第55話 夏の終わりのお誘い
本業からは一か月の休職を申し渡された。引継ぎなどの調整もなく決定事項だと一方的に示されたそれは、異保管側からの圧力の結果である。一般的に公にされていない異人の存在といい、私の副業が押し通されたときといい、権力のにおいしかしなかった。
事件の進展はこれっぽっちもない。
夏季休暇中でフロア全体に人がいなかった数日の間に私のカードキーが不正に使用されたのは事実だが、それを証明する監視カメラの映像は一つも残っていなかった。工作が露見したのが休み明けだった事実が証明している通り、気づいたときにはすべてが終わったあと。
研究所生活、六日目。
正直、研究所での生活は快適なものだった。今までの自由出勤から定時出勤になっただけ。生活リズムが崩れなくて逆に有難かった。
仕事終わりにネルちゃんと話しをしたり、大君と海沿いを散歩をしたりしているうえに、谷田と尾野からもまめに連絡がきているので、酷く気が滅入ることもない。たまに思い出したように不安になるが、誰かが励ましてくれるおかげで何とかなっている。
私は周囲の人間に恵まれていた。
おかげさまで、ちょっと田舎に療養しに来ましたという感覚で毎日を過ごせている。
「こんにちは、紫峰さん」
「お疲れさまです。三鷹さん、なんだかお久しぶりですね」
「ええ」
本業がある三鷹さんは、以前の私と同じく土曜のみ研究所に出勤している。最後に会ったのはシア君が入り江で迷子になっていたときのはず。あれからいろいろとあったせいで、余計に時間が過ぎていたように思えた。
シア君についても決定的な続報はない。もう陸に上げられているというのが有力で、人魚が流通しそうな闇市場を片っ端から当たっているところらしいが先の見えない話だという。
無言で考えに耽っていた私が思いつめているように見えたのか、三鷹さんは気遣うような調子で「谷田さんと大河君からお話は聞きました。俺に力になれることがあれば言ってくださいね」と声をかけてくれた。また新たな心配をかけてしまった。
「……三鷹さんは大丈夫ですか? 変な手紙が来たりとか、誰かに追われたりとか」
「俺は大丈夫ですよ。紫峰さんは自分のことを心配してください」
そう言って、機構員見習い仲間の彼はいつも通りに笑ってくれる。本当に私の周りにいる人たちはみんな優しい。
私たち以外に人のいない研究室を見渡した三鷹さんは「静かですね」と小さく呟いた。抑えた声量にもかかわらず、声は何にも遮らずに響き渡る。
「皆さん外出ですか?」
「二人とも本業のお仕事です。流星さんは午後に帰ってきますよ」
ここのところは潮木兄弟が気を遣ってくれていたので、一人になることはなかったが重なる日は重なるものだ。一人で残していくのは不安だからどちらかの仕事についていくようにと提案されたが、どうにかごねにごねて留守番の任を勝ち得た。
二人とも優しいを通り越して過保護の面がある。特に流星さん。大君への態度もそうだし、彼は本質的に人の世話を焼く側なのだろう。
「紫峰さん、今年は花火を見ましたか?」
「花火? 見てないです。今年どころか、しばらく行ってないかもしれません」
最後に花火大会に出かけたのは、社会人になる前のことだ。三年近くも前である。誰と行ったのかも思い出せない。
そもそも、花火大会は嫌いじゃないが、積極的に赴いたことはない。ポスターや浴衣姿の人たちを横目に、ああ花火大会があるんだなと思うくらいだった。まあ、私が花火大会大好き人間だったとしても、今年はシア君の件でそんな気分にもならなかっただろう。
「今日、美湊の花火大会なんです」
確かにポスターを見たような気はするが、今日開催だったのか。
「紫峰さん。デート、しませんか」
「……はい?」
「美湊の花火大会は規模も大きいし、迫力ありますよ。俺、穴場も知ってるので気分転換に一緒にどうですか?」
どうですか、と言われても、どうでしょう。
ぱたりと閉口した私に三鷹さんは「流星さんの許可がいるなら、俺が取りますから!」と早口で続けた。期待に満ちた瞳で詰め寄られ、視線を背けたくなる。
行きたいか、行きたくないかで言えば、行ってみたい。しかし、デートという枠組みで出かけるのは遠慮したい。こんな状況なのに、特定の異性と出かけるなんて気分転換どころか、自分の首を絞めるような行為だ。
「さすがにこの状況では――」
「そう、ですよね」
湧き出る罪悪感に今度こそ視線を背けた。
そんなに目に見えて落ち込むのは止めて欲しい。大君や三鷹さんみたいな心の声が目に見えるタイプにお断りを入れるのは、こちらが悪いことをしている気になってしまう。大君なら気心知れているのであしらえもするが、三鷹さんとの微妙な距離感だとどうしようもない。
「あ! じゃあ。研究所の屋上ならどうですか!?」
「え?」
「ここからでも見えると思うんです。俺、紫峰さんが隣にいてくれるなら場所はどこでもいいので」
あまりにも思わせぶりなことを――、いや、これは思わせぶりというには直球すぎるか。こんな口説くみたいなこと言ってて恥ずかしくないのかな。私だったら羞恥に負けて、噛み噛みになって何も伝えられないまま終わることになっているだろう。
「それならどうですか?」
「そう、ですね。流星さんの許可が下りれば」
もはや、流星さんは私の保護者にもなりつつある。それは私の思い上がりではなく、周知の事実でもあった。あれだけ手のかかる弟の面倒も見て、私の面倒まで見させるなんて。仕事を増やして本当に申し訳ない。
私の返答を聞いて、三鷹さんはにこにこと破顔した。眩しい。こんなに親しみやすくて優しい人が、私なんかを好きになるなんてあり得ないと思うのだが。
「楽しみですね!」
浮ついた三鷹さんの雰囲気につられ、のろのろと口角が上がった。そこまで幸せそうにされるとむず痒くて仕方ない。




