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人型異生物保護管理機構のお仕事  作者: 真名瀬こゆ


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第52話 最悪の幕開け

 酷い夏休みだった。

 異保管のお仕事を休む気になれなかったし、むしろ、日数を増やしたいくらいだったけれど、「紫峰が来ても意味がない」と流星さんに真正面からはっさりと断られ、そのまま夏休みに突入した。

 正直、気が気じゃない。シア君は未だ行方不明。ネルちゃんとはメッセージでだけ連絡を取っているが、情緒が不安定なのは文字からも感じ取れる。

 元々の予定通りに残りの夏休みを過ごしたが、家族にも友達にも体調が悪いのかと心配され、自己嫌悪を募らせるだけの日々になってしまった。

 ふとした瞬間にシア君の顔が浮かび、毎日のように嫌な夢を見る。

 今まで誘拐に遭った人魚たちは全員、帰ってきているのだから、きっとシア君も大丈夫――、そう信じたいのにどうしても最悪の想像が吹っ切れない。

 

 夏休み明けの初日だからという理由だけではなく、朝から身体が重かった。ずっしりとした得体の知れない何かが肩に乗っかっているような気だるさ。

 満員電車から解放され、人に流されるまま改札を抜ける。一週間ぶりの通勤の道を歩きながら、どうにか思考回路を切り替えるために考えを巡らす。

 これからは本業の時間だ。仕事に影響を及ぼしたらいけない。

 私の切り替えのきかなさを注意をするように、鞄の中の携帯が鳴り響く。やばい、休み感覚だった。マナーモードにするの忘れてた。


「はい、紫峰です」

「紫峰、今どこ?」

「尾野? なんかあった?」


 出社すれば毎日聞いていた声のせいもあって、たった数日ぶりでも懐かしく思えてしまう。

 しかし、そんな冗談を言える雰囲気ではなかった。尾野の声には焦りが滲んでいる。何か会社で問題でも起きたのだろうか。

 強い口調で「今どこ!」と問い詰められて、押し切られるままに「改札出たところだけど」と答えた声は上ずっていた。尾野がこんなに声を荒げているのを聞くのは初めてだ。


「近くの喫茶店に入って待ってて。 入ったら店の名前送って。すぐ行くから」

「はい?」

「いいから。分かった?」

「わ、分かった」


 尾野の気迫に負けた。遅刻しちゃうよと口を挟む間もなく切られた電話を見つめる。ただでさえ気が重かったのに、さらに重みが増していく。

 近くの喫茶店と首をひねれば、潮木兄弟と訪れたコーヒーショップが一番近かった。この店にはあまり良い思い出はないが、すでに疲れている足で遠くに行くのも嫌でそのまま店に入った。

 朝からまあまあ席が埋まっている。でも、席を取ってから買うほどでもない。

 アイスコーヒーを片手に空いている席を探して見渡すと、知っている顔があって何となく引き寄せられた。

 金から桃に色の変わるツインテール。この夏には暑そうに思えるゴスロリ。大君のストーカー、帆座ゆにさんだ。このあたりでよく見かけるし、学校か職場かが近いんだろうな。


「おはようございます」

「は――?」


 当然の反応だと思う。彼女からすれば、私は友人どころか知人でもない。帆座さんは私の顔を一瞥して、それから、つーんと顔をそむけた。ちょっと可愛らしいなと思ってしまう。疲れているのだろうか。気づいたら、彼女の隣の席に座っていたのでやはり疲れているのだと思う。

 尾野に店の名前と座席の位置を送ってから、ものの数分で彼女は目の前に現れた。会社から近いとはいえ、こんなに早いとは。連絡の前にこちらに向かっていたに違いない。


「紫峰っ!」

「おはよ。どうしたの? そんな慌てて」


 息の上がった彼女は、流れる汗もそのままで私の対面の席に腰を下ろした。いつもクールな彼女にしては珍しい。飲み物もなく、代わりに買いに行こうかと立ち上がろうとしたら鋭い口調で止められた。

 尾野は私のアイスコーヒーをかっぱらって喉を潤す。言葉と行動が一致していない。


「あんた、誰かに見られてたり、追われたりしてない?」

「はあ?」


 監視ってこと? 私は犯罪者か何かか。

 一瞬、本当に一瞬だけ、隣の席をチラ見してしまったことは許して欲しい。帆座さんはこちらの席など存在しないかのようにスマホをいじっていた。


「紫峰、驚かないで聞いてね」

「な、何……?」


 尾野は真剣な口調でそう言うと、真っすぐに私を見据える。なんだか、ネルちゃんの顔が脳裏にちらついて、心臓がぎりりと軋んだ。

 この顔は芳しくないことを言う前触れだ。


「あんた、ストーカー被害とか遭ってない?」

「ストーカー?」


 大君じゃあるまいし。

 再度、隣の席を横目にしてしまった。本当に申し訳ない。しかし、ストーカーと聞いて私の頭に浮かぶのは、大君、帆座さん、刃物女の三人一セットなのだ。あまりにも強烈に記憶に刻まれてしまっている。

