2 オフィール
いつもお読みいただきありがとうございます!
あくる日、城が慌ただしいことに気が付いた。
魔物の襲来の音は聞いていないから違う。しかし、城中がどこかピリリとした緊張感に包まれていた。
「何かあったのか」
ダガーナイフを落ち着きなく触っているサムエルに声をかけた。
最初は怖くて声などかけられなかったが、回復魔法を使って以降サムエルを含む者たちの態度は軟化していったので、彼らがナイフを持っていようと斧を担いでいようといつでも声を掛けられる。
サムエルはほんの少し迷う素振りを見せ、私の頭の上にいるライラックを見て「まだ小さくて食べられませんね」とコメントし、ため息をついた。怒りの鳴き声が聞こえるので、ライラックはナイフを持つサムエル相手でもメンチを切っているらしい。
なんてヒヨコだ。本当にヒヨコなんだろうか。自分のことを人間だと勘違いしていないか?
ちなみに、エストラーダ辺境伯領では魔物以外の動物も大体が平均より大きい。馬だって大きく、牛や豚も何を食べたらこんなに大きくなるのだと言いたくなるほど大きい。もちろん、それはニワトリもだ。このライラックも将来、とんでもなく大きいニワトリになるのだろう。辺境伯の身長だって高いのであるし。
「テオドール様が帰ってこられています」
「……まさか、辺境伯の兄か?」
「左様です。大方、二度目のドラゴンが出現した話でも聞いて他国から戻ってこられたのでしょう、今更」
「今、彼は執務室だろうか?」
「はい。デライラ様には誰も入れるなとは言われていないので、行かれても大丈夫です。えぇ、婿殿ですからね。えぇ、むしろ行くべきでしょうね」
普通、来客中なら誰も入ってはいけないと思うのだが。サムエルは彼にしては珍しく落ち着きなくナイフを触っている。いつもなら獲物から視線を離さずに触っているはずなのに、あちこち視線を彷徨わせている。これはきっと「邪魔しに行け」ということだろう。
「必要ならばこれをお使いください」
無理矢理手を取られて、ズシリとしたダガーナイフを渡される。
「ご安心ください。それは軽い予備ですので舐めていません」
そういう問題じゃない。なぜナイフを真顔でやたら決まったウィンクまでして渡してくるのか。サムエルがやればいいだろうに。
いや、辺境伯は兄の間違ったウワサを流して兄を貶めてまでドラゴンの呪いから守ろうとしていたのだから、サムエルだって大いに誤解しているのだろう。
このナイフが登場する機会はないはずだ。しかし、突き返してもサムエルにはのらりくらりと躱されてしまい、結局持ち歩く羽目になった。
恰好だけは書類を持ってノックして入ると、中には辺境伯とライナーと見たこともないはずなのに妙に親近感のある紫紺の髪のこれまた背の高い男性がいた。間違いなく辺境伯と血のつながりを感じさせる男性だ。髪型以外とてもよく似ている。
あぁ、そういえば肖像画の中でもっと幼い彼に会っていたのだった。
というかライナーはいいのか、初めからここにいて。遺書を盗み見たから? それとも辺境伯の右腕的存在だから? ほんの少し胸がムカムカした。
「あぁ、来たか」
辺境伯はなぜか笑うと私を手招きする。紫紺の髪の男性を気にしながらも彼女に近付くと、書類を持った私の腕ごと引き寄せて隣に立たせる。
急な接触に驚いたものの、そのまま流れに任せて私は辺境伯の隣に立った。少しばかりドキドキしている。義兄である人の前で、すれ違っていた妻と接触して隣り合っているのだから。
辺境伯の兄テオドールは、急に現れたしかもヒヨコを頭に乗せた私に驚いたようだったがすぐにその表情をかき消す。
「彼がオフィール第一王子殿下か?」
「そうですよ、兄上。彼のおかげでドラゴンの呪いは解呪されましたので。兄上の苦労は徒労に終わりましたね」
辺境伯は私の腕を抱き込みながら、もう片手でシャツをまくって自分の腹を見せる。見事に腹筋がバキバキに割れた腹を私は凝視してしまった。
視界の端でライナーはそれを見ないように、腰まで反らして天井を見上げている。本当に彼は弁えた男だ。
「回復魔法でドラゴンの呪いが解呪されるなんて聞いたことがない。ドラゴンは伝説級の存在、つまり呪いも伝説級だ」
「されましたが」
「俺が他国を回って調べた結果分かったのは、ドラゴンの呪いを解呪できるのは聖女だけだ」
「では、私の夫は聖女だったということか」
「私は女じゃない」
辺境伯が意味ありげに股間を見てくるので、私は慌てて否定した。
「分かっている」
辺境伯に笑いながら腕を叩かれたが、本当だろうか。お互い裸を見せたことだってないのに。いや、私は辺境伯の意識がない時に見たけれども。解呪に必死で、こんなに見事でしなやかな筋肉がついているところまでは余裕がなくて見ていなかった。
「第一王子殿下は聖人である可能性が高い。これは神殿に報告しなければならないだろう」
「え、それはなぜ?」
挨拶もしていないのに義兄に聞いてしまった。
神殿? そもそも神殿は王家と仲が悪いから付き合いなんてなかった。
「神殿は聖人および聖女を探している。隠すのは重罪なんだ。疑わしい時点で報告しないといけない」
「私は、聖人ではない」
「あなたが使っているのはおそらく普通の回復魔法ではない。その部分だけ時間を巻き戻しているような類の魔法だと思う。そうでなければドラゴンの呪いは完全に消えないんだ。それならば、殿下が使っておられるのは聖人及び聖女の魔法だ」
「心当たりなどないし、王家は神殿と仲が悪い。別に回復魔法だと思っていればいいじゃないか」
私は辺境伯に回復魔法をかけただけだ。
同意を求めるように辺境伯を見ると、なぜか彼女は考え込んでいた。
「辺境伯?」
不安になって呼びかけると、彼女は視線を上げた。
久しぶりに紫の目と至近距離で視線が絡み合う。それだけで私の心は軽々しく跳ねた。あまりにチョロい自分を呪いたい。
これでは私ばかりが辺境伯を好きみたいだ。




