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人型異生物保護管理機構のお仕事  作者: 真名瀬こゆ


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第58話 襲撃のガスマスク

 これだけ濡れてしまえば、シャワー室への直行はまぬがれない。開き直ってネルちゃんとともに海の中へと腰を下ろした。ざぶざぶと身にかかる冷たい波は容赦なく私の体温を奪っていく。

 私は壊れた人形のように「本当によかったねえ」と二人の恋に祝福の言葉を投げかけ続けていた。感情を表すための語彙力が圧倒的に足りていない。


「問題は流星ちゃんにどう言うかなのよねェ」


 白皙の頬に白魚のような手を添え、陰った表情でため息を落とす姿は芸術品である。

 恐ろしいことにネルちゃんと潮木兄弟の端正さには見慣れ始めていて、ふとしたときにそういえば美人だったなと思い出すようなことが増えていた。そういうときは、たいていが目に毒なくらい美麗なときだから、心臓がきりりと痛み、鳥肌が立つ。


「正直に言わないで、内緒にするとかは?」

「流星ちゃんに通じると思う?」

「……嘘、ごめん、撤回」


 確かに、バレた瞬間を想像するとぞっとする。隠すくらいなら正直に白状した方が傷は浅く済むかもしれない。


「流星ちゃんも恋すれば変わるんじゃないかしら、と思うんだけど」

「流星さん、恋人いるんじゃないっけ?」

「……流星ちゃんの恋人は、好きな人じゃないから」

「どういう?」


 流星さんの恋愛周り話はあまり聞いたことがない。デートがあるからという話も、冗談だったのか本気だったのか分からないまま有耶無耶にされてしまったし。

 この前、無人島で一緒になった時にでも聞いてみればよかったかもしれない。ただ、恋愛は錯覚みたいなことを口にしていたのは覚えている。ネルちゃんの表情を踏まえると、あまり良い話を聞かせてはもらえないかもしれないけれど。

 さすがにそろそろ海から上がらないと風邪をひいてしまうかもと思った矢先、入り江の入り口から足音が聞こえた。お待ちかねのバスタオルだ。


「大君、ありが――」


 後ろを振り返り、手を差し出した。

 至近距離の人影――、そこにいたのは、大君ではなかった。


「え?」


 視界を占領するのは、ガスマスクをつけた人間。おそらく、体躯からして男性。

 私の脳はこの状況を理解していない。ただ、本能はネルちゃんを守れと叫んでいて、私は声も上げずにネルちゃんを庇うようにして身を伏せた。

 私が彼を海に引き倒すのと同時に、しゅうううと鋭く空気が漏れるような音が聞こえてくる。瞬く間、狭い空洞に白い煙が充満した。

 不測、異常、悪意。

 やばい、どうしよう、これは絶対不味い。何が起こっているか分からないけれど、とにかくやばい。

 色の濃い煙は簡単に私の視界を奪った。耳を澄ませば、勢いよく何かが噴き出す音の影で数人の話声と足音が聞こえる。見えたのは一人だったが、他にもこの入り江に入り込んだ奴がいるようだ。

