黒い男
「どういうつもりですかカーチェ様。神聖五星騎士がご乱心でしょうか」
騎士の一人が前に出る。リノンだった。オルヴェリン議事院に務め、カーチェを慕う騎士。カーチェを見て問いかける。まるで罪人を尋問するかの如く。
「彼はオルヴェリンを害するもの。あらぬ虚偽の報告で世論を乱し、破滅へと誘う敵ですよ?らしくない。貴方のしている意味がおわかりですか?」
カーチェは黙り込む。リノンの言葉をただ黙って聞いている。
「騙されているのですカーチェ様!オルヴェリンが人体実験!?そこの異郷者の戯言をどうして信じるのですか!?精神操作をする異郷者がいることはご存知でしょう!?」
「いいや、今更疑うものか!私は宗十郎を信じる!これまで学んだことよりも、教えよりも!この目で見たこと、聞いたこと、その言葉、振る舞いには何一つ偽りなどない!!それが奴のブシドーだからだ!!」
これまで共にいて、それだけは確かなことだった。彼は恐ろしき異郷者でも狡猾な異郷者でもない。強さの中に弱さも抱いている。自分と同じ人間なのだから!
「宗十郎、周囲を見渡すんだ。周りにいるのはオルヴェリン魔導部隊。おそらくは魔法を知らぬお前に特化して編成された部隊だ」
魔法とはブシドーとは異なる力。人の心、精神に強く作用し具現化する神秘。数多の現象を引き起こし、時に精神にすら干渉する技術体系である。
「なるほど道理で理解の範疇を超えた一撃の数々。しかし良いのか?これから為すべきはオルヴェリンとの敵対。お前の望まぬ未来かもしれぬ」
「いいやそれは違う宗十郎。私の望む未来は民草が平和に暮らせる世界。だがそれは弱者を犠牲に得られる平穏などでは決して無い。そこにオルヴェリンへの忠節は関係ない!」
───ならば。
宗十郎はカーチェから騎士剣を受け取りブシドーを込める。騎士剣はまるで葉脈のようにブシドーが走り輝きを増す。
「一撃は耐えられると見た。良き剣なのだな」
今にも砕け散りそうな騎士剣だったが、宗十郎の耀きに応えるように、その光は増していく。
「ならば、ここは退くぞカーチェ!退路はこれより作り出す!!」
限界までブシドーが込められた騎士剣を地面に突き刺す。地面が隆起し破裂、炸裂した。
「な……!カーチェ様!どうかお考え直してください!私は貴方を───」
「必殺!ブシドー龍紋陣ッッ!!」
リノンの叫びが届く前に、破裂したブシドーは大地穿ち周辺家屋を吹き飛ばす。放たれた力は指向的に一直線にオルヴェリン外部まで全てを吹き飛ばした。
「さぁここを直進すれば外だ!ゆくぞっ!!」
「は、はは……い、いやもう驚かないぞ……」
二人は駆け出した。オルヴェリンの外へと。
その様子をリノンは瓦礫の下で見ていた。カーチェの姿が少しずつ小さくなっていく姿を見て……絶望と怒りに満ちていた。矛先は当然、宗十郎である。
「う……そ……だ、あのカーチェ様が異郷者などと……」
拳握りしめる。彼女はカーチェとの日々を思い馳せていた。いつしか彼女のようになりたいと、憧れていた。
「そうだ、恐らくは洗脳魔術の類をカーチェに施したに違いない。それも深層心理、人格に作用するレベルの深い施術を。でなければありえない。カーチェ様が私を見捨てるなど、あり得ない選択」
ぶつぶつとリノンは呟く。そして膨れ上がる怒り、妬み、そして……
「殺してやる……千刃……宗十郎……!」
憎悪、深い憎悪を宗十郎にぶつける。その恨みつらみに呼応するかのように、それはやってきた。
「なに……ッ!?」
宗十郎の全身に鳥肌が立つ、黒い影、黒い闇、黒い気配。宗十郎たちは振り向くと、そこには一人の男が立っていた。その男はただ唯我独尊、何も構えず、そこに立っていたのだ。
───男が腕を上げる。世界に黒い線が走る。闇夜よりも、遥かに深く暗い黒線は、オルヴェリンの横から、まるでキャンバスを描くかのように、螺旋状の軌跡で宗十郎たちに向けられる。
そして具現化する。線は面となり、面は形となり。零が壱となる。それはまるで黒い槍だった。巨大な黒い槍が顕現したのだ。
「なん……だ……あれは……?」
宗十郎の全身に鳥肌がおさまらない。あの時の力と同じだ。ハンゾーとの戦いに横入りした黒き矢。それを放ったものが、未だかつて見たことの無い豪傑が、そこにいる。
本能が訴える。数多の戦場を駆け巡り幾度が感じた感情。死の予感。その黒き影は、死そのものであった。
紛うことなき人間。だというのに、同じ人間とは思えぬ存在感の強さ。
黒き影は形をとり人の姿となる。黒い、男だった。ただひたすらに暗黒の男。
闇夜よりも更に深く、月の光すら吸い込む、闇そのもの。
「面白い、初めて見る。それがお前の理ということか?ハハ、ハハハハハ、フハハハハハ!!素晴らしい!!よくぞここまで、たどり着けるものなのか!?クハハハハ!!!」
黒き男はまるで狂ったように笑う。心底愉快に、心底満足そうに。あれは知らぬ存在。
───この男は異郷者だ。
宗十郎は直感した。今まで姿を現さず、この城塞都市オルヴェリンの最奥に潜んでいたもの。彼を始末するために現れたのだ。
「カーチェ!何だ!何なんだあの男は!!」
「知らない……何なんだあいつは……震えが止まらない……!」
臓腑を掴まれたかのようなプレッシャー。ただそこにいるだけで強い圧力を感じる。
だがそれ以上にカーチェの胸に感じたのは、あのような化け物に今まで気が付かなかったこと。嫌でも分かる。分かってしまう。全てが茶番だ。異郷者との協力?世界を救うため?亜人との戦い?いつか夢見た争いのない平和な世界?
