あなたもそれをおっしゃいますか
この話は短編「あなたがそれをおっしゃいますか」「続 あなたがそれをおっしゃいますか」の続きになっております。
この話だけでもわかるようには書いてはいますが、もしよろしければ前二編を読んでからですと一層楽しめるかと思います。
よろしくお願いいたします。
私、インゲボルク・ランカスリー。
二ヶ月前にここランカスリー王国の第一王子で王太子のユーリ・ドゥ・ランカスリーと結婚式をあげ、王太子妃となった。
五ヶ月前までは隣国ナタリアナ王国の第一王子マリウスの婚約者だったが色々あって、本当に色々あって婚約破棄となり、幼馴染でもあったユーリが迎えに来てくれて、ランカスリー王国にやって来た。
入国してすぐに婚約お披露目の夜会があり、無事ユーリの婚約者として認められた。ユーリはそれから一ヶ月後の私の誕生日に結婚式を挙げたかったらしいが、流石に王太子の結婚式を一ヶ月で準備は難しいとのことで(儀式的には大丈夫だが、ドレスが間に合わないと完璧に仕上げたいお針子さん達から苦情が来た)妥協して三ヶ月後になった。
それでも早いと思うのだが。
「遅いよ。一日でも早くイルを名実とともに私のものにしたいのに」
少し頬を膨らましてそう言うユーリに思わず微笑んでしまった。
結婚式までの三ヶ月の間にランカスリー王国の色々な事を学び、作法を習った。立ち居振る舞いはナタリアナ王国で約八年間、あちらの王太子妃候補として色々と叩き込まれていたのでそこらへんはどうにかなった。
そしてお針子さん達の技術と努力の結晶であるウェディングドレスに身を包み、結婚式を挙げた。ランカスリー王国の皆様にもとても祝福してもらい、無事ユーリの妃となれたのだ。
そしてそれから二ヶ月が過ぎた。
カチャと右手がお茶の入ったカップに当たってしまった。
「……すみません」
「気にしなくていいよ」
横に座るユーリが優しく呟く。もう眠る準備をして部屋で二人で和んでいる。彼の手にはお酒の入ったグラスがある。
私、インゲボルクは右目が見えない。小さい頃の怪我により顔の右側、眉から目、頬にかけての傷があり、見えないだけでなく表情も動かしにくい。
そのためナタリアナ王国ではあまり人前に出なかったせいもあるが、冷酷やら無表情令嬢と呼ばれていた。確かに右側だけ口角が上げにくいため、笑顔というものが作りにくい。元々王太子妃候補としての教育で感情をコントロールするようにはなっているのだが。
傷自体は自分のせいではないので、隠す必要もあまりないのだが、普段は顔半分を隠す仮面をつけたり、飾り布で見えなくして、前髪もそちら側を長くしている。
今はもう寝る前ということと、ユーリしかいないので外していた。そして二人しかいないということで気を抜いていたのもあるが、どうしても右手側の物は見にくくなる。
もう一度きちんと確認してからカップを手に取り、一口飲む。ゆっくりと戻したところで、ユーリに手を取られて、軽く引っ張られて、トスンと彼の胸元に倒れ込む。
「大丈夫?」
優しい声が頭の所で響く。私は顔を上げて彼と目を合わす。私ができる最大限の微笑みで返事をする。
「大丈夫ですよ。無理はしてませんし」
「ならいいけど。怪我はない?」
先程カップに当たった手を心配してくれている。
「このくらいは全然」
指先を見ながら確認する。ユーリも私の指を手に取る。
「そういえば明日にも正式な通達があると思うけど」
私の指を撫でながら告げてきた。
「五日後に隣国ラナーダ王国から使者が来る」
「ラナーダからですか?」
ラナーダ王国はここランカスリー王国の隣国で、ナタリアナ王国とはランカスリー王国を挟んでいるので、私自身は今まで全く交流はない。知識としては頭に入っている。ユーリとの結婚式の時に使者の方と挨拶させてもらったぐらいだ。
ナタリアナよりかは大きく、ランカスリーよりかは小さな国だ。言葉も違う。
