第20話 特殊な仕事
「人型異生物保護管理機構」
テーブルの上につまれた冊子の表題に掲げられた文字列は見慣れたものではない。先ほど名前だけは聞いたが、字面を見ても思い当たる節はない。
流星さんはわざわざ私の隣のソファーに座り直し、綺麗な指で「さっきも言ったけど、僕の仕事は海洋生物学者。そして、異保管の機構員でもある」と私が手にした冊子の表紙を叩いた。
「紫峰さんに頼みたいのはの異保管の仕事の方。雑に言えば、異人の相談係ってこと」
「……すみません。聞きそびれたんですが異人って?」
「人型または人に類似した特徴を持つ、人でない要素を持った生きもの。あなたに分かりやすく言えば、さっき出会った人魚とかね」
ということは、言葉通りに意味を受けとるなら、異人を保護して管理をするのが仕事というわけだ。……意味が分からない。
人魚以外にも人っぽい人でない存在がいるということでいいんですかね、先生。異人なんて私が今まで生きてきた二十三年では、一度も遭遇したことないんですが。
「……最初に大君の恋をどうにかしてほしい、って言ってましたけど」
「そうだね。大河のことと、僕の仕事の雑務をお願いしたい」
にこ、と笑う流星さんは有無を言わせないプレッシャーを発している。
「とりあえず、読んでみてくれる?」
「これ全部ですか?」
「これ全部だよ」
「……」
「仕事の説明をするにしても、多少の知識がないと話にならないから。分からないことがあったら聞いてね」
口調こそ優しいものだが、言外に逃がさないと言われているようだった。この山積みの紙束を読み、理解することが最初の仕事だ、と。一応、断る選択肢はまだ残っているはずなのだけれど。
私は何でここに座っているのかが分からなくなっていた。小遣い稼ぎの副業の正体が全く見えない。てっきり、大君の話のままに雑用だとばかり思っていたのだが。
人型異生物保護管理機構。
未だに信じられないが、人魚を目撃した以上、異人というものはいるんだろう。大がかりなドッキリである可能性も捨てていないが、潮木兄弟がそんなことをする理由は分からない。なんだか、あまりの情報量に夢を見ているような気にすらなってくる。
少なくとも、カードキーが用意されているということは、この研究所が仕事場であるのは確定だ。
仕事を受けるにしても断るにして、流星さんが言うように知識は必要だろう。人魚のことも気にはなるし。それに隣に座る流星さんが何食わぬ顔で自分の仕事をし始めたせいで、逃げ道がなかった。
そこで仕事するんですか。ちょっと近すぎると気が散るので、できればもっと離れたところでやってもらえると有難いんですが――、なんて言えるわけがない。
大人しくページを開く。余白を憎むように埋められた印刷に「う」と呻き声が漏れた。
始める前から諦めてはならない。自分にそう言い聞かせながら読み進めてはいくが、ページをめくるたびに疑問符が山盛りになっていく。
異人の存在、人間との共存、整備された組織、生態系を守るための管理体制――。
「あの、すみません。流星さん」
「何?」
流星さんはこちらに一目もくれずに返事をした。
「あまりに知らなすぎる業界すぎて、理解に時間がかかりそうなんですが」
「やっぱりそうだよね」
「そうだよね、って……」
流星さんは私を責めることもなく、うんうんと頷きながら「そうだなあ。じゃあ、試用のさらに試用期間を設けようか。その間は大河にあなたの補助をさせるようにするよ」と有難い提案を出してくれた。
続けて、「異保管の成り立ちだとか、歴史なんかは業務に必要なものでもないし。追々ね。異人の種類は、とりあえず人魚だけ分かっててくれればここでは仕事になるから」と締めくくる。正常な判断ができていたらな、それなら今すぐ全部読まなくてよかったじゃんと騒いでいるところだが、場の雰囲気に呑まれている私はお心遣い痛み入りますという感謝しか抱いていなかった。
流星さんは私の前に積まれた冊子をどけ、留められていない数枚の紙を手に取る。
「うーん。ああ――」
一体何が飛び出してくるのか。
流星さんは「これから目を通してくれる?」と手にした紙の一枚を私へと差し出した。
「雇用契約書、ですか?」
「最低限を言えば、今日、紫峰さんにして欲しかったのは契約の説明と契約書へのサイン、ネルとの顔合わせだから」
契約事項の確認と同意、それから同僚との顔合わせ。列挙してみれば、確かに普通の仕事と何ら変わらないステップを踏んでいる。
契約書に書かれた項目はそう多くなかった。
まず、勤務形態は非常勤。勤務時間については、最低勤務時間も決められていないうえ、本業に影響がない程度と書かれているだけ。勤務時間の設定からすれば、遅刻も欠勤も存在しないことになる。時給での支給であるが、一分単位で計上され、交通費と賞与までつくらしい。それから、秘密保持契約。ここで見聞きしたすべては他言無用である旨が堅苦しく記載されている。
こんなに融通の利いた契約書は見たことない。詐欺を疑うレベル。というか、この時給――。
「この条件で、こんなにもらっていいんですか?」
どうしたっておかしいでしょ。これは悪魔との契約書なのだろうか。それとも、私が低所得なのだろうか? 今の給料もそこまで悪くないと思っていたのだけれど。
「それだけ特殊な仕事だってこと。誰にでもできる仕事じゃない」
「特殊……」
システムエンジニアとして必要になりそうな資格はいくつか持っているが、異人を保護して管理するようなスキルは持ち合わせていない。
特記事項なしの私に、特殊な業務は難しいと思うのだが。
「紫峰さん、今までに異人って見たことある?」
「……ありません。今日、初めてお目にかかりました」
「それはそう規制されているからで、本当は異人は人間の傍にいるんだよ。ずっと昔からね」
「隠されている、ってことですか」
「そうとも言える。正確には秩序と平和のためには、相容れないことが理想的であるとされているから」
流星さんは少しだけ目を細めて、息継ぎにしては深く息を吸った。
「異人にも種別はさまざま。ネルのように半身人間のものもいれば、ほとんど人間と変わらない種族もいる。逆に言えば、人間の要素をほとんど持たないものもいる。人間基準で生きるのに不利な特性があったり、想像を絶する超能力みたいな特性があったり……、人間との違いは挙げだしたらきりがない」
何となくだが、言わんとすることは分かる。
同じ人間同士だって世界平和とはいかないのだ。それどころか、学校の一クラスレベルの規模でも調和とは程遠い場合もある。仲間意識と差別意識は似て非なるものだ。




