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人型異生物保護管理機構のお仕事  作者: 真名瀬こゆ


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第59話 訳あり兄弟

 呆然と立ち尽くす私から離れた流星さんは、瞳だけでなく口元も赤に染めていた。無意識にじくじくと痛む首に触れれば、ぬるりとした感触。指先を汚す赤。私の血。くらりと眩暈がした。


「流星君」


 ネルちゃんを抱えた有翼のお姉さんの背中が私の視界を遮る。柔らかそうな白い翼は彼女が異人である証だ。

 彼女が一言、二言、流星さんと言葉を交わしているのは分かっても、内容までは聞き取れなかった。この距離で聞こえないのだから、よっぽど声を抑えていたのだと思う。もしくは、私の聴覚が馬鹿になってしまっているか。

 呆然と綺麗にたたまれた翼を見ていると、お姉さんは不意にこちらへ振り返った。


「ここの後始末があるから、あなたは先に研究所へ。一人で戻れますか?」


 考える間もなく、頷く以外の選択肢はない。

 この異常事態を前にどう考えたって人手は足りていなくて、本来なら私も事態の収拾の手伝いをすべき立場なのだ。余計な手をわずらわせるわけにはいかなかった。

 お姉さんからいくつかの指示を与えられ、促されるままその場を離れる。上手いこと誘導されて、流星さんの姿を目にすることはなかった。


 私に出された指示は三つ。一つはシャワーを浴びに行くこと、一つは流星さんに噛みつかれた首を治療すること、最後の一つは研究棟の私に割り当てられた宿泊部屋で待機。 

 よろよろと老人のような足取りでシャワーを浴びに行き、下がっていた体温が戻ると、ようやく頭が正常に戻り始めた。結果、恐怖に脳みそが揺さぶられる。ネルちゃんの苦しむ声、身体の震えが鮮明に思い出されては心臓がじくじくと膿むように痛む。大君と出会った日とは比べ物にならい恐れに眩暈がした。


 ――あれは何だったのか。


 ぼけっとした頭では考え事もうまくまとまらない、想像でものを考えるのはよくない。そうは思っても、いろんな想像が頭の中を巡ってしまう。 


 二着目になる美湊海洋生物研究所の名前が入ったジャージを購入し、安息の研究室へと向かって足を動かす。一歩、一歩、前に進むたびに命が削れていくような気がした。

 無人の研究室、救急箱の収納場所はとっくに知っている。一番大きな絆創膏を頂戴して、傷口を隠した。血はとっくに止まっているけれど、ずきずきとする痛みは続いている。

 長い螺旋階段を上り、倒れこむように自室の扉を押し開け、そのままベッドにダイブした。どくどくと心臓の音が耳に大きく聞こえる。この場所は安心する。守られている場所だ。

 目を閉じれば、疲れに身体が沈む。どぶん、と意識も一緒に遠のいていった。


 いつの間にか寝てしまっていたらしい。


「ん――」


 ゆっくりと瞬きをすれば、近い距離の上方から「起きたか?」と柔らかな気遣いの声が聞こえた。私の顔を覗き込む人影――、焦点が合って姿がはっきりとしていく。赤茶の短髪に茶色の瞳。生意気そうなつり目は憂いに歪んでいた。


「たいくん? ――えっ大君!? 大丈夫なの!?」


 寝ぼけていた頭が一瞬にして覚醒する。声を荒げ、勢いのまま体を起こした私に大君は苦笑した。いや、笑ってる場合じゃないから。


「ネルちゃんは!? 流星さんも――」

「みんな大丈夫。ちゃんと説明するから、落ち着けよ」


 ぽん、と軽薄な調子で背中を叩かれる。温かくて大きな手――、ああ、よかった。無事だった。じわじわと浮いた涙は一度零れてしまえば、あとは堰を切ったように流れていく。大きくなった涙の粒がぼろぼろと落ちては皺寄ったシーツに消えた。


「よ、よかった。無事で」

「……灯のおかげ。本当に助かった、ありがとう。灯こそ怪我は?」


 ぶんぶんと大きく首を振る。ずきりと傷んだ首元にはっとした。入り江でこそ怪我はしなかったものの、傷跡はしっかり残っている。

 首元を抑えた私を見て、大君は「ちゃんと――、ちゃんと全部説明するから」と改まって言葉を紡いだ。どこか緊張しているように聞こえて、私まで肩に力が入った。


「……、俺と兄貴のこと」


 大君の手には一冊の本。この部屋の机に積んであった本。

 趣味悪い絵本、もとい、新機構員向けの教本である”よいこのいじんじてん”だ。大君はぱらぱらとページをめくり、とあるページを開いたままで私に差し出してくる。


「――夢魔?」

 

