第45話 人魚姉弟
「――私、惚れっぽいのかなあ」
「どっちかって言えば、身持ちが硬すぎる方よォ」
羞恥に支配された私は、膝を抱えて体育座りに切り替えた。ぐりぐりと顔を自分の膝に押しつける。このまま穴にでも収まって消えてしまいたい。
ぱしゃん、と今日は何度も聞いている水の跳ねる音がする。
質量のある音に一瞬、ネルちゃんが海に飛び込んだのかと思ったが、私の頬をつつく指はそのままだった。
「ネル! あんたいつまで戻ってこないつもりよ!」
女子の声。
「お姉ちゃん」
ネルちゃんが呟いた呼び名に、私は羞恥もすっ飛ばして顔を上げた。
橙に染まった海面から顔を覗かせている人魚。緩やかな癖のある真っ赤な長髪。大きな瞳はつり気味の猫目で、気の強そうな印象を受ける。
ネルちゃんと同じ色の瞳が勝気に輝いてこちらを見ていた。
「――うわ、美人姉妹」
身体的特徴に色濃く表れている血縁の証。尾ひれの鱗のエメラルド色もネルちゃんと一緒。ただ、上半身を隠す鱗がネルちゃんよりも多い。女の子の人魚は初めて見るが、胸元は鱗で隠されている。半裸じゃなくてちょっと安心してしまった。
「君、誰?」
ぎょろり、と大きな目にねめつけられる。
顔つきは似ているので彼女も当然のように美人なのだが、ネルちゃんのような神々しいまでの迫力はない。容姿を比較するなど感じが悪くて申し訳ないが、やはりネルちゃんは人魚でも逸脱した美貌のようだ。
私は体育座りを止め、正座に切り替える。それから深々と座礼した。
「異保管の機構員見習いとして、潮木流星さんの補助員を務めさせております。紫峰灯です」
「……ふうん、君があの灯ね。ネルに聞いてるわ」
「光栄です」
見た目の印象を裏切らない気の強さ。値踏みするようにじろじろと見られ、少しばかり委縮してしまう。へらへらと緊張をお茶を濁すように笑ってみても、彼女の視線は鋭くなるだけだった。
「灯ちゃん、こちら私の姉でアロマナよォ」
アロマナさんは「どうも」と言葉を返してくれたが、どこか素っ気なかった。まあ、初対面の下っ端相手ならこんなものか。
いつか紹介すると言われていたお姉さんが突然に現れたことに、私はあまり驚きはしなかった。なんなら、ここは本当に人魚の島なのだと実感したくらい。入り江でシア君に会ったせいで、ハードルが下がっているのかもしれない。
しかし、絶妙な空気感である。ネルちゃんもアロマナさんもどちらも口を開かず、私も特に話題を振らず、出方を窺うような張り詰めた沈黙だ。気まずさすらある。
しかし、その空気感は私のポケットから鳴り響いた間抜けな音に壊された。スマホの初期設定の着信音。
ネルちゃんとアロマナさんの視線に刺され、「すみません、電話出ます」と断りを入れながらポケットを漁った。相手は流星さんである。
「はい、紫峰です」
「終わったよ」
「戻れば良いですか?」
「ああ」
終話。無駄話をされるよりはいいが、手短もいいところだ。シア君が泣いていないといいけど、どうだろう。
通話をしている私の発言で、ネルちゃんは状況を察知したらしい。するりと海へ飛び込んだ。私も続くように立ち上がる。
「アロマナさん。私たちは仕事があるのでこれで失礼します。お会いできて嬉しかったです! じゃあネルちゃん、行こ――」
「待ちなさい」
「はい?」
アロマナさんはより一層に鋭く尖らせた視線で私を捕えた。それから、びりびりと痺れさせるような声で「ネル、シアを連れて先に帰っていなさい」と弟の顔も見ずに指示を出した。
私とネルちゃんは一瞬、アロマナさんの言葉の意味が分からなかった。動かないネルちゃんに呆れてか、怪訝な顔をしている私にイラついてか、アロマナさんは長い尾ひれで強く海面を叩いた。水しぶきも上がらない強打、急かしたてるような苛立ちの音。
「……はァい。またね、灯ちゃん」
「えっ――あ、うん。また。シア君にもよろしく」
え、本当にそういうことなの。ネルちゃん、私を置いていくの。
ネルちゃんは柔らかい動作で水中へと消えていった。水面を動く影はすぐ見えなくなり、砂浜に立つ私と浅瀬に座ったアロマナさんだけが残される。
「あの? アロマナさん?」
「アロマナで構わないわ」
「じゃあ、アロマナちゃん。私に、何かご用でした?」
用事があるのは構わないが、それが悪い話ならご遠慮したい。
アロマナちゃんの視線に押され気味の私は、なるだけ視界が近くになるようにその場に座り込み、元の大勢に戻った。
しかし、綺麗な赤髪だ。燃えるような赤には、太陽の光にも海の青にも負けない強さがある。夕日の色すら通さない純然たる赤。
「君、どっちの味方?」
「……どっち、と言いますと」
「流星と大河。どっちの味方なの?」
流星さんと大君?
要領を得ず、疑問符ばかりを大量生産する私に、アロマナちゃんは再び海面を叩いた。声色にも煩わしさが滲んでいる。察しが悪くて申し訳ないが怒らないで欲しい。美人の凄みには迫力がある。ありすぎる。
「どっちつかずにいるなら、私と流星と一緒にあの二人の恋をどうにかするのを手伝って」
――やっべえ、どっちってそういうことか。この子も流星さんと同じで、人魚と人間の恋愛には反対派か。
私としては全面的に大君とネルちゃんを応援したいのだが、この空気でそれを言い出す勇気はなかった。なぜって、アロマナちゃんの圧力が強い。
「えっと……、ちょっと考えさせてください」
私の苦し紛れの回答を聞くと、アロマナちゃんはぎりりと悔しげに唇を噛んだ。異保管の補助員として、人魚のために力にはなってあげたいが、個人の恋については話が違う。流星さんに言わせれば、異保管的にも別種の恋は推奨していない、と正されそうだが、推奨されていないのと禁止とでは話が違う。あとは個人的贔屓。
「そう」
短い返事をしたかと思えば、大きな水音とともに姿が消える。しばらく待ったものの、彼女が再び顔を見せることはなかった。
自由奔放というか、嵐のような子だったな。
たった一人、美しい浜辺に残った私の心を表すなら清閑だ。人魚とはかくも難しい生き物のようである。でも、負の感情は一つもない。美しく、気高く、目も心も奪っていく。




