第22話 美しさの前に跪け
ネルちゃんはぽんぽんと話題を振ってくれる。何をどこまで聞いていいのか分かっていない私にはとても有難い。
彼のコミュニケーション能力の高さは大君に匹敵するが、会話の内容はまったく違うものだった。大君の零距離コミュニケーションとは違い、ネルちゃんは適切な距離感を測ろうとする心遣いを感じる。決して、大君の悪口ではない。
ネルちゃんの方が大君より年下に見えるが、人魚は見たまま年齢と思っていいのだろうか。やはり、あの資料たちを読んでおくべきだったか。
私がもじもじしているのが伝わったのか、心優しいネルちゃんは「なあに? 何でも聞いてね」と小首を傾げた。優しさが染みる。
「失礼な質問だったらごめんね。ネルちゃんていくつ?」
「十八よ」
若い。えらい。その年でもう仕事してるなんて、ただただ頭が下がる。私が十八のときなんて、自分のことしか考えてなかったな。実家を出ることだけを目標に猛勉強していた。
人魚の社会はどんなものなのだろう。人間社会のように学校やら会社やらがあったりするのだろうか。
「が、学校とか大丈夫? バイトで機構員のお仕事してるの?」
「ふふ、人魚は十六で成人なの。学校に通うのは十五まで」
「そうなんだ」
なんという異文化交流。
「人魚ってどんな場所に住んでるの? 無人島とか?」
「大半の人魚はね、海底都市に住んでるの。家を持たずに旅する人魚もいるけどね」
「海底都市!」
「そこらの海の底にたくさんあるのよォ」
「神秘」
人魚が住まう海底都市。なんて夢のある話だろう。
美しい人魚、厳かな建物、海上から差す光、群れをなす魚たち。見てみたい。きっと、私の想像なんて軽々超えていくんだろうな。
人魚たちは皆さん、ネルちゃんのようなのだろうか。あっちを見てもこっちを見ても美人しかいないのだろうか。こんなに親切にしてくれて、友好的に対応されたら、もれなく好きになってしまう。価値観崩壊する。
初めて会った人魚がネルちゃんだったばかりに、私の中の人魚に対するハードルが随分と上がってしまっていた。
「ネル?」
いつの間にか、電話を終えたのであろう流星さんが部屋の入り口に立っていた。
「あら、流星ちゃん。さっきぶりね」
ネルちゃんがここにいることが意外だったのだろう、ぱちぱちと瞬いて現状を理解しようとしている。澄ましてる顔ばかり見ていたので新鮮な表情だ。
「灯ちゃんに挨拶に来ただけだったから、そろそろ帰るわァ」
「わざわざ、ありがとう」
なんと細やかな気遣い。見目は美しく、口を開けば可愛らしく、愛嬌があって優しいなんて。大君が手放しで褒める理由も分かる。完璧か、ネルちゃん、完璧なのか。
「これからよろしくね」
私は握手を求め、手を差し出す。――が、いつまでたっても握り返されることはなかった。ネルちゃんは私の手のひらを見つめながらじっとしている。
……これは気まずい。
「もしかして、人魚って握手とかしない……?」
「へ!? う、ううん! する、するわ!」
やってしまっただろうか。今更、やっぱりいいやとも言えない。握手をせびるかたちになってしまって大変申し訳なかった。
「よろしくねェ」
ネルちゃんの手は勿論だが水に濡れていた。鱗のあるところからはまったく体温を感じない。人間じゃないんだな、と思った。
「……またね、灯ちゃん」
「うん。またね、ネルちゃん」
ネルちゃんは胸の前で控えめに手を振り、とぷんと静かに海の中に消えていった。
人魚の伝承なんて詳しくはないが、人を惑わせ海に誘うというのであれば、引き寄せられるのも致し方ないのではと本気で思えてしまう。
最初の恐怖ではなく、高揚でドキドキとする心臓の上に手を置いた。この高鳴りは決して恋ではないが、きゅんとしたときめきが止まらない。
人魚とお知り合いになってしまった。
「大君とネルちゃん、お似合いじゃないですか」
私は思ったままを素直に流星さんへと告げた。
美男と美男、お互いの恋愛対象が一致しているというなら、どこに文句のつけようがあるというのか。あれ、ネルちゃんの恋愛対象は男の人でいいのか? そもそも、大君と両想いだよな?
