己がために
───境地。
武芸に限った話ではない。あらゆる分野において、努力重ねても決して届かない地平がある。大きな壁に遮られる。しかしその先に立つものたちは確かにいる。それを境地と呼ぶ。
目に見えないもの、因果、概念……あらゆるものを断ち切ってこそ真のブシドーと言えるのだ。宗十郎の肉体に千刃のブシドーが脈動する。その力は活力に満ちていて、宗十郎にかつてない力を与えてくれる。
だが同時に、次々とその細胞組織を破壊していた。確実に滅びへと向かっている。今の高揚感は言うならば死に際の断末魔。身体が悲鳴をあげ、それを抑えようと脳内細胞がエンドルフィンを最大放出しているのだ!
「刮目せよエムナドール!これより挑むは死合い!命賭して戦うブシドーの生き様を、いざ覚悟ッ!!」
ナノマシンが拡散し形成されるは無数の刃。宗十郎の周囲に漂い、その意思に従い標的を斬り裂く。恐るべきはその特性、特質!ただ切り裂く。それだけに特化しているだけに、万物を無視して切断したという結果のみを残す!生き物のように漂う死神の巡遊のようであった!全てはブシドーにより成し遂げるものなのだ!
「これがブシドーだというのか。なんという悍ましい力!人が手に入れてはいけない力だ!やはり貴様は、貴様らは悪魔だ!地獄のような世界からやってきた……悪魔め!」
周囲の空間が歪む。エムナの力により空間を圧縮、世界の孔を作り出す。いくつもの黒点が生まれた。それはあらゆるものを吸い込むブラックホール!
宗十郎はブシドーを練り上げる。そして浮遊する刃物、サムライエッジに伝達!ブラックホールに向けてそれら全てが射出されたのだ!
「馬鹿め!その黒点は無そのもの!自ら武器を手放すか!」
その言葉と同時に爆発!黒点が全て爆発を遂げたのだ!ブシドーにより無は有となり、そして莫大なブシドーは収まることを知らず、その黒点を切り裂き飽和したのだ!
駆ける!爆発と同時に宗十郎はサムライブレードをエムナドールへと向ける!師匠の言葉だと、千刃のブシドーは今もこの身体を蝕み続けている。
ならば、短期決着が望ましいのだ!しかしその刃、またもや阻まれる!此度はその頑強な肉体ではない!武器だ!
エムナドールはどこからか武器をとりだしているのだ!それは錫杖のようなものであった!そしてそれはこの世のものではない、千刃のブシドーですら断ち切れぬものであった!
その杖は影から現れたものであり、そして歪な形をしていた。人の臓腑を彷彿させるグロテスクな形状と、巨大生物の目玉のようなものが先端についている。更に何かのなめし皮か、そういったものがコーティングされていた。
奇妙なのは、その錫杖を持つエムナドール自身がそれに驚いていたことであった。
「これは……うっ頭が……そうか……これがヤグドール本来の力!哀れだな宗十郎!我には見えたぞ!お前の全てが!!」
錫杖を通してエムナドールに知識が流れ込む。それは外世界の存在であるヤグドールが持つ異なる知識。万物森羅万象を見通す魔眼。
錫杖を振り回し宗十郎を迎え討つ。武芸者ではないその一撃は容易く回避できる……はずだった。エムナドールの関節は異様に変形し、おおよそ人ではない動きを見せて宗十郎に叩き込む!
