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第2話 美しさは罪である

 ぱっちりとして生意気そうな茶色のつり目、すっと通った鼻筋、大きな口に薄い唇。絵にかいたような比率の輪郭に、荒れた形跡のない肌、赤みのかかった茶色の短髪。同じ国籍の人間とは思えないほど、おうとつのしっかりした端整な顔立ち。

 遠目にも美しいと思ったけれど、至近距離で見てもやはり美しい人だった。というか、至近距離だからこそ、誤魔化しのきかない美しさを見せつけられている気がする。

 そんな青年の顔色は悪く、未だに動揺しているようだが、私と駅員さんの顔を見て自分を追っていた刃物女が取り押さえられていることは察したらしい。荒かった呼吸が徐々に長くゆったりとしたものになっていく。


「大変でしたね。歩けますか? 駅員室に行きましょう」


 駅員さんは私と青年の背中をぽんと軽く叩くと、階段の上を指さした。なんだか、いつもより遠く見える。

 美しい青年はようやくと私を解放した。離れていく温かさに比例して、緊張感みたいなものが解けていく。無意識のうちに気管が締まっていたようで、しゅるしゅると勝手に吐息が漏れ出た。


 私と青年との間に会話はなく、駅員さんに導かれるままに足を動かした。生まれたての小鹿よりも弱々しい私の足取り。駅員さんの腕を借りて、どうにか足を進めることができる。

 青年はきょろきょろと周りを見回し、警戒している様子だった。あの刃物女はどこか別のところへ連れて行かれたようだし、外敵の姿は見つけられないだろう。あるのは好奇の視線だけだ。


「お二人とも本当に怪我はありませんか?」

「私は大丈夫です」


 突然の臨死体験にまだ心臓はドキドキとうるさかったが、言葉を紡げないほどではない。

 青年の方はふるふると首を横に振るだけで答えていた。安否を聞いた駅員さんはどこか興奮した様子で驚いただとか、無事でよかっただとか、おそらくは思いついたままの言葉を重ねている。大変申し訳ないがあまり耳に入ってこない。


 そうして移動した先、招かれたのは”関係者以外立ち入り禁止”と掲げられた扉の先にある駅員室。普段、改札を通りながら横目に見るばかりで、中を想像したこともなかったが思っていたより広く、パーテーションによって区画分けされている。

 私たちが案内されたのは、窓口の向こうを行き交う駅の利用者たちからは見えない部屋の奥、さらにその隅っこ。デスクにパソコンが並び、積まれた書類と飲みかけのペットボトル――仕事の途中ですというのがありありとしている。その仕事場を横目に二脚のパイプ椅子が並べられた。


「さあ、座ってください」

「……、ありがとうございます」

「すぐに警察が来ますから」


 言うが早いか、私と青年が椅子に座るが早いか。駅員さんはばたばたと扉の向こうに消えていった。こんな状況で放置されるのか、と扉へ消える背中を見送る。

 パーテーションの向こう側では通常業務に勤しむ別の駅員さんがいるが、こちらからは見えない。日常が遠い世界に思えるのは、さっきの出来事のせいだろうか。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 黙りこくり、肩をすぼめ、俯いた状態の青年。

 意識しないようにしても、嫌でもに視界に入ってしまう。斜めから見える鼻筋の高さに、自分の鼻を触ってみたが期待外れであった。

 ざわざわとした雑踏の音こそ聞こえてくるけれど、この一画は音を奪われたように静かだ。なんだか居心地が悪くて、それを誤魔化すように「あの、大丈夫でしたか?」と目の前の男に尋ねていた。