「結婚式の時に使者の方が来られてましたが、今度はどなたが?」
ユーリが返答を少し考えている。
「……ラナーダの王女だ。第一王女のメラーラ姫だな」
「……メラーラ王女、ですか」
そう、とユーリが頷く。頭の中をフル回転させ思い出す。
「……確か私と同じ年齢だったと記憶しているのですが」
「あぁそうだな、18歳だな。昔から何度か来ている」
「……えっと、今回は何をしに……?」
ユーリがそれなんだが、と大きく溜息をつく。
「表向きは私達の祝いらしいのだが」
「祝い、ですか?」
他国の王族の結婚を他国の王女が祝いに来るのは何らおかしくはない。ないのだが。
何故、今?という気持ちが起こってくるのも事実だ。結婚式から二ヶ月経っているし、ラナーダ王国としてもすでにお祝いはいただいている。
ユーリが表向きと言ったことを思い出し尋ねてみる。
「裏、があるのですか?」
「………ない、とは言い切れない。だが表面上は知らないふりをしなければならない」
色々な駆け引きがあるのだろう。めんどくさい、とは言えないのが王族だ。ユーリは私をギュッと抱きしめてきた。
「何があっても私のことを信じて、離れないでいて欲しい」
「当たり前です。ユーリこそ、私を信じていてくださいね。頑張りますから」
「無理はしないで」
そう言った彼は軽く額に口づけをして、私を抱き上げて、嬉しそうに寝台へと足を向けた。
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「本当に過保護よね、ユーリ殿下は」
中々に不敬なことも明るく言っているこの女性はリーゼロッテ・サウスト公爵令嬢で、私の従姉だ。ランカスリー王国内で数少ない信頼のおける令嬢の一人だ。
その身分から私が入国するまではユーリのお相手候補の筆頭と周りから見られていたが、私のことを知っていたため本人には全くその気はなかった。ユーリと私とリーゼロッテは年が近いこともあり、幼馴染として小さな頃からよく遊んでいた。だからユーリに物申せる数少ない者の一人だ。
私が怪我をしてからも心配してくれていて、色々と力を貸してくれた一人でもある。私にとっては姉のような方でもあるし、もちろんその肩書きでランカスリーの社交界でもかなりの重要人物でもある。
私の前ではかなりくだけてはいる、が私も彼女の前では気を張らなくていいので、助かっている。
「そんなことはないですよ」
お茶を一口いただく。ここは王宮内の応接間の一つ、私が友達や客人を招く際に使っている部屋だ。
「あるわよ。まぁされている本人が気にしてないなら良いけど」
今日はリーゼロッテと二人だけのお茶会だ。まぁお茶会という名目の情報交換会とも言う。
今この部屋には私とリーゼロッテ、彼女が連れてきたサウスト公爵家の侍女が一人と私の侍女が一人。計四人だけだ。警護の騎士も扉の外だ。ちなみに私の侍女もサウスト公爵家出身なのである意味身内だ。
「今日も親交のあるご令嬢から一緒に行きたいと言われたけど、一応ユーリ殿下に先にお伺いしたら、却下だったもの。本当は私にも会わせたくないくらいじゃない?」
あら、そうだったのか。
「その顔からすると知らなかったみたいね。もう狭量な男ね」
「今は仕方ないかもしれないですね。もう少しすれば」
「そうなることを期待しているわ」
そうなのだ、私の王太子妃という肩書き上、この国の貴族の令嬢や夫人方と交流をもつためにお茶会を開くのは大事な仕事の一つなのだが、今は開催や招待客もユーリが指定している。結婚式前の三ヶ月はこの国のしきたりや習わし、作法を覚えるために勉強し、自分で開催というよりも、リーゼロッテと一緒に出席した方が多い。式を挙げ、バタバタな一ヶ月が過ぎ、さぁ今度は自分で、と思ったらユーリからストップがかかった。まぁ理由があるのだが。
「でも今度の夜会は出るのでしょう?」
「はい。リゼも出ますよね」
ラナーダ王国の方々が出席する夜会だ。
