第30話 甘やかして
平日、仕事の帰り道。見慣れたイケメンが、いつもより気張った格好で立っていた。
「あー、灯! やっと来た! 遅い!」
「お疲れ、さま……?」
大君は比較的地味でシンプルな格好をしていることが多い。女の人に声をかけられるのを嫌がってのことだ。 ただ、それでもイケメンは隠しきれていなかったから、あまり意味はなかった。大君自身は頑張って隠れていたようだから、私から指摘したことはない。
しかし、たった今、あれには意味があったことを思い知らされた。
「大君、今日、ちょっと格好よすぎない? どうしたの?」
隠してないときの潮木大河のオーラすげえ。眩しくて目が潰れそう。
すれ違う人の目を奪うのは当然とばかりで、老若男女の視線にひるむことなく煌めいている。視線こそ集めているものの、近寄りがたい尖った雰囲気に声をかけようとする人は誰もいない。
「灯とデートしようと思って」
「はあ?」
周囲から悲鳴に近い嬌声が聞こえる。漫画か? こんなこと現実にあるんだな。
普段ならこの声で縮みあがるはずの大君は、変わらずに堂々としたものだ。完全にスイッチが入った状態である。
「……大君、お友達っていうのは、全員が恋人になるもんじゃないんだよ」
「知ってるよ」
「じゃあ、デートじゃなくて、遊びに行くだの、飲みに行くだのでいいんじゃないの?」
「デートじゃなきゃ、手もつながないし、抱き合ったりもしないだろ」
「ごめんね、大君。本当に何言ってるか意味が分からない」
いつもと違うのは見た目だけじゃなく、頭の中ものようである。
二人で出かけることについて、”デート”だと銘打ったのは今回が初めてのことだ。一体、誰に何を吹き込まれたのか。私とデートしている暇があるなら、ネルちゃんとの親交を深め、流星さんを説得する術を考えた方がいい。
私が乗り気じゃないのを察してか、下から顔を覗き込むように背中を丸めた大君は「甘やかして」ととびっきりに媚びた声を出した。本当にどうしたの。
「嫌だよ。たくさんいる恋人さんに頼みなよ」
「灯に甘やかしをして欲しいの!」
まずは恋人がたくさんいることを否定して欲しかった。
私と同じ目線にいる大君は、むっと口をへの字にして見せる。あざとい、可愛い、甘え上手。大君は私の考える最強の末っ子を体現している。この図体でこんなに可愛いことあるんですか。そうですか。
ここで二人きりだったら陥落している。しかし、騒がしすぎる外野が、私にTPOというものを強烈に意識させていた。
「じゃあ、流星さんが適任じゃん。需要と供給の一致」
「冷てえ」
今度はぷくりと頬を膨らませる。二十歳、モデル兼異保管補助員、いい大人のくせに大層可愛い。大君はこうやって流星さんをブラコンに叩き落としたのだろうな。なかなかしたたかだ。
「デートじゃないなら行く。デートなら行かない」
「手、繋いでくれる?」
「あのさ、大君。ネルちゃんが他の子と手を繋いで、他の子とデートしてたら嫌でしょ?」
「ネルには言ってきた」
「おいおい」
大君に世の中の一般的な恋愛論に則れというのは難しい話かもしれないけれど、それにしたって一体どんな思考回路なの? ネルちゃんの気持ちを想像することはできないの?
「灯ならいいって」
ネルちゃん?? というか、大君はよくも好きな人に対してそんな発言をしたな。彼を送り出したネルちゃんの気持ちを考えると心が痛い。それ、本当は嫌だけど、押し殺して送り出してくれたんじゃないの。
報告すれば浮気が許されるわけじゃないんだぞ。
「分かった。行こう。でも、デートじゃないし、手も繋がない」
「キスは?」
「もっとしない」
大君の発言に周りが騒げば騒ぐほど、私に刺さる身の程知らずと評価する視線。好奇の目に晒されるのも限界である。
場合によっては、恋愛観念の緩すぎる大君の話を聞いたうえで、説教をしなければならない。私は大君の限定的な一面を見ていただけで、実は彼の人となりを全然知らないのかも。
大君は本当にデートのつもりで来たらしい。いや、良し悪しは別として疑ってはなかったけれども。
いつもはその辺の安い居酒屋でだらだらするところだが、今日は値段よりも雰囲気重視のお店へと案内された。個室に案内されれば、壁には水槽が埋め込まれていて観賞用の熱帯魚がゆらゆらと泳いでいる。
なんだか落ち着かない。
正面に座る大君は髪型も違うし、雰囲気も違う。私はいつものへにゃへにゃしている大君の方が好きだが、谷田あたりは今の彼を見たら大発狂だろうな。
「あのさ、大君、ストレスでも溜まってる?」
「……え?」
「さすがに何かあるのは分かるよ」
行動があまりにも突拍子なさすぎる。
じっと大君を見据えると、彼は居心地が悪そうに肩を竦めた。それから、きょろきょろと視線をさ迷わせる。ようやく私と視線を交わらせる頃には、テーブルの上には飲みものと洒落たお通しとが並んでいた。
「あのさ」
「うん」
「灯、あの眼鏡と付き合わないよな?」
「……なんて?」
あの眼鏡、で思い当たるのはたった一人。この前の土曜、入り江に乱入してきた三鷹さんだ。彼がどんな知り合いかはざっくりと説明していたが、それがなんだというのだ。
「付き合わないよ。でも、それでなんでデート?」
若い子の考えはよく分からない。
大君はこれ以上は限界なほど小さくなって、もごもごと何かを言い淀んでいる。私の目には怯えるポメラニアンにしか見えなくて、悪いことをしていないのに罪悪感が猛威を奮っていた。
「俺のこと好きになったら、他の奴と付き合わないと思って」
「……?」
「灯、俺のこと嫌い?」
絶句、そして、私は頭を抱えた。話を整理しよう。
大君は私と三鷹さんに付き合って欲しくない。そして、付き合わないようにするには、自分を好きになってもらえばいいと考えた。だから、デートしようって結論に至った――――、友情を愛情に傾けるために。
子供染みた青い独占欲。恋愛を対人関係の基盤に置いている歪んだ認識。偏屈な自己犠牲精神、いかれた情緒。
「大君」
名前を呼んだはいいものの、続ける言葉は見つからなかった。
私は不安そうな顔でこちらを窺ってくる可愛い友人、改め、常軌を逸した奇人になんと伝えるべきか頭を悩ませる。同性愛者であることを告白されたときより難題だ。
大君が私に恋人ができることを嫌がっているのは分かった。分かったけれども。
結局、今、この場で適切な対応は思いつかなくて、苦し紛れに「三鷹さんとも付き合わないし、大君とも付き合わない。三鷹さんのことはどうとも思ってない。大君のことは好きだけど、恋人じゃなく友達。大君だってそう思ってくれてるでしょ? お願いだから、いつも通りにして」と早口でまくし立てるしかできなかった。
納得したのか、していないのか。少なくとも、私が恋人を作る気がないのは伝わったようで、大君は満足そうに笑っている。憎たらしいくらい純粋で、ため息も出るというものだ。