「お似合いかどうかなんて、見た目のことは関係ないんだよ。人魚となんて幸せになれるわけないだろ」
「人魚姫じゃないんですから、現実は分からないでしょう」
「人魚姫だとしたら余計に許さないよ」
流星さんの言葉は冷たいというよりは、事実を述べるだけの淡泊なものだ。多分、ネルちゃんが人間だったのなら、ここまでは言わなそうだな、と勝手な妄想を膨らませる。ネルちゃんの人間性ではなく、種族の違いが引っかかっているのだろう。
無粋なことを言わせてもらえれば、大君は男が恋愛対象という時点で、性行為はともかく繁殖はどうしようもない。それならば、別に人魚と一緒になったって話は同じではないのだろうか。
「チンパンジーとゴリラが恋に落ちて幸せになれるか?」
「いや、あの二人の場合、ペガサスとユニコーンくらいの神聖さありますけど。いや、ゴリラとチンパンジーが悪いってわけじゃないんです」
「例える生き物は何だっていいよ。別種なことには間違いない」
「言葉が通じるなら、種族なんて関係ないんじゃ」
「じゃあ君は相手の言葉が分かるなら、チョウチンアンコウとでも恋に落ちるの?」
想像しにくい例題を出してきたな。チョウチンアンコウってどんなだっけ。
「その状況になってみなきゃ分かりません」
「案外、ロマンチストなんだな」
大君が関わった話題になると流星さんは何かのスイッチが入るらしい。ちょっと強くなった口調は、私を研究所に迎え入れた和やかさはどこかに忘れてしまっている。
初対面を思わせる態度だ。こっちが素なんだろうな。
「外で言ったよね、大河の恋をどうにかして欲しいって」
「……まさか、どうにかしろって悪い方にってことですか?」
短い舌打ちでも、この部屋では拡散されるように響く。どうやら、私の発言は失言だったようだ。
「大河とネルの仲を引き裂くことは君の仕事の一つだ」
「そんな仕事だったらお断りです」
契約書にサインした直後でなんだが、大君の意思もネルちゃんの意思も無視をしてどうこうすることはしたくない。二人ともが良い子だから尚更だ。
もし、人魚は恋した人間を食す習慣があるとかなら話は別だが、そんな重大な理由かつ、説得材料になるものがあるならまず最初に提示しているだろう。
「確かに、君には仕事を受ける義務はない」
流星さんはゆっくりと階段を下りてくる。足取りは軽いが、動作はとても静かだ。
「でも、この施設に通う義務はある」
……施設に通う、義務?
流星さんは階段の最終段を下り、私と同じ位置に立った。彼がそこに立ったままでは、私はこの部屋を出ることができない。
口角は上がっているが、目は据わっている。真意の見えない瞳に寒気がした。
「書類、読んだだろう? 異人の目撃者は等しく機構員の監視下に置かれる。異人のことを口外したり、害したりする危険人物でないか精査する。判断期間の後、処遇を決める。本人からの申告と担当機構員の推薦があれば、担当機構員の助手として雇うこともできる。まあ、見習い機構員ってことだね」
「――絶対に書いてありませんでした」
「おかしいな。必要な書類は全部、君に渡したはずだけど」
にこ、と微笑みかけてくる流星さんの白々しさと言ったらない。
でも、本当に契約書にそんな記載はなかった。秘密保持については書いてあったけれど、異人の目撃者の処遇についてなんて――そうだ、冊子ではない紙は一枚ではなかった。でも、その紙は流星さんが手にして、その中から必要な書類を一枚、私に差し出してきた。
謀られた。
この人、私を研究所に通わせるために、何も知らない状態のままでネルちゃんと会わせたんだ。そして、必要書類を意図的に視界に入れさせなかった。




