ドラゴン
集落に臨時的に建設された見張り台。そこでエルフの作り出した魔導式遠眼鏡を使用してオルヴェリンの様子を監視している。
見張り役のエルフの少年は見た。オルヴェリンから軍隊がこちらに向かってきているのを。鐘を叩く。カンカンカンと大きな音が鳴り響き、全員に緊張が走った。
「ようやく来たか!待ってたぜ!なぁお前ら!準備はいいな、この戦……活躍したものがその後の権威に繋がる!コボルトの力見せてやろうぜぇ!」
フェンの号令とともにコボルトたちは叫ぶ。士気は上々であった。
「フェン、少し良いか」
仲間を鼓舞し興奮冷めきれぬフェンに宗十郎は声をかけた。
「あ?宗十郎か、どうした」
宗十郎の真剣な表情にフェンは問いかける。
「見たところ全軍出撃するつもりのようだが、部隊はある程度に分けて再編成せよ。また時間差を設けるのだ。誉れある先発部隊の選定は任せる」
「まだ言ってるのか、大丈夫だって……」
フェンには秘策がある。同盟軍の存在。誰もが驚く秘中の秘だった。
だが宗十郎はそれでも気になる点があった。それは今、分かったものだ。
「見えぬか?連中の武器、初めて見るものだ。あれを知っているのならば何も言わぬ」
「あ……?見えぬかって……え?」
宗十郎が指さした先は平原。エルフより報告のあってオルヴェリン軍がいる方角である。
しかしそれは遥か彼方。距離にしていくほどだろうか。
「見え……え?見えんの?裸眼で……?え?」
目を凝らすとゴマ粒のように小さいものが確かに見える。だがそれだけだ。どんな装備をしているかなど、まるで分からない。
「見えぬことを咎めるつもりはない。ブシドーならば千里先の針の穴も見えることが可能故。問題は未知の武器だ。未知の武器に無策無謀に挑むのが主らの矜持か」
宗十郎は感じていた。あれは何か危険だと。
「……ちっ、わーったよ。だが先発はコボルト!そこは譲らねぇ。他の部族に伝えろ」
宗十郎とは昨日飲み交わした仲。知らぬ間柄でもない。フェンは彼が優れた戦士であることを知っているし、そんな彼がこうして真剣な顔で忠告をしてくれたのだ。
無下にすることはできなかった。
「かたじけない。承った。主らの誉れある戦い、ここで見ておくぞ」
コボルトたちの考えは明白であった。この戦争で存在感をアピールし、後の影響力を高めるということ。自分たちだけが知っている強力な増援が来るまでに活躍したかったのだ。
「コボルト部隊!編成完了しました!迎撃しますか!?」
伝令のエルフがカーチェに伝える。傍らには幽斎。
「エルフとドワーフが作り上げた迎撃システムは完成しているのか」
「問題ありません。稼働試験も済ませています!」
迎撃システムとは数十メートルの範囲内に近づいた敵に対して攻撃魔術を自動で発動するものである。地下水源を利用したエルフとドワーフ合作の水魔法の一種だ。
「ユウさん、如何しましょう」
「迎撃システムの範囲内で戦えば有利なのは明白だが、場所は平原。弓を使えば数十メートルの迎撃装置など機能せぬ。故にここは行くしかあるまい。コボルト部隊は両翼へ移動、正面のコボルト部隊は防御に専念し、左右から潰す」
幽斎の指示に従いコボルトたちは移動を始める。
その様子を残されたコボルト部隊とフェンは見ていた。
───今は忠実に従っておくのが賢明。同盟軍の存在は誰もしらないことになっている。勇気あるコボルト軍の活躍を、他の部族に見せつけるのだ。
正面のコボルト部隊は長槍を手に前進する。幽斎が指示した陣形である。密集し隙間なく集い、敵兵を迎撃する。
「あれは……ファランクス。師匠が指示したのか、随分とまぁ古びた手を……」
「なんだそりゃ?確かに変な陣形だけどよ。強いのか?」
宗十郎の呟きにフェンは反応した。彼も幽斎の指示に素直に従いはしたが、細かなことは聞いていないからだ。