 ――何はなくとも、まずはネルちゃんを海に逃がさないと。


「……ネルちゃん、動ける?」


 小さな声で腕の中に耳打ちしたが、返ってきたのは呻き声だけだった。がたがたと華奢な体を震えさせ、苦しげな声が大きくなっていく。おかしい。怯えるにしたって異様だ。

 とにかく海の深いところにとネルちゃんを押しやっても、彼の身体はぴくりとも動かなかった。


「っ――んだこれ!? ネル! 灯!」


 大君の声が入り江の壁に反射して響き渡る。


「うぐっ――」

「大君!?」


 大君が来てくれた、という希望も一瞬ののちに消え去った。ネルちゃんと同じように息の詰まるような苦鳴が聞こえる。


「おい、こいつも異人だぞ!」


 聞いたことのない声が驚きの感情を隠さずに喚いた。

 ”異人”と聞いて、私ははっとした。気付き。自分の首にぶら下がる最終手段を思い出したのだ。なんでもっと早く気づかなかったのか。

 見えない視界でも、防犯ブザーを鳴らすことは容易い。

 おぼつかない手で首にかかった筒を手に、指が引っ掛かったままに勢いよく引き抜く。騒音に等しい音が破裂した。一定の音程を保つビープ音が重なってこの場を支配する。


「わっ――なんだ、この音!!」

「――っ、異保管の警告音だ!! 逃げるぞ!! すぐに機構員が集まってくる!!」


 視界は白、それ以外は何も見えない。耳にはブザー音、他には何も聞こえない。触れた先にあるネルちゃんの体温だけが、私が生きていることを教えてくれている。


「大君!! ネルちゃん!!」


 喉が張り裂けそうなほど一生懸命叫んだ声も、二人には届いていないかもしれない。

 どうしよう。私には何ができるんだろう。早く助けに来て、誰か。力一杯にネルちゃんを抱きしめても、彼の身体の震えが止まる様子はなかった。

 怖い。

 がたがたと体の芯が揺れていた。歯が打ち鳴る不快な音も、飛び出そうな鼓動の音も、自分のものだから鮮明に聞こえている。


「っ――!?」


 突風。荒ぶ風。入り江の中を渦巻く息吹。

 強すぎる風に目も開けていられず、強く目を閉じた。波が逆立ち、雨のように降り注ぐ。しばらくして風は止み、恐る恐ると目を開ければ視界を奪っていた白がさっぱりと消えていた。

 いつの間にか浮いていた涙を拭けば、ぼやけた視界がクリアになる。

 浜辺にはうつ伏せに倒れた大君の姿、そして、彼に寄り添うように背中から翼を生やした女性が立っていた。

 有翼の女性は私と目が合うと、足早にこちらへ近づいてきた。投げ捨てた防犯ブザーの片割れを手に取り、恭しく手渡してくれる。震える手でどうにかブザーを元の姿に戻せば、この場を支配していた音が止む。


「聞こえますか?」


 女性は私の前に膝をつき、私の両肩に優しく手を置いた。温かい熱が伝わってくる。

 彼女に敵意はない。順番待ちで整列していた感情が次々に処理されていく。ぼろぼろと涙が零れた。


「……、はい」

「異保管の者です。流星君の同僚。あなた、怪我は?」

「私は、大丈夫です」


 普段なら彼女の背中から伸びる翼に驚愕するところだが、私にそんな余裕がなかった。ネルちゃんと大君の名前をうわ言のように繰り返す私に、機構員のお姉さんは「大丈夫ですよ」と励ましを繰り返してくれた。 


「大丈夫か!?」


 新たな顔が入り江に飛び込んでくる。

 今度は知っている顔だった。クルーザーのお兄さんだ。お兄さんは手にしていた薄手の大きな布をお姉さんに手渡すと、ぴくりともしない大君を担ぎ上げて入り江から出て行く。


「彼を連れて私たちもここから出ましょう」


 言うが早いか、お姉さんは手早くネルちゃんを包み込み、そんな力がどこにあるのかというくらいに軽々と彼の身体を持ち上げた。


「一人で歩けますか?」

「はい。大丈夫です」


 力が抜けてしまっていて、立ち上がってもふらふらとしてしまう。小鹿のような弱々しさであるが、歩けないことはない。

 怖かった。今も、怖い。

 一体、あれは何だったのか。

 よろよろと太陽の下に出て、私は広がっていた光景に度肝を抜かれた。


「なっ――、なんですか、この惨状……」


 ガスマスクをした三人の男が倒れていた。それから女が一人、倒れた男に縋るようにして怯えている。全身を震える姿は先ほどまでの自分を見ているようだ。

 なぜか、はあはあと上気した吐息が誰からも聞こえてくる。なんて耳障りで不快な声だろう。生理的な嫌悪。異質な空気感なのは当然としても、さっきまでの入り江での事件と方向性が違う気がした。

 そして、何よりも私の目を引いたのはガスマスクたちではない。


「流星さん……?」


 屍のような男たちが並ぶ中、中心に立っているのは真っ赤な目をした流星さんだった。血よりも赤い色がぎょろりと動いて私の目を見る。


「ああ、紫峰、ちょうど良かった」

「……?」


 流星さんは長い足を忙しなく動かして私の目前に立つと、自身の右手で私の左耳を覆うように手を添えた。そして、力のまま私の首を横に倒す。ごきっ、と骨が鈍く乾いた音を奏でた。


「痛っ、痛いですって――っ!!」


 力加減が間違っていれば、折れていたかもしれない。

 流星さんの奇行はそれだけでは終わらず、口を大きく開いた。並ぶ白い歯、覗く赤い舌。まさか――、身を引いたところで遅かった。


「っ――いっ!?」


 流星さんは私の首筋に力任せに噛みついていた。歯が皮膚を裂き、肉に沈んでいく感覚に肌が粟立つ。肉を食いちぎろうかというほどの力強さで、悲鳴も出せないほど痛い。

 一体、何が起こっているのか。

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