「出るように言われてるわ。でもあまり乗り気じゃないんだけど」
「どうして?」
リーゼロッテがうーん、と少し考えている。
「……あんまりいいイメージがないのよね。イルはラナーダのメラーラ王女の事、知ってる?」
「メラーラ王女ですか?知識だけ、ですね。実際にお会いするのは初めてになります。何かありましたか?」
「ない、わけではないんだけど……流石にもう大丈夫かなと思っていたんだけど」
「?」
「王女様、ユーリ殿下を狙っていたのよね」
「………そうなの?!」
そうだったのか。確かに王女と王子だ、相手としては問題ない。さらに隣国で自国より大きい国の王太子だ、国としても勧めたい相手だろう。
「昔から何回か来てるけど、その度に夜会でユーリ殿下にベタベタと、って言っても良かったわよね?大丈夫よ、昔からユーリ殿下はイル一筋だから、相手にもしてなかったし。国として正式に申し込みもあったらしいけど、断ったと聞いているわ」
「大丈夫ですよ」
微笑みで返す。そうか、ユーリが言い淀んでたのはそう言うことか。
「まぁ今回は二人のお祝いで来るとまで言ってるんだから、大丈夫だとは思うけど、昔は色々とね」
「何があったの?」
リーゼロッテが思い出したのか溜息をつく。
「ほら、私ってイルが来るまでごまかすためのユーリ殿下の婚約者候補だったじゃない?」
私は頷く。
「だからだとは思うんだけど、牽制が凄くて」
「牽制?」
「そう。私の前でわざとユーリ殿下と腕組んだり、見下すように笑ったり」
「……」
「私に対抗しても仕方ないんだけどな、と思いながら見てたけど。大丈夫よ、ユーリ殿下は凄くスマートに躱してたから。見てる方が楽しかったわ。それに何て言うの?好みっていうか、とにかくイルと正反対な感じなのよね、メラーラ王女って。だからその時点でユーリの眼中に入ってないのを気づいてないから」
そんなことがあったのか。となると今回は……。
「イルと結婚したのを知っていて、どうくるかよね」
「……ラナーダ王国って、一夫多妻制でしたっけ?」
「違うと思う。ただ王族はわからないわ」
ランカスリー王国もハリーナ王国も一緒だが、基本一夫多妻制ではない。ただし王族は後継ぎが必須でもあるので、正妃の他に側妃がいたという記録もある。
ここ何代かはいない。皆様仲がよろしくてなによりだ。
「まぁユーリ殿下はイル一筋だから」
「……何事もないことを祈ります」
私はもう一口お茶を飲んだ。
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「大丈夫ですか?辛くはないですか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
今夜は王族主催の夜会だ。ラナーダ王国からの賓客を歓迎するためである。
昨日到着した一行は、国王陛下と王妃様への挨拶もそこそこに、急遽ユーリに会いたいと言ったらしいが、予定があると断ったらしい。まぁ王族の、それも王太子の予定なんてきっちり決められてますよね。変更はそう簡単にはできないでしょう。その対応で気づくかどうかだが。
そして今日も朝から何かと理由をつけてユーリの前に現れようとしているらしいと侍女から聞いた。一体どこから聞いてくるのだろうか、侍女達は。
今は小さい時から知っているサウスト公爵家出身の侍女であるハンナに夜会のための着替えを手伝ってもらっている。私に付いている侍女は他に何人かいるのだが、こういう着替えの時は彼女だけで事足りるので一人でしてもらっている。
今夜のドレスももちろんユーリが選んだ物で、彼の瞳と同じ水色だ。胸元で切り替えが入っていて、そのままストンとした感じでスカート部分はデザインされている。腰回りの締めつけがないため、コルセットもパニエも無しだ。足捌きがとても楽である。
右眼の仮面も水色の布と小さな宝石を飾り付けてある。デザイナーさんが色々と考えてくれているそうだ。そしてその飾った仮面が見えるようにとハンナが髪型を整えてくれた。
