視させて好きに泳がせているが、特におかしな動きはない。数日前にはこのネルソン村にも来たようだ。兄に関する嘘の話はドラゴンの呪いの件を省いて訂正したがまだまだ皆、疑っているな。だが、兄は物ともせずにいろいろなところに出かけている」
ドラゴンの呪いの件はおかしな混乱と罪悪を生まないように、引き続き隠しておくことにしたらしい。
だから訂正された話では、辺境伯の兄テオドールは魔の森を焼くとドラゴンが現れる秘密を探るために辺境伯と喧嘩までしてエストラーダ領から出て行ったことになっている。
「兄は私よりもかなり賢いしリーダーシップもある。だから、若い兵士たちの中には兄を遠巻きにせずに話しかける者も出てきているな」
「お兄様との仲は良かったのか?」
「あぁ、良かった。他をあまり知らないが、あなたのところよりは数段良かった」
「私のところは特殊だから。そもそも相手の死を願うような兄弟姉妹仲はおかしいと思う。だから、あなたのお兄様が怪しいというのは私の考えすぎかもしれない。遠巻きにされてもあなたを心配してここに戻ってきているのだし」
「そうだといい。兄を疑うのは少し疲れる」
彼女は私の手を引っ張って引き寄せて肩に頭を乗せてきた。
「酒は強いか?」
「え、いや飲んだことがない」
唐突に近付いた距離と彼女の吐息まで感じることに、私の心臓の音はとんでもなく速くなった。
暴れる心臓のせいで、彼女が何を話しているのかさえ分かっていない。受け答えはあっているだろうか。
「そうか。祭りの時は皆交代で飲むから。出会ったら乾杯の嵐だから相当飲まされるぞ」
「えぇ……大丈夫かな……頑張るよ。辺境伯は酒が好きなのか?」
「私は、酒は飲まない」
「酔っぱらっている時に魔物が出たら困るから?」
「祭りの前に散々森に入って魔物を積極的に間引いているから、例年祭りの期間に魔物はほぼ出ない。私は酒を水のように飲めて酔うことがなくてな。私が飲むとすぐ樽の中身がなくなるから皆嫌がる」
私の肩に頭を置いたまま、彼女はクツクツ笑う。
彼女の髪が風で乱れていたので、恐る恐るだが触れて軽く整えた。
せっかく綺麗な色なのに、最近は頻繁に魔の森に入っていたせいか彼女の髪は乾燥して傷んでいる。
「あなたは、酒も強いんだな」
あれ、今が彼女の名前を呼ぶチャンスなのではないだろうか。
この前はライラックに思い切り邪魔されたのだし。いや邪魔されたのはキスで、名前を呼ぶことは日和ってできなかった。
「あの、で……」
その時、ギャアギャアとライラックが騒ぎ始めた。またかと残念に思いながら振り返ると、ギャアギャア叫びながら地面を蹴ってバサバサと翼を動かしてジャンプしている。
「ピヨ二世が騒いでいる。あれはなんだ」
「疲れたのかもしれない。抱っこかな」
「まだまだ可愛いな」
彼女は頭を上げて私から離れてしまう。そのことに寂しさを感じながら、飛び回るライラックを捕まえた。
結局、また日和って彼女の名前さえ呼べなかった。好きな人の名前を呼ぶのが、こんなに恥ずかしくて頬に熱が集まることだなんて知らなかった。
「え、もう一度言ってくれないか?」
「何かアクセサリーをご用意されたのですか、とお聞きしました」
明日から祭りだから書類仕事を先に終わらせておこうと家令のサムエルと確認している時にそう問われ、何のことか分からずに聞き返した。
ロイドは最近、兵器の開発が楽しいらしく私の補佐をしながらも頻繁にそちらに顔を出している。
「何のためのアクセサリーなんだ? 用意って? 祭りで何かコンセプトがあってそれに合わせたアクセサリーが必要だったのか?」
「……まさか、婿殿の周囲にいた者たちは揃いも揃ってボンクラなのでしょうか。今すぐ、えぇ、今すぐにしばいてきましょう」
サムエルの目が据わり、ナイフを取り出しながら立ち上がるので私は慌てて止めた。
「ま、待ってくれ、サムエル。しばく前に説明を」
「あぁ、失礼しました。エストラーダ領では実りの祭りの最終日、つまり二日目ですね。そこで男性が意中の女性にアクセサリーを贈るという伝統があります。そうすると恋が成就して末永く夫婦でいられると」
「……え、そんな話は聞いてない……」
わざと教えてもらえなかったのだろうか。
エストラーダ領の人々には受け入れてもらえていると思っていたのだが、実はまだそんなでもないのだろうか。あと三秒したら涙が出てしまいそうなのだが。
ロイドは何か言っていたっけ?
「だから、ライナーを始めセルヴァたちをしばいてきます。半殺しでいいでしょう。女心が分からない恋人もいないライナーはまだしも、結婚しているセルヴァまでこうだとは」
「あ、いやしばくなんて……それってもしかして恋人たちのイベントじゃないか?」
「はい、その通りですが」
あぁ、良かった。安心した。王都でも収穫祭にかこつけて似たようなイベントがあったじゃないか。お揃いのブレスレットを贈るとか、ネックレスを贈るとか。商魂たくましい商会が考えるのだ。
「私と辺境伯はもう夫婦だから、皆わざわざ言わなかったんじゃないだろうか。どうもそれはプロポーズのようだし」
サムエルはナイフを仕舞いながら、今度は残念なものでも見るような目を向けてくる。
「書類上の夫婦であるだけでしょう。何を呑気なことを。このサムエルの目は誤魔化せません」
「すみません……」
いや、キスくらいはしたんだけど……もちろん、キスしてきたのは辺境伯で私はされるがままだったけど……。思い出して顔が熱くなる。
「婿殿は王族だったのですから、何か余っている高価ないい感じのアクセサリーはないのですか」
なぜかサムエルの方が真剣な顔つきだ。というか、無茶ぶりだ。そんなホイホイと新品のアクセサリーなど持っていない。
「冷遇されていた王族が気の利いた装飾品を持っているわけがない。母の形見くらいだ」
「形見は重すぎます」
「分かってるよ……そもそも彼女はアクセサリーをしないだろう? 戦いの時に邪魔だろうし」
「それもそうです。しかし、ここで決めておかなければ。お名前も呼べないのでしょう、デライラ様の」
「うっ……」
「あれだけチャンスはありましたのに……若い者たちは知りませんが、私はテオドール様をまだ信じていません。それに、テオドール様が戻ってこられたことで良からぬことを考える者も出てくるかもしれません。ドラゴンが出現するまではテオドール様が後継者でしたからね」
「あぁ、うん、そうだな」
「女の下につきたくないという阿呆もいるのですよ」
団結しているように見えるエストラーダ領も一枚岩ではないのか。
「だからこそ、夫であるあなただけはデライラ様の絶対の味方でなければいけません。そしてそれを示していないといけません」
「彼女を裏切るなんてことはないよ」
「もっと行動で示すのです。私は口だけの男など信用しません。今のあなたは夫ではなく、デライラ様のビジネスパートナーです」
「あ、はい……」
アクセサリーの準備なんて今からでは間に合わない。
「サムエル、アクセサリー以外でもいいんじゃないだろうか」
「ほぅ」
私の案にサムエルはにやりと笑った。