 ぶんぶんと大きく首を振って「そんな訳ないじゃん!」と笑って返してみたものの、尾野は視線を逸らすだけだった。

 空気が僅かに暗くなったように思える。わざとらしく笑い声をあげている場面でないと咎められているようで、私は大人しく口を閉ざした。

 尾野は険しい顔でぱちんとテーブルを叩く。その手のひらがどかされて現れたのはプラケースに入ったセキュリティカード。そして、入社時の写真が印刷された私の社員証。


「まずはこれ。これ、紫峰のカードキー」

「――え、なんで尾野がそれ持ってるの?」


 彼女の手にあるのは、私が会社から貸与されているネックストラップ。本来、私の鞄の中に入っているはずのもの。

 慌てて鞄の中を漁ってみても、見つかるのは美湊海洋生物研究所のカードキーだけだった。


「カードキーが……、ない……」


 いつ落としてしまったんだ。夏休み前、会社を出るときにはあったはずだ。その後に落としたのか、どこでだろうか。


「これ、盗まれたものだと思うの」

「ぬ、盗まれた?」

「そう。あんたの鞄から、あんたのストーカーが」


 尾野は何の話をしているんだ。

 みぞおちあたりがぎすぎすと痛む。冷や汗が背中を伝い、指先の感覚が鈍っていく。口元はへらりと笑みを作ったけれど、現実逃避の一環でしかなかった。尾野が話している内容を受け止めきれない。

 そんな、まさか。まさか。まさか。


「……、出社してた人たちは見せない方がいいって判断してたけど、私と谷田は見せるべきだと思ってる。じゃないと、あんたは全然平気って押し通しちゃうと思うから」


 すう、と音がするほどに深く息を吸った尾野は、自分のスマホを私に差し出した。テーブルを滑って目の前に来たその画面に映っているのは執務室にある私のデスクだった。

 ただし、私はそれが自分の席だと判別できていなかった。


「な、に、これ――」


 机の周りには紙が散乱している。

 紙の種類は二つ。一つは写真。もう一つはコピー用紙。写真の方には何が映っているか、この画像からが分からない。しかし、コピー用紙に書かれた文字は見えた。何枚あるかは分からないほどの大量の紙に「尻軽女」「売女」「ビッチ」と性的に軽薄な女を罵る言葉ばかりが並んでいる。


「これ、あんたの机。朝来たら、こうなってたって」

「は!? 私の!?」


 声を荒げてしまい、周囲から視線が刺さる。私は口元を抑え、まじまじと画像を見た。よくよくと見れば、確かにそれは私の自席だった。

 なんで、どうして、思い当たる節がなさすぎる。

 何かしら文句を言われるにしたって、枯れているとか、独り身をいじられる方が私にはお似合いのはずだ。恋人はしばらくいない。


「あと、これが写真。何枚か持ってきた」

「写真……?」


 尾野の手から渡された写真は十数枚くらいの厚みがあった。一枚目、私が大君と一緒に居酒屋にいる写真だ。二枚目は三鷹さんと入り江近くの海岸にいる写真。次は、流星さん。その次は、大君。それから、また流星さん。

 必ず私が映っている。そして、私の隣には大君か流星さん、三鷹さんのいずれかの姿があった。一体、いつこんな写真が取られたのだろう。大半は研究所の傍にいるところを撮られたものだ。

 ぞわぞわとした悪寒が足先から身体を這いあがってくる。気持ちが悪い。胃がねじ切れるような痛みがする。

 見たくはないのに、手は勝手に次へ次へとめくり続けていた。最後の一枚――。

 それを目にした瞬間、ぐらぐらと視界が揺れた。

 私の手から写真たちが滑り落ち、テーブルの上に散らばる。まるで、尾野のスマホに映る自分のデスクを再現しているかのようだった。


「紫峰? 大丈夫?」


 最後の一枚はまだ私の手に残っている。その写真はわざとらしく被写体がずれていた。二人の顔しかフレームに入っていない。

 何度見返しても、人物の顔が変わることはなかった。あり得ない。あるはずない。あってはいけない。


 ――ネルちゃん。


 この写真では彼が人魚だと分からないが、フレームを外れたところには、美しいエメラルド色の尾びれがある。写真を撮った人間には見えているはずだ。どうしてこんな写真が――。

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