ちょうど出来上がった頃にノック音がなる。
「準備できたかい?」
ユーリも私の瞳の色の薄い水色の衣装で部屋に入ってきた。
「はい、大丈夫です」
手を差し出されたので、自分の手を重ね、立ち上がるとゆっくりと抱きしめられた。
「……ユーリ?」
「………なぁ」
「え?何て」
「見せたくないなぁ。このままここにいたい」
ギュッと抱きしめてくる。私は思わず微笑んでしまう。
「だめですよ。ちゃんとお仕事しないと」
「わかってる。でも少しだけ」
しばらくして、ゆっくりと離される。ちょっと乱れた髪の毛を直してくれた。
「無理はしないでね」
「はい、大丈夫です」
「あぁそれと今夜は何かあったらイルの好きなように行動していいからね」
「……よろしいのですか?」
「いいよ、元々母上に次ぐ立場だ。何も言わせない。まぁ何もないのが一番なんだけどね」
「……そうありたいですね」
ユーリと一緒に夜会会場へ向かった。
会場の大広間に入るとすでにかなりの人数がいた。どうやら私達は最後の方だったらしい。ユーリにエスコートされながら会場内を進む。途中挨拶に来る貴族達をユーリが躱しながら、国王陛下と王妃様の元に着いた。
「遅れましたか?すみません」
「大丈夫だ」
私も頭を下げると王妃様が声をかけてきた。
「いいのよ、どうせ我が息子が駄々こねたんでしょう?見せたくない、とか言って。そのドレス似合っているわ。インゲボルク、大丈夫?無理はしないでね」
「ありがとうございます」
にこやかに会話をしていると、近づいてくる一団が見えた。
金色でふわふわな長髪と濃い緑色の瞳の女性を先頭にこちらに真っ直ぐ向かってくる。
あぁなるほどリーゼロッテが言っていた「正反対」とはこういうことか。
同じ年齢だが、どちらかといえば、私は背も高くストレートの長髪、年上に見られるタイプで、彼女は背が低く、ふわふわな長髪、瞳も大きな、所謂可愛らしいタイプだ。守ってあげたくなる、という感じか。
本人もそれを自覚しているのか、ドレスもレースたっぷりのフワッとしたプリンセスラインの物だ。
しかしある一点においてそのドレスには問題がある。
周りもざわめくのがわかる。皆も気づいたようだ。私達に近づくにつれてざわめきは大きくなる。
そして目の前に来て、ユーリの前で彼女が微笑んだ時点でそれは確信に変わる。
彼女のドレスの色が水色なのだ。それも薄いものではなく濃い水色。あきらかにユーリの瞳の色だ。すなわち私のドレスと同じ色である。
こういう大きな夜会の場合、主賓である方々のドレスの色が被らないようにあらかじめ伝えられている。もちろん私のドレスの色も伝えてあったし、彼女の色も水色ではなくピンク色だと聞いていた。変更も聞いてはいない。
間違いなく、わかっていて着てきた、ということである。
メラーラ王女は国王陛下と王妃様の方を向き、カーテシーをする。
「この度はこのような場を設けていただき、お礼申し上げます」
「遠路はるばるよう来られた。楽しんでもらえれば」
「ありがとうございます」
一応型通りの挨拶を交わす。ラナーダ王国の公用語はランカスリー王国とは違うが、こちらの言葉を綺麗に話している。そこらへんは流石だ。王妃様とも会話をし、お辞儀をしている。そして私達の方を向き、微笑んできた。
「やっとお会いできましたね、ユーリ様」
挨拶もなしにそう声掛けてきた。そもそも私達の祝いのためという名目なのに、そのことに関しては何も言わない。
後ろに控えている家臣と思われる方々の顔を見るとまずいと言った顔をしているが、誰も王女には言えないのだろう。そうでなければその色のドレスを着ると言った時点で誰か止めていたはずだ。
するとユーリは私の腰にスッと手を回し、グイッと引き寄せる。
「久しぶりです。あぁインゲボルクとは初めて会いますね、紹介します、私の妻で最愛のインゲボルクです」
