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人型異生物保護管理機構のお仕事  作者: 真名瀬こゆ


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第71話 逆転の一手

 私も急がなければ。時間との勝負である。

 海から離れるようにして、小さな画面に表示された私のスマホの位置情報を頼りにさっきまでいた場所を目指す。水路には近づかないように気をつけながら、道なき道をひたすらに踏み荒らした。

 今や、この島でアロマナちゃんの傍が一番危険な場所かもしれない。しかし、幸運なことに彼女は人魚だ。拘束を解いて水路に投げ込んでしまえば、シア君のように逃げられるかもしれない。間では捕まえられないだろう。

 どちらかといえば、アロマナちゃんを逃がしたあとに私がどうやって逃げるかが問題である。

 どれだけ頭をひねったとしても選択肢は少ない、というより一つしかない。異保管のブザーだ。逃げられないなら、助けられるまでやり過ごす。

 これが最善なのか、何度も反芻する。自分の考えすぎではないか、それこそこの行動が三鷹さんの手のひらの上ではないのか――。

 結局、答えは変わらなかった。何もしないことができないなら、進める道は狭く細い一択のみ。


 スマホの地図の縮尺が勝手に拡大され、木々に紛れるように息を潜めた。暴れる心音が聴覚を鈍らせる。細心の注意を払う野生動物のように一歩、一歩と足を勧めた。

 行く先は段々と木の重なりが減っていて、開けた場所があるのが確認できる。障害物の隙間を縫った先、鮮やかな色が断片的に目に映った。夕焼けのような真紅、七色に輝いて見える翡翠。

 

――、アロマナちゃん。


 自分の呼吸が邪魔にならないように口元を手で押さえた。ここから見える範囲にはもはやトラウマでしかないガスマスクの姿は見つけられない。でも、この場は絶対に監視されている。

 恐怖心と正義感がぶつかっては光と灰を生み出して精神を荒していく。

 悩んでいる時間はない――、心臓の上に手を当て、覚悟を決める。何に突き動かされているのか、自分でも分からない。それでも、自分の意思であることは確かだった。

 シア君から託されたナイフを手にし、異保管特性の防犯ブザーを鳴らす。相変わらず耳が潰れるような騒音だが、今は何よりも心強い。できるだけ遠くに飛ぶように放り投げ、一気に走り出す。恐怖心が限界値を越えてなきゃ、こんなことできない。


「あ、アロマナちゃん!!」

「――っ!? あんた、なんで!?」

「助けに来た!」


 構えたナイフを突き立てるように、彼女の腕を縛る紐を断ち切る。それから、彼女の腕を無理矢理と自分の首にひっかけさせて不格好に背負った。人魚の尾を上手く掴むことはできなくて、アロマナちゃんに「腕、しっかり掴まっててね」と早口でまくしたてる。返事はなかった。

 火事場の馬鹿力。思いのほか足はすくっと伸びて、よろけながらも立ち上がる。いや、立ち上がろうとした。 

 する、と正面から頬に手が触れる――、アロマナちゃんの手ではない。

 首を絞める攻撃的なものではなく、優しくなだめるように撫でられる。ぞわぞわと鳥肌が立った。

 奈落を思わせる黒い瞳が間近で三日月を描いていた。


「いけないですね」

「――み、三鷹さん」


 恋人同士のような甘い触れ方である。ただし、ときめきなんてものとはかけ離れた感情しか出てこない。背骨を手のひらで握り潰しては下へ下へと進んでいくように恐怖が全身に満ちていく。


「やっぱりあなたは人魚を捧げる使者だ」


 激しく鳴り響く異保管のブザーは大音量であるはずなのに、ここにだけ壁一枚があるかのように三鷹さんの声はクリアに聞こえた。

 黒い三日月は新月を目指してさらに細くなる。口元にも三日月を作るともったいつけるように口を開いた。


「流星さんが頼れる人魚はあの人魚しかいないと思っていたのに。他の人魚が顔を出すなんて考えもしていませんでした。紫峰さんが特殊体質だからというだけじゃない。あなたは異人を惹きつける才能がある」


 この人が何を思って、何を考えているか分からない。

 三鷹さんは緩やかに笑うだけだ。今日まで一緒に仕事をしてきた三鷹さんは三鷹さんではなかったのだと思い知った。


「素晴らしい。本当に素晴らしいです。でも、あの人魚のことは諦めましょうね」

「っ――、ふっざけんな!!」

「アロマナちゃん!!」


 背中から跳ぶ怒号。ばたばたとアロマナちゃんが暴れ出し、それを制するように伸びた三鷹さんの手は彼女の首を掴むと躊躇も手加減もなく、ぐぐぐと締めた。声にならない呻き声と太い骨の軋む音。

 私は前のめりに体が傾くのを止められなかった。今まで立っていられたことが奇跡のように簡単に膝が地面につく。私に見えるのは整地されていない地面とやけに綺麗な三鷹さんの革靴。

