街を覆う影
───強い。
そう断言できる。ハンゾーと二人がかりで挑めばあるいは……。そう思わせるほどの難敵だった。彼女は立て掛けられたエルフの弓を手に取る。
「細川の令嬢殿!助太刀は不要!!」
だが、ハンゾーはそんな彼女の助力を断る。
ハンゾーは幽斎の実力などとうに分かっていた。あの細川幽斎ということは認識していなくとも、細川家の人間なのだ。女とはいえブシドーを叩き込まれていると考えるのは自明の理。
故に彼にとって助太刀は本来ありがたい、ありがたい話なのだが……
「余所見をするな。ここは狩り場だ。興ざめさせるなよ」
エムナの蹴りがハンゾーへと叩き込まれる。容赦のない一撃。
「ぐッ……ぬぅぅ……!?」
反射的に守りを固めるが、その圧倒的な力にハンゾーはうめき声をあげる。かつてないほどの一撃だった。
「どうしたハンゾーとやら?助太刀不要といってこの体たらく。俺を失望させるなよ?」
とてつもない力。純粋な暴力。ブシドーなど微塵も込められていない。この男は生きた天災だと感じた。決して楽に勝てる相手ではない。
だが……だが……!ハンゾーの目は決して絶望に染まっていない。
「元より期待に応えるつもりはないッ!見せてやろう、忍者の戦い方を!!」
彼女は宗十郎の恋人なのだ!宿敵ではあったが今や同じ志を持つ同志!ならばいたずらに傷つけるわけにはいかないのだ!それは忍者としてではなく個人としての矜持!漢として、友の女を傷つけることなど、断じて許さない!
と、ハンゾーは本気でそう思っている!
勿論まごうことなき誤解である!意思疎通の大切さが分かる事態だ!
ハンゾーが何故、一騎打ちに拘っているのか幽斎も意味不明だった!だが言葉にできない理由があるのかもしれないと、迂闊に幽斎も手が出せなかった!
「秘術!毒霧万花!」
ニンジャブレードが突如弾ける。
ニンジャブレードは分散し大気中に微細小ナノマシンとして拡散した。そしてニンジャハッキングによりサイバネティックネットワークを形成し、ポイズンフィールドを疑似展開。化学式を錬成し毒霧を表現する。忍者毒霧である。
「これは……代謝毒か」
気がつく。エムナの肉体に異変が生じていることに。吸うだけではない。毒霧に触れた肌が爛れてきている。人体の機能を著しく狂わせるもの。
だが……エムナには関係がなかった。毒など無意味。その肉体は頑強極まりなく並大抵の毒では傷も付けられない。ハンゾーを叩き潰すべく、拳を振りかぶったそのときであった!
───お前は何も救えなかった。哀れな王よ。
子供の童謡が聞こえた。力強い王様 力強い王様がいた みんなを助けてくれた 平和な日々を送った 力強い王様。これは幻。分かりきっている。
ハンゾーのナノマシンは毒となっただけではない。その微細小さを利用して体内に潜入し脳ハッキングする。即ち対象の精神を攻撃する精神攻撃である。
動きの止まったエムナに対してハンゾーはトドメの忍術を放つ。飛翔するのは無数の渡り鳥。口寄せの術である。
「秘術!魂転流離!赦せよ、これは某の決意である!」
これら全てハンゾーにより操作された渡り鳥。更に分身で増殖している。魂転流離とは、その魂を変容する秘術!これにより分身はその全てが魂ある実体となるのだ!
