第31話 関係性の展開
大君の処世術に度肝を抜かれたことにより、私は大君の保護者として階段をまた一段上ってしまった。危うすぎて放っておけないのだ。こんな変人と関わっちゃいけない、と思わせないのが大君の魅力である。
ネルちゃんの幸せのためにも、大君には恋愛観と対人関係観を見直して欲しいが、根の深い問題だ。一朝一夕でどうこうはできない。
暦は八月に差しかかっており、異保管の補助員として、試用の試用期間は卒業した。たったの数回の業務経験であるが、一回の内容が異様に濃いので新人気分はすでにすっ飛んでいる。
朝の挨拶と共に研究室に入れば、麗しの上司が優雅にマグカップを傾けていた。今日も白衣が眩しい。
「朝、駅で大君のストーカーさんに会いましたよ」
「誰?」
「帆座さんっていう女の子ですけど、名前聞いて分かるんですか?」
もはや帆座さんにはちょっとした親近感が湧いている。確かにストーカーには違いないのだが、彼女には狂愛というよりは純愛を感じてしまうのだ。
大君も帆座さん相手には他のストーカーより反応が薄い気がする。当社比。まあ、反応自体は拒否反応であるから、できれば会わせないに越したことはないのだけれど。
「主要なのはある程度把握してる」
主要なストーカーとはどういった存在なのだろうか。控えみたいのもいるのか。予備軍的な。
「ストーカーって放置してるんですか?」
「悪質なのは通報してたけど、あまりに案件が多いから、大河に原因があるんじゃないかってことで最近は突き返される方が多い。相談に行ったときに、大河を見かけた女巡査がストーカーになったこともあったし」
しれっと言っているが、普通に警察の対応に問題ありすぎでは。しかし、私は声を大にして大君の無実を主張できなかった。彼のあの調子からして、本人に自覚のないまま誰かの何かを踏み抜いている可能性は十分にあり得る。
なるほど。警察に頼り切れないから、モンペ過保護ブラコン過激派お兄さんが出来上がったのか。会心の傑作だろうな、なんて茶化している場合ではない。私もその世界にずぶずぶと沈み始めているのだから。
「正直、大君がストーカーに被害に遭いまくってるのは納得がいきます」
「可愛いからね」
「魔性の男感ありますよね」
「可愛いからね」
「ブラコンがすぎません?」
「可愛いからね」
そうですね、確かに可愛いですね。
ネルちゃんが来るまで時間はあるし、今日も引き続きお勉強だ。ネルちゃんに時間があれば少し相手になってもらって、人魚の生態の話でも聞かせてもらおう。
異保管の勉強も捗り、ネルちゃんとも時間通りに状況聞き取りを終わらせた。あとは、報告書の提出を終えるまでが午前中の作業の目処だ。報告書はメールでと言われているが、流星さんがお手隙の際は口頭で聞いてくれるらしい。
ちょっと緊張する。
「環境調査としては例年と数値が大きく変わっていませんでした。ただ、先週から天気が悪く、日照時間が短くて水温が低下傾向にあるみたいです。温度差に耐えられずに体調不良を訴える人が増えているということでした」
「分かった。このまま増加傾向だったり、症状が長引くようなら療養用のプールを検討するから、経過観察するように伝えて」
「はい」
療養プールなんて、どこに作るのだろうか。海中展望室はそれなりに広いけれど生活空間には狭いと思う。あそこに水槽か何かを設置できたとして、入れるのはせいぜい一人だろう。
しかしまあ、流星さんは本当に一人でよくお働きになられる。プールの設計まで始めたらどうしようか。
「そういえば、誘拐の件はどうなったんですか?」
「上ともかけ合って、警備の人間を増やしてもらってる」
「それなら安心ですね」
「気休めだよ。誘拐が多発しているってことは、人魚が顔を出す場所はある程度目途をつけられてるってことだ。でも、それがどこだか分からない」
「……なるほど」
となると、やはり人魚側に何か対策をしてもらうしかないのか。
でも、警告だけで完全に防止することは無理だと思う。人間だって増水した川に近づくなと警告があったにも関わらず、様子を見に行って流される人がいたなんてよくある話だ。自分だけは大丈夫だと信じ、駄目だと言われていることをやる人種は必ずいる。
「紫峰、悪いけど、今日の帰りは大河を送ってくれる?」
「構いませんよ」
もはや、私にも大君を一人で帰すという選択肢が存在しない。
というか、大君来てたのか。一瞬もその姿を見ていないが、また入り江かな。先の入り江での事件を思い出して胃がきりきりする。展望室を使ってくれればいいのに。
「流星さんは何かご予定ですか?」
「デート」
「……彼女いたんですか?」
「さてね」
イエスかノーの質問にさてね、とは。
確かに、この色男を世間の女性たちが放っておくはずがないだろう。外面の性格はいいし、顔もいいし、頭もよければ収入もいいときた。深く関わらなければ、ダークマターを抱えた性格も狂気のブラコンも露呈しない。
しかし、勝手ながら、流星さんの恋愛機能は大君に吸い取られたものだと思っていた。ド級にドライだし、恋人作るくらいなら新種のヤドカリを探しに行くくらいのものだと。
「流星さん、さぞかしモテるでしょうね」
「恋なんて何が楽しいんだろうね」
「……」
想像通り。私の目線からはギャップも何もない。大君からロマンチシズムを学んだ方がいいと思う。
「潮木兄弟の貞操観念はどうなってるんですか?」
「僕は普通だよ」
「いやいやいや」
「でも、君が普通を語れた義理もないだろ?」
嫌味なのか、からかいなのか。流星さんの声色は弾んでいる。
確かに、私の恋愛観も普通ではないかもしれない。好きになった人と結婚するという流れの前に、親の決めた人と相性を判断して結婚するものだと思っていたし。恋愛と結婚が絶対に紐づくわけじゃないにしたって、私の恋愛遍歴といえば、実家を出てから反抗期の延長のように恋人を作っただけで、卑屈な達成感はあれど心の充足感はなかった。
「……私にだって声かけてくれる人くらいいるんですからね」
「大河とか?」
「……何か聞きました?」
「やっぱり、僕の見る目は間違ってなかった。大河に恋人にしたいと思わせる女が存在するとはね」
愉快そうですね、お兄さん。
流星さんとしては思惑の通りなのだろうか。私にその気はなくとも、大君とネルちゃんの障害に変化しそうなのは事実だ。ひくりと口角が痙攣した。
流星さんはそんな私の反応にそれはそれは優しく微笑んだ。すべてを浄化する女神のような表情で「仕事も真面目にやってくれるし、僕から言うことはないよ。大河に恋愛対象として好意を抱かれることは一生ないけどね」と刺々しいお褒めのお言葉をいただいた。仕事を評価されるのは嬉しいが、私はそこまで流星さんの思い通りになるつもりはなかったのに。悔しい。




