第15話 行く先の知れない招待状
「その顔だと、ちょっとは事情を聞いてるみたいだ」
私の頭の中は表情で筒抜けだったのだろう。お兄さんは私の心の声と会話をして、ゆっくりと頷いた。
ということは、お兄さんは私が女難に見舞われる大君の友人にふさわしいかどうかを確認しに来たのだろうか。大君が世話焼かれ属性だとはいえ、なんという過保護――まあ、確かにこんなモンペが許されるほどに、大君の被害が多すぎるのが問題なんだけれど。ストーカーじゃなくても、変なのにちょっかいを出されることが非常に多発している。
あまりにもヤバいのは警察に突き出しているらしいが、ヤバいの判断基準については聞いたことがない。帆座さんはセーフ枠であることは知っている。
それこそ、ほんの数日前の居酒屋で「サインください」と突撃してきた女の子に差し出されたのが色紙ではなく、婚姻届けだったという事件を披露されてしまったばかりだ。思い出してもぞっとする。
他人の私ですら、大君に「女の友達ができた」と言われたら、「本当にその子は信頼できるの」と口出ししかねない。身内なら殊更だろう。
そう思うと、これは大君の友達になるための通過儀礼だとしか思えなくなった。完全に友達という存在の認知が歪まされている。
「分かりやすいうえに、察しがよくて助かるよ」
「……」
「大河はああだから、兄として心配は絶えない。女性の友達ができたと告げられたときの僕の気持ち、あなたなら分かってくれるんじゃないかな」
若干、棘があるうえに馬鹿にされている気もしなくもないが、言いたいことは分かる。私は「ご察しします」と小声で同調した。
「紫峰さんにいくつか聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょう」
「大河と付き合いたいと思ったことはある?」
「ありません」
即答していた。
実際に思ったことはないので回答に間違いはないが、急いたのは単純に身の危険を感じたからに他ならない。お兄さんの左右対称に上がった口角も、細められた目も笑顔のかたちではあるが、なんてったって隠しきれない圧がある。
これでは本格的に聞き取り調査だ。こんな感じの問答を繰り返されるのか。
げんなりする暇もなく、「どうして? 見てくれは文句ないだろうし、あなたに対しては人懐っこい性格でいたでしょう?」と次の質問が飛んでくる。
「……どうしてと言われても」
恋愛対象にならない理由を言語化するのは難しい。逆の方がまだいいようがある。
大君がいい子なのは知っている。容姿は優れているし、猫可愛がりしたくなる性格だ。手を繋ぐのだって、キスだってできるとは思うが、そこに意味を見出せるかと問われれば、答えはノーだった。
そもそも、大君の恋愛対象に私が入っていないし、彼には好きな人がいる。最初から無理と分かっていて恋に落ちることもないだろうに。
「女の人全員が大君を好きになるわけでもないでしょう?」
「どうかな。大河、可愛いから」
……やっぱり、この人ブラコンだったか。
友人の兄を前に無礼千万なことだが、潮木兄弟はこの見た目で助かってるだろうなと想わずにはいられなかった。弟を溺愛するのは結構であるが、こうも明け透けにしているのはなかなか異質に見える。
お兄さんの笑みはさらに深くなるばかり。笑顔に込められた意味は全然分からないが、ツッコミを入れる勇気はないので聞き流すしかない。
「紫峰さん、人を好きになったことある?」
「……ありますよ」
「本当に?」
「……大君を好きにならないと、そんなことまで心配されないといけないんですか?」
「いいや。むしろ、安心したよ」
そりゃあ、大君に近づいてもいい女としては正解でしょうね。
人を好きになるというのは――恋人だけじゃない、他人と関係を築くというのは難しいことだ。自分の独り善がりではどうにもならないのだから。
本来、こんなに難しく考えることじゃない、と頭では分かっている。
しかし、今まで生きてきた経験の重なりで、こんな捻くれた思考に囚われていた。自分でも主語が大きい自覚はある。直したいと思っても、年季の入った思考回路はもはや接続を切り替えることが難しい。
それもこれも多感な思春期にお見合いなんて繰り返したせいだ。
「紫峰さんの職場って副業は認められている?」
「副業? 急になんでですか?」
「あなたにしか頼めない仕事があって」
「仕事……?」
「まあ、正確には認められてなくてもいいんだけどね。頼まれてくれない?」
「すみませんが、辞退させていただきます」
考えるまでもなくお断りである。
断られるとは思っていなかった、とばかりにきょとんとしたお兄さんは「でも、給料いいよ」と悪戯に微笑んだ。
「お金稼ぎたいんでしょう?」
「え?」
「実家に仕送りしないと、連れ戻されてお見合いなんだってね」
……あいつ、しゃべったな。
私がお金を欲している件について、情報の出所は一つしかない。聞かれて悪い話でもないが、こうやって説得材料にされるとは思いもしなかった。
お兄さんは鞄から名刺入れを取り出し、そこから引き抜いた一枚をすっと両手で私に差し出した。まるで仕事のご挨拶そのまま。私の口からも「頂戴いたします」と勝手に言葉が出ていた。
「僕も人手不足で困ってる。話だけでも聞いてみない?」
差し出された名刺に書かれた肩書きは「海洋生物学者」である。意外だ。大君と同じでフラッシュに晒される仕事をしていると思っていたから。
「気が変わったなら電話して。大河に言ってくれてもいい」
話はそれだけ、とお兄さんは立ち上がる。
「待ってください。なんで私に仕事の話なんて――」
「大河と仲良くできるからだよ」
「はい?」
「大河も僕の仕事を手伝ってるんだ。大河と適切に付き合える人間じゃなきゃ職場に入れられない」
絶句した。大君の友人面接かと思いきや、就職面接も兼ねていたらしい。しかも、適性検査は大君への有害度チェックのみときた。
「男じゃ大河がちょっかいかけるし、女じゃ大河がちょっかいかけられる。その点、君なら問題ない」
まったくもって嬉しくない評価を結構高い位置からいただいた。
そこまで分かっているなら、大君を外した方が早いのでは。あの子だって本業は別だろうに。
「悪い話じゃないんじゃないかな」
にこり、と笑った顔に今までのような含みはない。その美しさに思わずドキリとした。
美人は三日で慣れるというように、大君の顔には慣れたものだが、お兄さんの顔は知らない顔だ。しかも、お兄さんの顔の方が私の好みな造形ということもあり、話の内容はともかく笑顔は百点満点である。笑顔だけは。