 

「まったく。お転婆にも限度がありますよ」


 冷たい声が降ってきた。鳴り続けるブザー音に混じって、かちり、と何かが引っかかる音がした。

 はっとして顔を上げれば、私の顔の横に突き立てられた黒――彼の手に握られていたのは拳銃だった。そして、その銃口は私の背後から顔を覗かせる人魚の頭に向けられている。


「三鷹さんっ!?」

「暴れないでください。あなたに当たっちゃう」

「やめてくださいっ――!!」

「大丈夫、人魚は骨格標本でも人気ですから」


 何も大丈夫ではない。いとも簡単に命を奪う道具を目視した途端に、死と隣り合わせの危険に置かれていることを改まって理解する。荒れた呼吸音が思考の邪魔でうるさいったらない。でも、それは自分の呼吸音で決して消えてはくれない。

 どうしたら守れる、どうしたら逃がせる、どうしたらこの人を止められる。


「――アロマナちゃんっ! ごめん!」

「きゃあ!!」


 私は背中の彼女を水路の方へと投げ、三鷹さんに全力で体当たりした。衝撃の痛みなんて認識できる余裕はない。とにかく、銃口が彼女に向かなければいいという考えしかなかった。たとえ、撃たれるのが自分になったとしても。

 ちょっとでも時間を稼げば、アロマナちゃんが自力逃げられるはず。

 しかし、私の希望もむなしく、三鷹さんは何の障害でもないように私を組み伏せた。傾いた視界、骨が軋む拘束。頭上から島全体に聞こえるような轟音が響いた。


「アロマナちゃん!!」

「お姉ちゃん!!」


 私の掠れた叫び声に、悲痛な叫び声が重なる。瞬きも忘れて目の前の光景を見ていたのに、何が起こったのか一瞬だけ分からなかった。

 弾ける火薬のにおい、銃口から立ち上る煙、横たわる二人の人魚――、そして、この場では異物のようにしか見えない鮮血。


「――ね、ネルちゃん……?」


 標的となる人魚がすり替わっていた。アロマナちゃんを守るように覆いかぶさるのは、彼女の弟であり、私の友人である。

 私とアロマナちゃんの声にならない絶叫が響く。

 ネルちゃんの脇腹からは命を削るように血が溢れ出していた。ネルちゃん、どうして。赤い、血、止めなきゃ。助けないと。

 今すぐ彼に走り寄りたいのに、足どころか体のどこかしこも動かなかった。私の焦る気持ちをあざ笑うように、とくとくと流れる血から目が離せない。


「ネル!!」


 視界が横に流れる。起点になる衝撃はなかったが、地面の上を滑る痛みはあった。三鷹さんの拘束が解かれ、私はごろごろと地面を転がる。痛い。しかし、痛みにかまけている猶予はない。

 顔を上げて初めて、私は現状を理解した。


「うっ――」

「好き勝手してくれたな、省吾!!」


 地獄の底から這い出たような禍々しい怒りだった。大君。私の上から三鷹さんをどかしてくれたのも彼だろう。大君が三鷹さんに馬乗りになって殴りつけている姿は、あまりに暴力的でどちらが悪党だか分かったものではない。

 ただ、それに介入する余裕なんて私にはなかった。


「ネルちゃん!!」

「ん――、灯ちゃん、良かったわァ、無事で」


 体の芯が凍るような寒気と痛み。自然に湧いてきた涙を擦り、壊れ物に触れるようにネルちゃんの手を取った。

 青白い顔色に浅い呼吸、掠れた声。同調するように私の息も短く荒れていく。

 脇腹にできた傷口を確認すれば、血は止まらずに溢れ続けていた。止血――、傷口を圧迫しなくちゃ。私がネルちゃんに手を伸ばそうとした瞬間に、再び銃声が鳴り響いた。

 ばっと三鷹さんを見ても、彼は大君の下でぐったりしている。両の手とも変な方向に曲がっていて銃を握れるわけもなかった。彼じゃない。


「ゼンインウゴクナ!」


 電子音に歪められた声、どこからか現れたガスマスクの男。まるで軍人のように武装したその男は、空に向けていた銃口を下してこちらへと向けた。

 一回目の銃声が集合の合図だったのか、私たちを中心に数人のガスマスクがこちらを取り囲んでいる。こんなに人がいたなんて。

 異様な雰囲気、一触即発の緊張感。各々が手にしている武器が見えたが、私が恐怖に慄くことはなかった。


「――大我、ネルを船に連れて行って」


 ばたり、と銃を撃ったであろうガスマスクがその場に倒れ込む。何の前兆もない。人間に電源が存在したのなら、そのスイッチを切られたような突然の出来事。

 倒れた男の代わりに立つ人影――、真っ赤な目をした流星さんがそこにいた。

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