「ひっ――」


 ……ですよね。急に声かけられても怖いですよね。

 彼の引きつった呼吸音に罪悪感が爆発する。悪気はないんです、と無意味に心の中で言い訳を重ねた。危害を加えるつもりはこれっぽっちもないんです。


「ごめんなさい。驚きましたよね」

「……」


 頭を振って否定をしてくれるが、さっきの怯えた反応は嘘ではないだろう。

 青年は恐る恐るといった様子でこちらを伺い見てくる。顔つきだけで言えばきつそうというか、チャラそうというか、陽気の塊みたいであるのに今の雰囲気は弱々しく、なんというか、そう、ギャップである。とんでもない偏見であるが、道端でたむろしている不良集団の中にいても違和感がないのに、今の彼は今にも泣き出しそうな幼子のようであった。


「………………あの、巻き込んで、ごめん」


 顔面だけじゃなくて、声帯にも恵まれているのかあ。

 すっかり安心しきった私の頭は、難しいことを考えられなかった。思ったままを口にしなかっただけ褒めて欲しいくらいだ。


「助けてくれて、ありがとう」

「いえ、助けたというか――」


 助けざるを得ない状況だっただけで、正義のヒーロー的な気持ちは一切なかった。なんなら、すべてはヤスさんのおかげだ。ありがとうヤスさん。ヤスさんは私の頭の中で気障な挨拶をして去ってく。本当に助かりました。配信で全シーズン見返して、地上波の再放送も欠かさず見ます。

 私がヤスさんへの敬意を払っている間に、言葉の流れを勝手に解釈した青年は柔らかく口元を緩めた。美しい顔が微笑むだけで世界は平和になるのだろう。そう勘違いしたくなるほど、私の心は一瞬にして優しさに満ちた。


「俺は潮木うしおぎ大河たいが。改めて、本当にありがとう」

「紫峰灯です。怪我がなくてよかった」

「あんたのおかげ」


 馴れ馴れしい口調は気になるが、感謝しているという気持ちはちゃんと伝わってくる。

 美しい青年、基、潮木大河青年は深々と頭を下げた。根本まで綺麗に染まった赤茶の髪を見つめながら、私は「いやいや」とロボットのように謙遜を繰り返す。


「助けてくれた人は初めて。いつも、見て見ぬ振りされるから」


 いつも、とは……?

 私は乾いた笑いを浮かべながら、疑問符と感嘆符を頭の上にたくさん積み上げた。これが目に見える素材でできているなら、今頃は足先から頭のてっぺんまですっぽりと埋まっていたことだろう。

 この人、いつもこんな恐怖体験をしているの? 本当に? 嘘ついている――ようには見えない。いや、こんなことで嘘ついてどうするんだ。驚愕の不快感にひくりと口角が引きつった。寿命が高速で縮まりそう。他人事ながら、同情を禁じ得ない。

 ドン引きする私の気持ちは置き去りで、潮木さんのつり目気味の目尻が優しく下がった。こんなにも綺麗に目を細めることができるのか、と変なところに驚いた。


「ありがとな」


 心底からの感謝だろう言葉に私の表情筋はだらしなく緩む。へらへらと笑って「お互い無事でよかったです」と返せば、潮木さんも同じように笑った。もはや、私の目には彼が庇護欲を爆発させる小動物にしか見えなくなっていた。体格は大型犬だろうが言動は小型犬である。ポメラニアン。

 花が綻ぶように嬉しそうな潮木さんを見ていると、巻き込まれただけとはいえ、いいことしたなという達成感が湧いてくる。しかし、それと同時に今回はよかったけど下手していたら……、という恐怖心にも襲われる。

 改めて、彼が日々この恐怖と隣合わせで生活しているという事実に戦慄した。

 

 会話が途切れ、再び沈黙が訪れたが、先ほどまでの気まずさはなくなっていた。

 そして、相反するように頭の中が騒がしくなる。無事でよかった、怖かった、無事でよかった、怖かった――、何度も同じ感情をたたき出すだけで上手く機能しない。馬鹿の一つ覚えのように感情がループする。たまに潮木さんの顔は本当に綺麗だな、と場違いな感想が挟まった。

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