いや、ユーリも負けていなかった。そして私の髪に口づける。いいのかしら、と思いつつ、自分も挨拶をする。
「インゲボルクです。これからもお会いするかもしれませんね。よろしく」
軽く流してみた。すると先程までの笑顔がスッと消えた。ここまで変われるものなのかとある意味感心するくらいだ。
『〜〜〜〜』
小さな声だが私に向かって何かを言ってきた。ラナーダの公用語でもなく、ランカスリーの言葉でもない。周りは誰も聞き取れなかったようだ。
メラーラ王女の後ろにいる男性だけがわかったのか、慌てている。すると王女はもう一度同じ言葉を発してきた。私がわからないと思って笑っている。
私は深呼吸をする。そして声を出す。
『それが一国を代表して来ている王女の言葉ですか』
メラーラ王女が発したのと同じ言語で返す。彼女と後ろの男性が驚いている。
『あなた邪魔なのよ、その場を明け渡しなさい。この傷物が』
先程メラーラ王女が発した言葉はラナーダ王国でもごく一部で使われている言語だ。多分私やランカスリーではわからないと思って使ってきたのだろう。確かにいくら隣国の言葉とは言え、公用語ではない、マイナーな言語までは正式には習わない。ナタリアナ王国でも知られていないだろう。
だけど私は知っていた。というか習っていた。何せ約八年間、社交界にも出ずに引きこもっていたのだ、王太子妃としての勉強もやることがなくなり、色々なことに手を出していた。
近場の国の言語は公用語からマイナーなものまで習っている。ただ本当に喋ることになるとは思っていなかったので、発音は怪しいかもしれない。
でもメラーラ王女の顔色が変わった所を見ると合っていたようだ。
『それはラナーダ王国メラーラ王女の正式な発言と受け取ってもよろしいですか?』
私が発した言葉に、王女の顔は強張る。先程までの笑顔はどこへいったのだろうか。すると彼女の後ろの臣下と思われる男性がすみませんと割り込んできた。
「王女は混乱していたようです。私が代わりに謝罪いたします、申し訳ありません」
頭を深々と下げてきた。いや、あなたが誰かもわからないのですが、と思っていると、メラーラ王女は何も言わずプイッと去って行った。臣下の方々は慌ててついて行く。
ふぅと一息つく。
「大丈夫か?」
ユーリが心配そうに尋ねてくる。私は笑って答える。
「大丈夫です。私の拙い発音が通じて良かったです」
「いや、そうではなくて……」
「インゲボルク様」
呼ばれて振り向くとリーゼロッテがいた。彼女はこういう公式の場ではきちんとしている。流石公爵令嬢だ。
「リーゼロッテ様」
「見ていましたが……大丈夫そうですね」
私の顔を見て微笑んだ。
「ちなみに何を言われたかお聞きしても?」
リーゼロッテに尋ねられたので、先程のやり取りをかいつまんで伝えた。
「……ったく、お祝いに来たんじゃなかったの?お付きの人達も大変ね」
話していると、ユーリの元に伝達の騎士が来た。どうやら呼ばれたらしい。
「リーゼロッテ嬢、しばらくイルを頼めるか?」
「もちろんですわ」
なら、とすぐ戻ると私の額に口づけをして行った。周りから黄色い声が聞こえたような気がする。
リーゼロッテと二人、少し窓際に移動する。リーゼロッテが指示を出したお付きの方が二人分の飲み物を持ってきてくれた。
「果実水で良かったわよね?」
「ありがとう」
受け取って一口頂く。
「来るかしら?」
「来る、とは思います」
ユーリが離れたこの好時機を逃す事はしないだろう。案の定、周りがざわめき始めたと思ったらふわふわな金髪がこちらに来るのが目に入った。
「ほんとに来たわね」
リーゼロッテがクスッと笑っている。私とリーゼロッテの前に立ってこちらを睨んでいる。ユーリに向けていた微笑みとは全く違う。違いすぎて笑ってしまいそうだ。自分の表情が乏しくて助かったかもしれない。
メラーラ王女が私の前に立つ。さて、どうでる?