無数の渡り鳥が空を埋め尽くし、それはさながら純白の天蓋のようだった。その童謡的な景色に周囲は思わず目を奪われる。
だが、当然のことながらハンゾーの術は見世物などではない。渡り鳥の一羽が群れから離れ動きの止まったエムナに向かう。その降下速度は一切緩めることなくエムナに激突した。
瞬間、爆発を引き起こす。その爆風は瓦礫を撒き散らし、建物の窓は全て割れる。周囲を震わせる凄まじい衝撃波だった。
「これこそが魂の変容。某が施した術は、魂を兵器へと変容させる外道術!」
一撃で戦術兵器級の威力。それが空を覆う白い天蓋全てに備えられている。
ハンゾーの合図と共に渡り鳥はエムナを襲う。全て着弾すればエムナとてただでは済まないはずだろう。その威力は核爆発すらも容易に超えるはずだった。
「はは……なるほど脳に直接作用する幻覚、いや精神攻撃か。珍しい」
エムナが正気に戻る。ありえない事態。ハンゾーの脳ハッキングはただのハッキングではない。幻術の類ではなく直接作用するもの。ナノマシン自体を破壊しなくては解除できないのだ。
しかし、此度のエムナにそのような挙動は見えなかった。完全に入り込んだナノマシンは解除など不可能。ブシドーはその魂に纏うブシドーによりナノマシンのハッキングなど至極困難ではあるが、エムナはブシドーではない。
不可解だった。ハンゾーの理解を超えた何かが起きている。
「精神とは、この脳にあるもの。お前の技の仕組みはそうだろう?ならば知れたこと。脳を一度殺し尽くせば、その技は成り立たない」
「何を……言っているのだ」
ハンゾーはエムナの言葉の意味が分からなかった。だが言われてみると確かにナノマシンは完全に破壊し尽くされていた。エムナの脳細胞ごと……ありえないことだった。
「……はっ!?」
困惑していたハンゾーの目の前にいつの間にかエムナがいた。気が付かなかった。忍者をも上回る超スピードか!?その拳はハンゾーに向けられ叩き込まれる。
ただの拳。だというのに、ハンゾーの鍛え抜かれた忍者の肉体を容易く打ち砕いた。急所は避けたつもりだった。身体を翻し左半身で受けた。だがそれでもなお重たい一撃。
「ゴッ……ガハッ……!」
形容するならば巨岩の衝突か。際のところで躱したが、その傷は深刻。
「ほう、未だ戦えるか。何とも素晴らしい世界なのだな、貴様の世界とは」
瞬時にハンゾーの状態をエムナは把握した。
エムナの恐ろしさは肉体的強度だけではない。その恐るべき観察眼にある。本来即死級の一撃を受けて、満身創痍のハンゾーを見ても、決して慢心することはなく、張り詰めた気配を緩めることはない。
「では、俺も応えよう」
エムナの黒い両腕が空間を掴む。そして思い切り引き裂いた。
その時、次元の歪みが生じる。エムナの凄まじい膂力が空間に歪みを生んだのだ。
エムナは空間移動を自在に使いこなす。引き裂かれた歪みと歪みを繋げ、空間を圧縮する。結果もたらされるものは、超スピードではない。時空間移動、即ちワープである。
狙いは当然ハンゾーの目の前。空間は歪み、そして圧縮。トドメを刺すべく詰め寄る。
───悪寒。
エムナは初めて、この戦場で感じた感情。即ち、命に届きうる現象の予感。
「ぬぅおぉぉ!?」
目の前で高密度なエネルギー体が通過した。その残照が未だに空間に歪みを起こしている。何が起きたというのだ。振り向くと女性がいた。しくじったことを惜しむような表情を浮かべている。黒髪長髪の女性。この世界では初めて見る珍しいものだ。
幽斎は機を伺っていた。助太刀不要とハンゾーはいうが、エムナは間違いなく彼女の愛弟子……即ち宗十郎の敵である。ならば今、殺すのが確実。
そう考え矢をつがえ、ブシドーをチャージしていたのだ。いわば先程の一撃は渾身のチャージショット。確実に当たると踏んでいた。
だが甘かった。もはや野生動物に近いエムナの直感が上回った。幽斎の推測よりも。
ハンゾーを無視し、無言でエムナは幽斎に駆け出す。
「くるか……ッ!」
危険な女だと認識したのだ。この場で必要なのはブシドーを知るハンゾーのみ。訳の分からない女は始末するべきと即認識した。
今、幽斎の手元にあるのは弓のみ。突然距離を詰めるエムナに対して幽斎は何もできず、弓ごと蹴りが入る。弓を盾にする。
「くっ……なにこの力……!?」
弓は簡単にへし折れ、うめき声をあげて幽斎は吹き飛び、住居に吹き飛ばされる!住居は衝撃で崩れ砂埃が舞った。
「細川のご令嬢!おのれ!お主の相手は某であろう!」
「そうだな、ハンゾー。今のであの女は終わった。立つこともできんだろう。全身複雑骨折。哀れなものだ。そしてハンゾー、終わりだ。どうやらノイマンはやったようだ」
エムナは空を仰ぐ。
響き音がした。巨大な地響き。街は揺れる。淡い光に包まれる。そして姿を現したのは巨大兵器。有機的にも思えるそれは生き物のようにも見えた。
遠くから、巨大な地響きが聞こえてくる。
街全体が揺れ、不気味な静寂が訪れる。そして、淡い光に包まれて、巨大な影が現れる。
それは、明らかにこれまで見たことのない兵器だった。有機的な形状と金属的な光沢が混ざり合い、まるで生き物のような威圧感を放っていた。
兵器と呼ぶにはあまりにも巨大なそれは、ゆっくりと地面に降り立ち、街を睥睨する。