 本に描かれたデフォルメのイラストは人間そのもので、人魚や有翼とは違って異質な特徴はない。ただ、目が真っ赤に染められていた。


「そ。誘惑の力で異性の人間を虜にして精気を吸い取る異人」


 本から視線を外し、前を向いた大君の横顔。細められた彼の目が、赤く紅く朱く輝いた。夕日の赤よりも濃く、血の赤よりも鮮やかで、売れた果実よりも艶やか。何度瞬いても、瞳を染める妖しい色は消えない。

 記憶が蘇る。

 倒れたガスマスクたちの中に立つ流星さんの瞳の色もこんな赤だった。


「……異人なの?」


 掠れて乾いた弱々しい響き。ぽつんと零れた声が自分のものだとは思えなかった。ただし、真っ赤な瞳に映る唖然とした自分の姿は声の持ち主に相応しかった。


「…………うん」


 大君はすべてを吹っ切るようにぱっと明るい笑顔を浮かべる。「夢魔には人間と夢魔を対象に作用する誘惑の力があって……、普通、自分の性別とは異なる性別が対象なんだけど」とそこまで言って、言葉を詰まらせた。

 私の目前に開いておかれた異人辞典、大君はその中の説明文をとんとんと叩いた。小学生で学ぶ漢字だけを用いて綴られた文章には、大君の説明と同じ内容が記載されている。

 夢魔にとって人間の精気は必要不可欠のもの。それを引き出すための誘惑の力は、人間を性的興奮状態にする効力がある。

 要は疑似恋愛状態に陥った相手から気を奪うということなのだろう。


「でも、俺と兄貴は訳あり」

「……訳あり?」

「……兄貴の誘惑は雌には効果がなくて、雄に効果がある。いわば使い物にならない力なんだ」


 先ほど浮かんだ光景が再度、思い出される。

 流星さんが蹲る男たちの中で一人立っていたあの場所。ガスマスクの男たちは全員がうるさいくらいの吐息を漏らしていた。その中で正常な意識があったのは女の人だけだったはず。

 戦慄する。あの人たちは流星さん相手に性的興奮で発狂してああなっていたわけだ。心の声が「それであの惨状」と肉声になってしまうと、大君は困ったように眉を寄せて「そうだ」と私の考えを肯定をした。


「で、普通は異性に効くものだから、自分に影響は出ねえ。けど、兄貴のは同性に効くから自分にも影響が出る」

「……ご乱心の理由はそれか」


 私は自分の首筋に手を這わす。

 大きな絆創膏に隠されているが、鏡で見た感じだと流星さんの歯型がくっきりと残っていた。大君の話を鵜呑みにするなら、高揚状態で自制が効かないまま私の首を噛んだことになる。肉が食い千切られなくてよかったと安堵すべきなのかもしれない。


「俺は人一倍力が強いんだ。ちゃんと異性に効果があるんだけど、俺は雌には興味ねえし」

「も、持ち腐れ感」

「それな。しかも、俺がへっぽこなせいで自分の力を制御しきれないから、力に当てられた人が狂って狂って狂って俺を求めてくる」

「……そんな」


 すべてが通じた。そして、絶句するしかなかった。

 大君に群がるストーカーたちは、彼から発せられていた夢魔の力に当てられて性的興奮に駆られていたのか。疑似恋愛の気分に陥り、彼を欲するようになる。大君が女性にちょっかいをかけられていたのは必然だった。

 大君が正常な夢魔であれば入れ食い状態であっただろうが、彼にしてみれば不要の力であり、むしろ恐怖の対象を量産するだけのもの。


「ごめんな。秘密にしたかったわけじゃないんだ。灯なら受け入れてくれるって思ってたけど」

「いやいや、謝らないで。普通、そう簡単に告白できることじゃないよ」


 寂しそうに目を伏せた大君に、私は食い気味で否定を口にした。

 今でこそ受け入れられると断言できるのは、これまでの大君との関わりがあるからだ。もしかしたら、タイミングによっては真っ向から否定してたかもしれない。彼のことを傷つけていたかも。

 それに私が大君の立場だとしても、バレるまで黙っていると思う。信用していたとしても、告白するには勇気がいる。


「でも、やっぱり灯は受け入れてくれた」

「そりゃ、夢魔だから大君と仲良くしてたわけじゃないし」

「そっか」


 大君は楽しそうに笑った。上下の長いまつげが重なる隙間で真っ赤な瞳が綺羅星のように輝いている。

 ふと疑問が生まれる。彼の目は未だに赤く染まったままだが、私は大君に対して微塵も恋愛感情が湧くことがない。性的興奮も皆無だ。


「理由はよく分かんないけど、私は大君の誘惑に影響受けてないよね?」

「そうだな。灯は特別」


 特別? 特別って言われても、それは良い意味なのだろうか。恋愛感情が死んでいるとか、情緒がないとか、そういう意味だったらちょっと嫌だな。

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