「さっさと国に帰ってもらえないかしら?」
中々ストレートに来た。
「どうして帰らなければならないのです?」
「あなたが邪魔だからよ。ユーリ様は私が昔からお慕いしていたのに、どうしてポッと出のあなたがその位置にいるのよ。ユーリ様の隣は私のものよ、さっさと明け渡しなさい」
いやいやいや、昔からっていつからですか?どう返答しようか迷っていると、自分が有利と思ったのか、フフンと微笑みながら続けてきた。
「あぁその傷で同情されたのだったかしら?ユーリ様はお優しいから。あぁそうだったわね、そんな傷物ではもうあちらの国には帰れないわね。いいわよ、この国にいても。そうね、私に付いてもらおうかしら?ユーリ様の正妃になる私の侍女になれるのよ、光栄に思いなさい」
何故、そんな話になるのだろうか。不思議でならない。この傷があってもナタリアナ王国にはいくらでも帰ることはできるのだが。リーゼロッテもそう思ったのか口を挟んできた。
「どうしてそんな話になるのです?ユーリ殿下のご正妃様はもうすでにこのインゲボルク様ですのに」
メラーラ王女はリーゼロッテの方をちらりと見る。流石に誰かはわかっているからか、話しかけたことについての文句は出ない。
「私は認めないし、この国の人だって認めてないんでしょう?そんなナタリアナみたいな小さな国から来た人なんて」
あなたに認めてもらう必要はないのだが、と突っ込みたくなるが、何だろう、この違和感は。一体この王女様は私についてどんな情報を吹き込まれているのだろう。こちらが黙っているとさらに笑顔で続けてきた。
「それにあなた、もうユーリ様に飽きられているんでしょう?お相手もできないようじゃ妃の意味がないわよね?大丈夫よ、私がユーリ様の御子を産んであげるわ」
もうどこから反論すればいいのだろうか。いや、反論する気にもならない。確かにここしばらくはユーリと一緒に寝ているだけだ。そういった行為はない。それには理由があって。
しかしその事を何故この王女が知っているのか、が問題だ。この夜会が終わったらユーリに相談しなければ。とりあえずは目の前の問題だ。
「………メラーラ王女様は私とユーリについての事はどこでお知りになりましたの?」
つとめて冷静に話す。
「そんなことはどうだっていいでしょう?私はこの国でも認められているのよ、だから教えてくれる人がいるの。さっさと私にその位置を明け渡しなさい!」
「一国の王女とあろうものが情報の精査もしないのですか?」
少し低い声で強めに言うと、少しはまずいと思っているのかメラーラ王女の後ろにいるお付きの男性の顔色が変わった。
「どなたに聞かれたかは存じ上げませんが、かなり間違った情報を鵜呑みにされているようで」
「な!なによ!間違ってなんかないわ!だってライスタス侯爵っていう人が教えてくれたのよ!」
後ろのお付きの男性が王女!と慌てて止めている。
やはりか。ライスタス侯爵と言えば、私とユーリの婚約発表の時の夜会に娘のエルネスタ嬢と一緒に絡んできた貴族だ。あの時に抑えつけたつもりだったが、まだ諦めてなかったのか。
自分の娘が駄目だったからといって、隣国の王女をけしかけてくるとは。よほど私が気に入らないのか。しかしその行為がどれだけ危険なことかをわかっているのだろうか。私は一度深呼吸をする。
「………どんな風に私の事を聞かれたかはわかりませんが、殆どが真実とは違うと申し上げておきます」
「そ、そんなわけないわ!だって」
「どんな風に伝えたのかな?ライスタス侯爵よ」
後ろからユーリの声が響いた。振り向くとすぐ後ろにユーリと騎士、それと兵士に連れられたライスタス侯爵がいた。
「わ、私はその……」
とても歯切れが悪い。するとメラーラ王女が叫ぶ。
「ユーリ殿下はその女の事を愛していないって!ナタリアナ王国から金をもらうために連れてきただけだって。そうじゃなきゃあんな傷のある女と一緒になるわけがないって!本当は私と一緒になりたがってる、って言ったわよね?だから私はここに来たのよ!私が正妃になったらあなたの娘を側妃にって約束もしたじゃない!」