その錫杖を受けた瞬間、宗十郎の脳裏に流れ込む、精神汚染、あらゆる呪いの数々。
───この錫杖は地獄を具体化したものか。
魑魅魍魎、悪鬼羅刹。あらゆる責め苦、絶望。次元の違う空間からなだれ込む、異常情報。
並の人間ならば一瞬にして発狂するであろう無限の情報量。だがブシドーによりそれらは全て弾き飛ばす。そして食いしばり、エムナドールを睨みつける。
「ここで……止めるのはブシドーではないッッ!!」
無理矢理の両断!肩から脇腹にかけて真っ二つである!全霊の一撃!千刃のブシドーは確かにエムナドールの肉体を両断した!だというのに、宗十郎は吐血していた。
エムナドールの腹部からもう一つの腕が生えていた。それは人の腕には到底見えない。まるで鋭利な槍のようであった。
更に両腕が宗十郎へと追撃、腹部に突き刺さった腕は抜け、吹き飛ばされ転がる。激しい吐血、腹部の痛み堪え敵を見る。エムナドールの腹部には第三の腕。異形。あれは最早人ではない。
ヤグドールの力により肉体は変容し、宗十郎を殺すために変容を続けている。腕はよりしなやかに、より残酷な形状へ。脚はより頑強に、肉食獣のように獲物を一瞬にして刈り取るかの如く。肩、手……あらゆる箇所に目玉が生まれ死角はなくなる。
「素晴らしい力だ……美しい姿だ。宗十郎、一瞬だがヒヤリとしたぞ。そして安心した。やはりブシドーは死すべきだ。訂正しよう、我の天敵。小癪な世界が用意した我への始末人。だが乗り越えた。苦しかろう?見えるぞ、我の攻撃ではない……貴様は毒に侵されている……その毒は他でもない、貴様のブシドーそのものだ」
隠しきれなかった。エムナの慧眼は人を見通す。当然エムナドールにも備わっていた。宗十郎の肉体は今も破壊され続けている。
「すぐ楽にしてやろう。そして安心するがいい、我は約束するとも、人類全ての永遠の安寧を。この力で!」
勝ち誇り、そして子供に諭すように柔らかな声で宗十郎へと語りかける。
「……違う。それは……違う」
「まるで駄々だな。ただ否定するだけ、話にならん」
「お主らは単に利害が一致しただけだ……。お主が与える永遠の安寧だと……それはつまるところ支配!ヤグドールと変わりはしない!制御できているだと……?違う!お主は既にヤグドールに利用されているだけだ!」
最早、人とも言えぬその姿。それが証であった。完全に侵食されてなおも人の為だとは片腹痛い。
「……仮にそうだとして、何が問題なのだ?支配されようとも、日々を恐れ、怯えながら、ゴミのように死んでいく!そんな日常よりかは遥かにマシだ!貴様にはわかるまい、ブシドーなどという、圧倒的強者に生まれた貴様には!!」
「いいや!それはただの家畜と同じだ!自分の意思すら持たず、生きることの目的すら見失う……ブシドーとは……武士道とは人の生き方そのもの!人が人であるために、誰かに生き方を強制されるなどあり得ぬのだ!!ただ今を生きるための安寧など……いらない!!」
宗十郎は立ち上がる。身体はズタボロだというのに、なぜだか力が湧いてきた。少しずつだがその流れ込む力は大きくなってくる。
オルヴェリンは大惨事だった。フェアリーに寄生され自由意志を失うもの、天変地異に巻き込まれるもの、魔獣たちに襲われながらも逃げ惑うもの。そして同時に彼らは見ていた。遥か上空で、エムナドールと宗十郎の戦いを。
フェアリーとはヤグドールの尖兵。青白く発光した触手。それが擬人化したものである。かつてアリスはその力により自我を失った。その時のことが今でも恐怖として残る。自分の意志とは別に肉体が動く恐怖。支配される恐怖。
フェアリーの寄生とはつまるところそういうことなのだ。そしてそれに重なる大災害の数々。人々は感じた。絶望ではない、ただ生きたいという単純な願いが!カーチェ率いる亜人連合軍たちや異郷者たちは彼らを救い出す。そして助けられた人々は尋ねるのだ。あのモニターで戦っている男は何者かと。
一人の市民がモニターに映る二人の戦いを見て叫ぶ。
「家畜……そうだ……俺たちは人間だ!家畜じゃない!支配なんてされてたまるか!!俺たちの安寧は……俺たちの手で作り出すんだッ!!」
その叫びは、示し合わせたわけでもないのに、まるで伝播するかのように各地で広がる。フェアリーに寄生された恐怖がそうさせたのか、それとも懸命に戦う亜人や異郷者たちの姿を見てそうさせたのか、理由は人それぞれだった。しかし、その思いは一つだった。今も懸命に、ずたぼろになりながら戦い続ける宗十郎に、市民たちは希望託したのだ!