───ふざけるな。そんなもの、あそこにいるあの男がいれば、全て終わるではないか。家に集る害虫を殺すために、同じ虫を集めて戦わせていたようなものだ。あの男の前では、自分たちなど虫けらに過ぎない。あれは終末。何もかも終わらせられる、圧倒的存在。
「宗十郎、お前は先に行け。ここは私が引き受けよう」
カーチェは足を止める。鎧は変形し一部がパージされ大盾へと姿を変えた。剣と盾を構え、カーチェは黒き影と相対する。
「何を言っている?お前もあの男の実力が分かるはずだ」
宗十郎はカーチェの肩に手を置き引き止める。しかし振り向こうとはしない。
「分かっているさ」
宗十郎の言葉にカーチェは答える。分かりきったことだと。
「なぁ宗十郎、短い間ではあったが、お前の瞳の奥には、紛れもない正義の心があるのを感じた。初めて出会ったときから、その印象は何一つ変わりない。お前ならきっと、正しき道を歩んでくれる。この都市の間違いを正してくれる」
僅かな間だが、カーチェは宗十郎に正義を見た。騎士の誇りを見た。故に彼ならば信頼できると、託せると確信した。
「だから!都合のいい願いだとは思ってる。もしも、できることなら、どうかオルヴェリンを、私の故郷を正してくれ!宗十郎、お前は私がこの命にかえてでも逃し切る。だから……行けッ!」
それは捨て身。命を賭してでも、宗十郎を逃がすカーチェの覚悟だった。
宗十郎の記憶がフラッシュバックする。これはあの関ヶ原の時と同じ。万を超える軍勢。無様に何もできずただ退くことしか出来なかった自分の力不足を痛感した戦い。
彼女は責任を感じているのだ。忠誠を誓ったものが、悪魔のような非道を繰り返していた事実に。せめてもの償いとして、無関係の宗十郎を、命を賭してでも逃がそうというのだ。
「違う!それは違うぞカーチェ!それは命の捨てどころではない!お前は生きるべきなのだ!生きて、生きて残さなくてはならんのだ!オルヴェリンに生きるものとして、真実を!!それは他でもない、お前にしかできない職務なのだ!!」
まるで自分に言い聞かせるかのように宗十郎は叫ぶ。奇しくもそれは、かつて関ヶ原で、殿に投げかけられた言葉であった。ブシドーとは死ぬことと見つけたり。なぜ、このような言葉が出たのか、宗十郎本人でさえ意外であった。
「見せてみよ、お前のブシドーとやらを。我が力は、天を穿ち、地を削り、星を貫く。永遠の無限槍。その一端、どこまで通じるか?」
その言葉と共に、放たれる。暴虐の化身が。空が割れ、大地は響き、雷鳴とともに巨大なエネルギーが来襲する。
「カーチェ!ここは俺に任せよ!!」
間髪入れず宗十郎はブシドーを騎士剣に注入しその一撃を受け止める!火花のような紫電が飛び散る!騎士剣は砕け散りそうになるもブシドーがその形態を維持する!宗十郎のブシドーと黒い影の暴虐的力に拮抗し、爆熱的に高速回転し、破壊力を転換、刃散らす!
「ぬぅぅぅぅぅううぉぉおぁぁぁァァッ!!!」
身体中から血が吹き出る!血管ははち切れ、限界を迎えようとしていた!だが宗十郎は一歩も引こうとしなかった!今持ち得る全てを!叩き込むのだ!瞬間、脳裏に浮かぶは父の姿、殿の姿!千刃家の者たちの姿!これは走馬灯か!否!違う!力を、魂を貸してやると、心に刻まれたブシドーが呼応しているのだ!!
「ブシドーを嘗めるなァぁぁッ!千刃家の太刀筋はッ!この程度ではなかったぞッッ!!」
叫ぶ宗十郎!そして炸裂音!圧縮されたエネルギーが限界を迎え爆発したのだ!騎士剣は粉微塵となり、周囲一体はまるでスモークを炊いたかのように埃が舞い散る!そしてその反動で宗十郎は遠くに吹き飛ばされた。
「……!今だッ!すまない宗十郎!今は逃げるぞ!!」
カーチェは宗十郎を抱え駆け出す。できるだけ、あの男に捕まらぬよう。捕まってしまえば全てが終わる。そんな確信しかなかった。
黒き槍を持った男は宗十郎たちが逃げていった先を見つめる。既に二人は街の外。宗十郎のブシドーにより破壊された跡だけが残る。
「これがブシドー?という奴か……」
宗十郎の力を見て感じた。ブシドー。そのあまりにも稀有な存在に心が震えた。信じがたい存在。並みの人類史では到達しえない奇跡のような存在。黒き男の魂が震える───。
「しかしブシドーよ、この世界の真実を知った時、お前はどちら側につくのだ?」
男は巨大なビルの上で不敵に笑う。その力は一端に過ぎない。