もう言葉が出ない。
「どう見たって私の方が綺麗でしょう?ユーリ様の隣は私の方がふさわしいのよ!そんな変な仮面を被って隠さなきゃいけないような傷、王太子妃にふさわしくないわ!」
「あなたもそれをおっしゃいますか。何故皆様同じことをおっしゃるのでしょう。この傷があるからといって私の本質は変わりませんのに。見た目だけで選ばれるとでも?そんな選び方をするような人が皆様の上に立てると思いますか?」
「確かにそうだな」
そう言いながらユーリが後ろからきっちりと抱きしめてきた。腰に手をまわされている。
「何をどう言われたのかは知らないがまず根本的な間違いが一つ。私の隣はインゲボルクがふさわしい」
「………っ」
「あとは、そうだなまずライスタス侯爵よ」
「は、はい……」
ユーリの声が低く厳しいものに変わる。
「自分がしたことの意味、わかっているな?」
「…………」
「隣国にランカスリーの重要機密をもらした。その時点で有罪と言えよう。追って処罰を言い渡すのでその身はこちらで預かる」
「…………」
何も言えないまま兵士に連れられていった。
「そしてメラーラ王女よ。先程からの我が最愛の妃への暴言、とても許されることではない。いくら虚偽の報告をされたとはいえ、その立場において何の精査もせず口に出すのは問題ではなかろうか」
「あ………」
ユーリのきつい言葉にメラーラ王女は顔色が悪くなっていく。
「で、でもあの男が」
「ですからそれは虚偽だと言っている。王女の都合の良いように言われたかもしれないが全て嘘だ。大方今もライスタス侯爵が私を呼び出すからインゲボルク一人になったところに行けばいいとでも言われたか?」
「………」
どうやら図星のようだ。どうりでタイミング良くユーリが呼ばれて、ライスタス侯爵を連れて戻ってきたな、と思っていたがそういうことか。
「で、でも全てが嘘ではないでしょう?彼女のこと飽きたらしいって侍女が言っていたんだから」
あらあら侍女がって言ってしまいましたね。これで私付きの侍女がライスタス侯爵と繋がっていることが証明できました。元々ハンナ一人でも十分なのに、周りから王太子妃ならば、と何人か入れられたんですよね。一応この国の貴族のご令嬢だし、無下にもできなくて付けたんですけど、これで辞めさせられる口実ができました。ありがたいことです。
「誰がそう言っていたかはあとで調べるとして」
ユーリの声が低いです。あぁとても怒ってますね。さらにグイッと引き寄せられました。もう密着状態です。
「誰がイルのことを飽きたと?どうしたらそういうことになるんだ?」
「……だって、ただ一緒にいるだけだって!そんなんじゃ子供ができるわけないって!」
…………。そんなことまで漏らされますか。これは完全に解雇案件ですね。確かにただ一緒に寝ただけの朝と致した時の朝ではシーツなり色々違いますからバレるとは思いますが。
「だ、だから私が正妃になればいいって言われたもの」
ユーリの怒っているオーラが凄いのですが……。
「万が一があっても私があなたを妃にすることはない。あぁ側妃を持つことはもっとないな。イル以外はいらない」
そう言って私の頭に口づけをする。うん、照れるなぁ。
「で、でもユーリ様は王太子です、子供がいないと!お世継ぎは必要ですよね!」
メラーラ王女は必死に訴える。
「世継ぎね、そうだね必要だね」
ユーリは軽い声で答える。
「でしょう?ですから私が……」
「いるよ、もう」
「え?」
ユーリの一言に周りが静かになった。
「聞こえなかった?いるからもうお世継ぎ」
「え?あ?それは……どういう」
「そのままの意味だよ。まぁまだ男女どちらかわからないけどね」
皆が呆気にとられる中、ユーリだけがとても嬉しそうだ。そして私のお腹あたりを撫でてもう一度声を出す。
