第25話 零か百二十
大君はけたけたと笑い声をあげながら、兄の言動の物珍しさを語っている。言わせてもらえるなら、客人対応されている方がまだマシだ。打ち解けるのは悪いことではないのだが、一瞬にして逆らえない上下関係も確立されてしまった。
「大君、不躾な話していい?」
「んー?」
私はこほん、と芝居がかった咳払いをした。
「ネルちゃんが大君の好きな人でいいんだよね?」
大君は鋭い目を丸くすると、静かに首肯した。
あの美しい人魚が、大君の想い人。お似合いだ。そうとしか思えない。
流星さんの言いなりになるつもりはないけれど、彼が何度も「大河の恋をどうにかしたい」と繰り返していた理由は知らねばなるまい。単に別種では結婚もできないし、子供もできないという理由なら、それはそれでいい。
ただ、流星さんの言葉にはどうにも含みがあったのだ。それが引っかかっている。
「ネルちゃんとはいつ知り合ったの?」
「一年前かな。ネルが攫われそうになっていたとこに居合わせて」
「え、それが初対面?」
「そう」
「衝撃の出会いだなあ」
流星さんの口振りでは両想いのようだったが、大君から聞いている話では片想いを続けているとのことだったはずだ。
今日、二人が入り江で並んでいる姿は完全に仲睦まじい恋人同士のそれであったけれど。これで両片想い、とか言い出したら爆発して欲しい。
「告白しないの?」
「知ってるだろうけど、俺、惚れっぽくて。恋人いないと寂しくなっちゃうから、ずっと誰かしら相手はいるんだ」
は? それは知ってない。
貞操観念が低いとは思っていたが、それを優に超えるカミングアウトをされてぎょっと目を見開いた。もう驚きはいらない、という願いは叶わなかったらしい。
「でも、ネルに会ってから、ネル以外はいらないって思うようになった。寂しいから恋人を作るんじゃなくて、どうしてもネルの恋人になりたいって」
「……」
「……、ネルに浮気されたら絶対嫌なのに、俺が浮気しちゃうと思ったら怖くて」
――、大君の恋心は歪んでる。
以前、恋をしていないと死んでしまう、なんて言っていたが、あれは冗談ではなく本気で言っていたのか。私が勝手に戯れだと処理してしまっていただけで、大君は本音を吐き出していたのではないか。
本命がいるなら、それ以外を切ればいい。そんな単純な話では済まないの?
一途。人間と人魚の関係以前の問題ではないか。大君のことはすべて知っているような気になっていたが、そんなことはなかった。
ただのクズじゃん。
「つまんない話聞かせたな」
「…………いや、ううん」
「こんな話できる相手がいなかったから、聞いてもらえて嬉しい。認めてくれる人がいるみたいで」
応援はしている。心の底から。
「……幸せになれるといいね」
これは本心。でも、無責任。
大君の恋愛観がクズのそれだったとして、友人としていい子なのは事実。今だって、友達だと胸を張って言える。手あたり次第の浮気癖恋愛脳男なんてゴミじゃん、と切り捨てられない。
だからこそ、今のままでいいとは言えなかった。それでも友達でいるよ、めでたしめでたしとはならないのだ。見過ごせない、絶対にどうにかした方がいい。そうじゃなきゃ、大君自身も傷つくし、ネルちゃんも傷つくことになる。
私の葛藤なんて知る由もない大君は、能天気を突き抜けたように「灯にもそういう人、見つかるといいな」とふざけたことをぬかした。こいつ。
「そんなにぶっすり刺しに来なくても」
余計なお世話である。
恋愛から遠ざかって生きている私と、多すぎる恋にふらつく大君とで、足して二で割ったら丁度いいかもしれない。
ああ、こうなったら、ネルちゃんが大君の運命の人でありますように。予兆はあるのだから、上手くことが運べば大君が今までの恋多き男ではなくなる可能性は十分ある。
「……でも、そういう話を聞くと、私も恋人欲しいなって思うよ」
恋人に限らず、傍に人がいるというのは心地良いものだ。最近は大君がずっと傍にいるので余計にそう思ってしまう。
そして、恋人ならば家族になれる可能性がある。寄り添える人がいることは安心に直結した。実家のお見合いコールも止められるし、一石二鳥どころではない。乱獲だ。
「灯、本気でそうは思ってないだろ」
「え?」
「宝くじとかギャンブルと同次元だと思ってる」
閉口した。図星。
いてくれるならいた方がいいが、それだけなのだ。宝くじが当たったらいいなと思いながらも、宝くじを買うことはしない。大君のおっしゃる通り。
「……なんで分かったの?」
「灯のことならなんでも分かるよ」
まさか、俺のこと好きにならないお前が男を求めてるとは思えない、とかそういうことか? いや、大君はそんなひん曲がったことは言わない。他の誰かに言っていたとしても、私には言わない。絶対。
「でも、やっぱり、恋するって幸せなことだから、灯に好い人が出来たらいいな」
「ありがとう、大君。でも、先に自分の心配をしようね」
冗談ではなく、本気で――、大君は一瞬だけ諦めたように俯き、自嘲するように拙く笑った。
こういうところが放っておけないんだよなあ。魔性というか、私だけが理解してあげられて、私だけが助けになれるみたいな独善的な思考が浮かぶ。これが悪化したら、大君の前に現れた数々の勘違い勢に仲間入りだろうな。
あとに引きそうな重い雰囲気になったのは数歩を歩く間だけだった。大君はいつもの明るさで、施設内の建物について簡素な説明をしてくれる。それに耳を傾けていると、正門まではすぐだった。
美湊海洋生物研究所で私が立ち寄る可能性があるのは、流星さんの研究室がある研究棟と、入ってすぐにある事務棟くらいのものらしい。
「今日は正門から出るけど、俺はフィールドワーク用の方から出入りしてる」
「え、そっちから入ってきてもいいの?」
「大丈夫。そこじゃなくても関係者出入口はどれも使って平気。カードキーいるけど」
まあ、確かにあの研究棟に行くにはそっちからの方が近いだろう。大君の場合、入り江に入り浸る理由もあるわけだし。
正門を抜け、私と大君は夏の夕暮れらしい生温い空気の中で極寒を味わった。
潮風が吹く中、風景に馴染みのない真っ黒の塊――ゴスロリがこちらへ走り迫ってくる。
「大河クン!」
すっと流れるように私の後ろに隠れた青年を責める言葉を私は持たない。まじか、そうか。
大君と私が重なることによって、初めて彼女の視界に私の姿が目に入ったらしい。あからさまに顔をしかめたお人形のようなお嬢さんは、私もよく知る帆座さんだ。
「げっ、あんた、なんで大我クンと!!」
「……、私、大君とはお友達で仕事仲間でもあってですね」
「はあ? ゆにを差し置いてなんであんたが!」
なんで、と言われると話は長い。コミュニケーションの第一歩をと「紫峰っていいます」と名乗れば、怒りも怒りに満ちた帆座さんに「あんたの名前なんてどうでもいいわ!」と全力であしらわれた。
「とにかく、失礼します」
大君を無理やり後ろに押しやり、再び塀の内側へと戻った。セキュリティ万歳。
しかし、この暑い中でも帆座さんは頑張るなあ。
「こういうこともあるから、あっちの扉を使ってる」
「先に言っておいて」




