第7話 愛嬌は才能である
「また助けられた」
「……いえ、大変ですね」
昨日の今日でこれとは。確かに潮木さんはストーカー被害はいつものこと、といった言い回しをしていたけれども。それが勘違いでもなんでもなく事実だったと証明されてしまった。
この店に入ったときまでにあった覇気は見る影もなく、潮木さんは青白く染まった顔でストローを咥えた。アイスコーヒーではさらに体を冷やしてしまう、と心配になる。
「大丈夫じゃなさそうですけど。お兄さんに迎え来てもらったらどうですか?」
「いや、兄貴、仕事だから。昨日は駅で待ち合わせてて、偶然近くにいただけで仕事場は遠いんだ」
「お兄さん、お仕事は何時に終わるんです? それまでなら付き合いますよ」
いやいや、ちょっと待った。私は何をとち狂ったことを言っているんだ。完全に場に流されている。このイケメンの悲壮な哀愁に絆されている。なにも私がそこまではしなくていいのでは。この雰囲気の中なら、変なのが湧いても店の人と周りの人が助けてくれるはず。撤回、今の発言は撤回だ。
「いや、すみません。今の――」
「本当に時間作ってくれんの?」
この子、こういうところが良くないんじゃないか?
思わず、頭を抱えてしまう。思わせぶりというか、距離感皆無というか。潮木さんのきらきらと輝く目を直視し、撤回の言葉が詰まる。
私は流されやすい方ではあるかもしれないが、それでも彼の作る空気の流れは急過ぎる。流れに身を任せなければ溺れると錯覚するレベル。
「潮木さんがよければ」
だから、私は悪くない。
「大河でいいよ」
安心しきったような潮木さんに苦笑しか出てこない。懐かれてるかも、と思ってしまうのも彼の手のひらの上なのだろうか。
まあ、こうなったものは仕方ない。諦めよう。頼られて悪い気がしないのも本当のことであるし。
店を移動して帆座さんと再会なんてことになれば目も当てられない。居心地の悪さは知らんぷりで滞在続行である。
彼は未だ血色は戻りきっていないけれど、精神は持ち直したように見える。ぱっと視線がこちらに向く。やはり、ポメラニアン。
「改めて、潮木大河。よろしくな、灯」
差し出された手を無視することはできず、緩く握り締めれば、ぎゅううと力強く握り返された。
「潮木さん、学生さん?」
「大河でいいってば」
「お兄さんに聞かれたら怒られそうだから止めておきます」
また叩かれたらたまったもんじゃないしな、と遠くを見るように目を逸らせば、沈んだ声が「本当にごめん」と再三の謝罪をくれた。何度だって言うけれど、潮木さんのことは責めていない。
「いちお、社会人。仕事はモデルと兄貴の手伝い、近くに事務所があるからこの辺にはよく来る」
「モデルさんなんですか」
「ああ」
腑に落ちすぎる。これだけ綺麗な顔なら絵になるだろうな。人に見られる仕事をしているのであれば、ストーカーが生産されていることもまあ納得がいく。潮木さんはそんな風には見えないが、ガチ恋営業とかしていたら、彼にも非があるだろう。勝手な想像だけれども。
兄貴の手伝い、というのはお兄さんも芸能関係なのだろうか。彼も恵まれた容姿だったし、意外性はない。
「灯は? 仕事なにしてんの?」
「私はSEです。プログラム開発とかそういう仕事」
「OLさん?」
「そうですね」
やりたくてやっている仕事であるが、潮木さんと比べれば地味なものだ。十代前半であれば彼を羨ましがることもあったかもしれないが、私の中で夢を見る年はとうに過ぎてしまった。今は可もなく不可もなく、波も山もない日々を浪費している。それが良いか悪いかは別だが、少なくとも自由ではあった。
潮木さんは不意に口元に手を当てて考え込むような動作をした。私の顔をじっと見ながら「灯って年いくつ?」と女性に対しては人を選ぶような質問をぶつけてくる。
「二十三です。今年で二十四」
「それだったら、堅苦しくすることねえじゃん。俺、二十だよ。敬語もいらないし、やっぱり名前でいいって。兄貴には俺から説明するし」
この若人、距離の詰め方えげつないな。
敬語を使っているのは距離感の問題であって、年の差の問題じゃない。潮木さんが五歳児とかならこんな感じではなかったかもしれないが、学生服を脱却する年齢が相手なら未成年であろうと大人への敬意を持って接する。
しかし、私は口調だの呼び方だのに、いちいち指摘をするほど神経質ではない。お兄さんの顔はちらつくものの、意地になって拒否するような話でもない。
「じゃあ、大河君」
「なあに」
名前を呼ばれただけなのに、彼は随分と嬉しそうな反応をする。
トータルしても一時間に満たない付き合いであるが、潮木さん、基、大河君は見た目の格好良さを裏切ってゆるっとした好青年である。風体は肉食獣のようであるが、動作は小動物のように可愛らしい。とても真っすぐな人だ。
「とりあえず、お兄さんにお迎えの連絡しなよ」
この美丈夫にどれだけのストーカーがいるかは知らないが、帆座さんに嘘をついてまで言い訳した手前、一人で帰すのはやはり忍びない。昨日の今日で心配というのもある。
私には無秩序暴力野郎であろうとも、あの人は大河君にはいいお兄さんなのだろう、信頼はびしばし感じている。私は絶対にに会うつもりはないし、顔を見る予定もないが、大河君には彼のお迎えが必要だ。入れ違いになるように帰ろう。