「まだわかったばかりだからね。正式な発表はもうちょっと落ち着いてからと思っていたんだけど。五月蝿い人がいるから仕方ない」
「え?あ?そんな……」
「おめでとうございます!王太子様、王太子妃様」
わざとらしくリーゼロッテが頭を下げて大きな声を出す。周りもそれに連なる。
「おめでとうございます!」
「これはおめでたい」
拍手も起こる。皆にこやかに祝福してくれている。いたたまれないのは彼女だけだ。
まぁ知らないのも無理はない。私自身わかったのはついこの前だ。知っているのはユーリと医療師の他には国王陛下と王妃様、ハンナとリーゼロッテぐらいだ。もうちょっと安定期に入ってから発表、とも思ったが仕方ない。
だから夜は一緒に寝るだけだったのだ。医療師にとりあえずもう少し安定するまでは行為は無しで、と言われたのだから従うしかない。本当は部屋も分かれてゆっくりとお休みになっては?と言われたがユーリがそれは断固として許可しなかった。
「いやだ、私がゆっくりできない」
とまるで子供のように駄々をこねた。思わず笑ってしまったが。
「う、うそよ!だってまだ……」
そう結婚式から二ヶ月。そう思いたい気はわかるが、不思議ではない。
「嘘ではない。なぜ嘘をつく必要がある?私とイルは愛し合っているのだから不思議ではないだろう?」
そう言ってユーリは私を横抱きにして抱え上げた。
「ではこれ以上の喧騒はイルにもお腹の子にもよくないな。下がらせてもらう。あぁメラーラ王女、先程のインゲボルクに対する暴言等は国として対処させていただく。ラナーダ王国に文書を送らせてもらうからそれなりの対応をしていただくことになるだろう」
メラーラ王女は顔色が悪くなり、立っているのがやっとといったところだ。ユーリにお願いしてメラーラ王女の前に連れていってもらう。
『メラーラ王女』
「?!」
『あなたが誰にどのように吹き込まれたかは知りませんが、私はユーリのことをこの世の誰よりも愛しています。この思いは誰にも負けません。私は彼の手を離すことはありませんし、彼も私の手を離すことはないでしょう。あなたも彼以外の幸せを見つけてください、では』
「………」
ユーリにもう大丈夫です、と伝えて、大広間から出てもらった。
自分達の部屋に戻ってきてソファに座る。何故かまだユーリに抱き上げられたままだ。
「ユーリ?もう降ろしてくださって大丈夫ですよ。ほらあなたは広間に戻らないと」
ガバッという音とともに目の前が暗くなった。ユーリの胸元に閉じ込められた。
「……ユーリ?どうしま」
したか?と言う前に顔をクイッと上げられて仮面を外されて口唇が重なる。ゆっくりと離れると何か聞こえる。
「……言って」
「え?」
「もう一回言って?」
「……何をです?」
「さっきメラーラ王女に言ったこと」
ユーリはとても良い笑顔だ。さっき?えっとメラーラ王女に?え?あの誰もわからない言葉で言ったこと?え?でも私とメラーラ王女とお付きの人くらいしかあの言葉はわからないはずで………だからあれだけ言えたのであって……。え?
「本人にちゃんと言ってくれる?イルにきちんと言われた記憶ないんだけど?」
そう言って離してくれない。くれないどころか顔がさらに近くなる。私の顔はどんどん赤くなる。
「もしかして……ユーリ、あの言語わかってました……?」
「もちろん。あ、ちなみに父上も母上もわかっていると思うよ」
「!!!」
誰もわからないと思って言ったのに………。
全部聞かれてたなんて……。
確かに私が習得しているくらいだ、隣国の王族が習得していてもおかしくはない。おかしくないどころか当たり前かもしれない。
「ねぇ、イル?」
「…………せん」
「ん?何て言った?」
「……恥ずかしくて言えません!」
「えー?二人だけだからいいでしょう?さっきはあれだけの人前で言ったのに」
「無理無理無理、無理です!」
もう顔が赤いを通り越して熱い。ユーリが優しく右頬に口づけをする。
その夜、ユーリが夜会に戻ることはなかった。