「今は使われないがな。近接戦では無類の強さは誇っていたが所詮は烏合の衆。サムライブレードとブシドーの発展により、滅びた過去の遺物よ。弱点があまりにも致命的でな。」
ファランクスはその密集陣形故に、迅速に陣形変更を行うことができない。即ち素早く撹乱してくる相手にはまるで無意味。
側方後方からの攻撃に為すすべなくやられるどころか、密集している故に、そこを突かれると並の陣形以下の戦闘力に落ちるのだ。
かつてブシドーやニンジャはその弱点を突き、ファランクス部隊を殲滅していった。少数の、一人二人の戦士に蹂躙される姿は悪夢そのものであっただろう。
「だが此度は問題ない。この見通しの良い平原では、伏兵は不可能。そして敵は集団でこちらに向かってきている。即ち、高機動対応の兵がいないということである。ならばファランクスは無類の強さを見せるであろう。」
宗十郎は師匠の判断に誤りはないと思っていた。コボルト軍の動きが止まる。見晴らしのいい場所だった。幽斎の指示にはない動きだ。
これはフェンの指示。まもなく来る"同盟者"の巻き添えを喰らわないためのものである。
風が、変わった───。
エルフの一人が鳥肌を立てた。その長い耳をピクリと動かし空を見る。ドワーフはその肌で大地が怯えているのを感じ慌て始める。ゴブリンたちは得体の知れない恐怖に肩を震わせ、フェアリーたちは物陰へと避難し始める。
皆、気づき始めたのだ。何か、とてつもなく危険な、そして大いなる存在がこちらに近づいてきていることに。
「うそ……です……どうして……?こんなタイミングで……?一体何をしに……?」
リンデは顔面蒼白でただ震えていた。既にここに来る存在が何なのか理解してしまっている表情であった。
「皆、どうした!様子がおかしいぞ!どうしたというのだ!」
カーチェだけはそんな状況を理解できず、ただ困惑していた。
「む……これは……。このタイミング……何のために……?」
幽斎はブシドーで検知した。今、こちらに凄まじい勢いで近づいてきている偉大なる存在を。凄まじい闘志。だが敵意はこちらに向けられていない。故に最悪の事態ではまだない。
そして緊張が頂点に達した時、空が割れる。黒雲と雷電とともに、蒼天を引き裂き、それは現れた。
空を覆う巨大な翼。周囲一体がその巨躯により影で覆われる。大気中の魔力は震え、エレメントが騒ぎ出す。ただ、そこにいるだけで森羅万象に干渉する、まさしくこの世界の神にも等しい上位種。亜人も人間も迂闊に手を出さない、生態系の頂点。
宗十郎は見た。大空を埋め尽くす、その巨大な存在を。
「ファフニール……!?いや……似ているが違う!本質がまるで……別物だ!!」
そしてそれは雄叫びをあげた。それだけでオルヴェリンの外周はビリビリと震え、一部は倒壊。城壁は無傷だが、音波により振動で内部の居住区に損傷を与えたのだ。
そう、かの名は古竜エルダードラゴン。この世界で神として崇められる、最上位の存在であった。
コボルトのフェンはニヤリと笑う。これこそが、コボルトたちが用意した切り札。最強の同盟者である。その存在に不敵に笑うも冷や汗を隠せなかった。
エルダードラゴンの周囲の大気が膨れ上がる。超高熱。そして無慈悲にそれは放たれた。ドラゴンブレス。その温度は数万度にも達する、ただただ無慈悲な絨毯爆撃。放たれた場所には、生命の一つとして残さない。自然豊かな平原は、一瞬にして焼け野原へと姿を変えた。
「矮小なる人間どもよ、下卑らはやりすぎた。調和を乱し、傍若無人な振る舞い。最早看過できぬ。一度滅び去るが良い、全てを捨て……ぬ?」
焼け野原になった中央でオルヴェリンの騎士たちが立っていた。一人として欠けず。
忘れてはならない。彼らの背後にいるのは異郷者たち。この世界の神ですら知らぬ、理外に生きるものたちの力が、彼らにはあるのだ。ドラゴンさえも届かぬ領域。人でも獣でもない。理外の存在。彼らの後ろには、そんな存在が控えているのだ。