第62話 声が聞きたいし顔も見たい。
「……うおっ」
耳の近くでスマホが音を鳴らしたことによって、俺は目を覚ました。
寝ぼけ眼の俺は、とりあえずスマホを手に取り画面を見る。するとそこには、由佳の名前が表示されていた。
「も、もしもし……」
『あ、ろーくん?』
「由佳、どうかしたのか?」
『あ、うん。ろーくん、電話をかけてくれていたよね? それが、少し気になって……』
「む……」
由佳の声を聞きながら、俺の意識は段々とはっきりしてきた。
確かに寝る前に彼女の声が聞きたいと思い、電話をかけていたのは事実だ。しかし、その後に俺は間違って電話したと送ったはずである。だから、別に由佳が電話をかけてくる理由はないと思うのだが。
「それに関しては間違って電話してしまっただけだ。すまなかったな。余計な手間を取らせてしまって」
『あ、ううん。ろーくんのメッセージはちゃんと見てたから、間違って電話していたのはわかってたんだ。ただ……』
「ただ?」
『電話かけてくれたんだって思ったら、ろーくんの声が聞きたくなっちゃって……』
「そ、そうか……」
由佳の言葉は、正直とても嬉しかった。彼女が俺の声を聞きたいと思っていてくれていたという事実には、笑顔が零れてしまう。
しかし同時に、心が少し痛くなった。由佳が少し、申し訳なさそうにしているからである。
それは恐らく、それだけの理由で電話をかけたことに対する罪悪感のようなものなのだろう。俺も同じ理由で電話をかけようとしたので、それはわかる。
「……由佳、実は間違えて電話をかけたというのは嘘だ」
『え? 嘘?』
「ああ、俺も由佳の声が聞きたくなって電話をかけたんだ」
俺は由佳に素直に事情を打ち明けた。
先にそのような理由で電話をかけたのは俺だ。だから、由佳がそのように申し訳なさそうにする必要なんてないのである。
『そ、そうだったんだ……それなら、存分に聞いて欲しいな?』
「そ、そうか……」
『でも、ろーくんの声も聞かせて欲しいな』
「あ、ああ……そうか、それならたくさんしゃべらないと駄目だよな?」
『うん、いっぱい喋ろ?』
由佳の明るい声に、俺はとても温かい気持ちになった。
彼女も同じような気持ちになってくれているだろうか。もしもそうだったとしたら嬉しいのだが。
『あ、ろーくん、もしよかったもう一つお願いしてもいい?』
「お願い? なんだ?」
『ビデオ通話にしない? なんだか、顔も見たくなっちゃった……』
「ビデオ通話か……確かに俺も由佳の顔を見たいし、その方がいいな。少し待ってくれ」
俺は耳に当てていたスマホの画面を見てみる。ビデオ通話なんてやったことはなかったが、幸いにも画面に表示されたため、すぐに切り替えることはできた。
そして俺は、少し驚くことになった。画面に映し出された由佳が、パジャマ姿だったからだ。
よく考えてみれば、それは当然のことである。俺だって既に寝間着なのだから、当たり前だ。だが、いつも通りの由佳が出てくると思い込んでしまっていたため、結果的に面食らってしまったのである。
「……」
『ろーくん?』
「あ、いや、その……パジャマも似合っていると思ってな」
『あ、うん……ありがとう。ろ、ろーくんも似合っているよ?』
「そ、そうか……」
俺の言葉に、由佳は顔を少し赤くした。もしかしたら彼女自身も、自分の姿のことを忘れていたのかもしれない。
本当に、見てもいいのだろうか。俺は一瞬、そんな疑問を覚えた。
ただ、由佳が特にビデオ通話をやめたりしようとしないので、多分見ても大丈夫だということなのだろう。
「……温かそうな見た目だな?」
『実際に温かいよ? もこもこしているし?』
「まあ、そうだよな……」
由佳のパジャマは、なんというかもこもこでしましまだ。正直、とても可愛らしい。抱きしめたいと強くそう思う。
『小さい頃は、よくお互いの家にお泊りしたよね?』
「ああ、そうだったな……」
『一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝て……懐かしいなぁ』
「あ、ああ……」
由佳の昔を懐かしむような言葉に、俺は言葉を詰まらせた。
確かに昔は一緒にお風呂に入っていたし、一緒の布団で寝ていた。しかし、今それを言われると色々と想像してしまう。
だが、由佳は純粋に昔のことを語っているのだ。そんな邪な気持ちを持ってはいけない。
そう思いながらも、俺の視線は由佳の色々な所に向いてしまった。パジャマという無防備な姿もあってか、俺の気持ちはいけない方向に傾いてしまっている。
『……またそういうことしたいよね?』
「え?」
『お泊り会とか、ろーくんとしたいな』
「そ、そうか……」
由佳の言葉に、俺は動揺してしまった。てっきり、一緒にお風呂に入ったり一緒の布団で寝たりしたいと言ったのかと思ったからだ。
いや、よく考えてみればお泊り会も結構すごいことではないだろうか。なんというか、俺は混乱しているようだ。
『あ、ゴールデンウィークとか、せっかくだから家に来ない?』
「ゆ、由佳の家に?」
『うん。泊まってくれたら、長い間一緒にいられるでしょ?』
「まあ、確かにそうだが……」
ずっと一緒にいたい。俺は由佳のそんな言葉に同意した。その気持ちに偽りはない。俺はできるだけ長い時間、由佳と一緒にいたいと思っている。
ただ、泊まるなんて本当に大丈夫なのだろうか。色々とまずい気がする。付き合ってもいない男女が一つ屋根の下で一夜を明かすなんて許されるのだろうか。
『ろーくんは、家に泊まるの嫌?』
「い、嫌ではないさ」
『それなら、決まりだね?』
「え? あ、ああ……」
『いつがいいかな……まあ、その辺りはお母さんとお父さんにも相談したいし、また学校で伝えるね』
「あ、えっと……ああ」
なんというか、由佳は少し強引なような気がした。それだけ、かつてのようなお泊り会がしたいということだろうか。
正直、別に俺はそれを断りたいと思っている訳ではない。やましい気持ちも懐かしい気持ちも色々と合わせて、是非泊まりたいと思っている。
だから思わず受け入れたが、本当にいいのだろうか。いや、いいということにしておこう。非常に魅力的な提案である訳だし、ここは自分を無理やりにでも納得させた方がいい。
『ゴールデンウィーク、やっぱり楽しみだなぁ……』
「ああ、そうだな。確かに楽しみだ……」
去年のゴールデンウィーク、俺は一体何をしていただろうか。俺はふとそんなことを思っていた。
去年だって楽しくない訳ではなかったはずである。単純に休みが嬉しかったとは思う。決してつまらなかった訳ではない。
ただ、きっと今年は去年よりも楽しい日々を送れるだろう。由佳が隣にいてくれる。それが俺にとって一番の幸せであるのだから、それは間違いない。