第32話 本屋で会ったのは意外な人物だった。
「俺は一体何をしているんだ……」
目の前の本屋を見ながら、俺はため息をついた。
由佳とのお出かけから一夜明けて、俺は昨日のことを思い出してかなり悶絶した。昨日はテンションが上がっていたため気にならなかったのだが、今日になってやったこと言ったこと全てが恥ずかしくなってしまったのだ。
家にいてもまったく落ち着かなかったため、俺は出かけることにした。丁度読んでいた漫画の新刊が出たので、買いに行くことにしたのだ。
「別に今日買わなければいけないという訳でもないのに……」
しかし、最寄りの本屋には新刊が置いてなかった。意外と人気があったのか、売り切れていたのである。
だから、俺は本屋を巡っていた。その結果、かなりの遠出になってしまったのである。
昨日、由佳にしっかり休むように言われたのに、俺は何をしているのだろうか。なんだか、わからなくなってきた。
「まあ、ここになければ帰るか……」
とりあえず、俺は本屋の中に入った。人気があるということは、漫画コーナーの目立つ所に置いてあるはずだ。置いてなければ、売り切れているということだろう。
「……いや、ある訳がないか」
漫画コーナーに来た俺は、その漫画の新刊がないことを確認した。
他の本屋で売り切れているのだから、ここにある訳もない。少し考えれば、それはわかったはずだ。
昨日のことに動揺し過ぎて、俺は冷静に考えることができなかったようである。なんというか、飛んだ無駄足だった。
「明日、大丈夫かな、俺……」
昨日のお出かけによって、俺の体にはかなり疲労としていた。そして、今日の遠出でさらに疲労が蓄積しただろう。
当然のことながら、明日は学校である。なんというか、滅茶苦茶大変そうだ。いや、自業自得である訳なのだが。
「……うん?」
そこで俺は、漫画コーナーにいる一人の人物のことが気になった。
後ろ姿であるが、その姿には見覚えがあるような気がする。
「ふふっ……」
「え?」
その人物が急に笑い出して、俺は少し驚いた。
もしかして、立ち読みしているということだろうか。いや、この本屋の漫画は全てシュリンク包装されている。立ち読みはできない。
ということは、表紙や裏表紙を見て笑ったということになる。そんなに面白いことでも書いてあったのだろうか。
「これも、買っておこう……あれ?」
「あっ……」
次の瞬間、その人物が俺の方を向いた。その顔を見て、俺は理解する。やはり、彼女は俺が知っている人物であったということを。
「水原……」
「ふ、藤崎九郎……」
黒い髪に青いメッシュ、四条一派の中でも最もクールな彼女は、俺の顔を見てその表情を歪めている。
もちろん、こんな所で知り合いに会うなんて俺も思っていなかった。だが、こんなに驚くものだろうか。少し大袈裟なような気がする。
「……ど、どうしてこんな所に?」
「い、いや、漫画の新刊がなくて……」
「漫画の新刊? あ、もしかしてこれ?」
「ああ、それだが……」
そこで水原は、足元に置いてあったカゴから本を取り出した。その本こそ、俺が求めていた漫画の新刊である。
しかし、それよりも俺が気になっていたのは、今まで気付いていなかったカゴの存在だ。そのカゴには、数冊の本が入っている。どうやら、水原は結構な買い物をしているようだ。
「あ、いや、これは違うから」
「……いや、何が違うんだよ?」
「え? あ、そのっ……と、友達に買い物を頼まれたというか」
俺がカゴに視線を向けたからなのか、水原はとても焦っていた。その反応によって、俺は段々と状況が理解できてきた。
水原にとって、それらの漫画を買っているというのは人に知られたくないことであるのだろう。よく見てみると、カゴの中に入っているのは誰もが読むような人気タイトルではない。限られた者達しか、読まないような漫画だ。
そういうものを買う所をクラスメイトに見られたくないという気持ちは、俺にだって理解できる。それは恥ずかしくて隠したいことなのだ。
「まあ、なんだ……そういうことなら、俺はそろそろ帰らせてもらおうか」
「……え?」
事情がわかったので、俺は帰ることにした。これ以上ここにいても、水原を焦らせるだけだと思ったからだ。
目的の新刊はなかったのだし、俺はもう本屋に用はない。早く帰って休みたいし、もう帰るということでいいだろう。
それにしても、意外だった。まさかあの水原に、そのような趣味があったとは。
いや、別に俺の水原のことをそんなに知っている訳ではなかった。クールなイメージなんて、俺が勝手に抱いていただけだ。
人間多かれ少なかれ、人にいえないことがあるものなのだろう。水原の趣味に、俺はそんな感想を抱いた。
「ま、待って」
「……まだ何かあるのか?」
「……これ」
立ち去ろうとしていた俺は、水原の言葉に足を止めることになった。
振り返ってみると、彼女は俺が求めていた本の新刊をこちらに差し出している。それを俺に渡そうということだろうか。
「いや、それは……水原の友達に悪いだろう」
「……どうせわかっているんでしょう?」
「え? いや……」
「無理があったというのは、自分でもわかっている。だから、これは口止め料」
「口止め料って……」
当然のことなのかもしれないが、水原は俺が理解しているということを理解していたようである。
だから、俺が他の者にその事実を漏らさないように新刊を渡そうということなのだろう。
「そんなものは必要ない。誰にも言いやしないさ」
「……本当に?」
「ああ、本当だとも。俺だってそういう趣味はあるからな。同じ趣味を持っている者として、誰にも秘密を洩らさないと約束しよう」
「同じ趣味? そうなんだ……」
水原は、俺の目を真っ直ぐに見てきた。その顔は険しい。俺の言葉が、気にでも障ったのだろうか。
自分では、結構いい感じにまとめたと思ったのだが、駄目だったようだ。やはり俺には、こういうコミュニケーション能力がないらしい。
「それなら藤崎に質問なんだけど、この漫画知ってる?」
「うん? ああ、知っているとも。前クールにアニメ化していたよな?」
「……本当に知ってるんだ」
俺の言葉に、水原は驚いたような顔をした。
要するに、今の質問は俺を試したということなのだろう。俺が本当に同じ趣味であるか、彼女は疑っていたのだ。
漫画が好きといっても、その好きの度合いは色々とある。水原は、俺がメジャーな作品が好きというだけで同類を名乗った可能性を考慮したのだろう。
「……つまり、藤崎は私と同類という訳か」
「まあ、そういうことになるんじゃないか? 無論、趣向の違いが多少あるとは思うが、概ねそう解釈できるくらいだと思う」
「そっか……ふう、ばれたのが藤崎で良かったと考えるべきか」
水原は結構疑り深いようなので、俺は曖昧な返答を返しておいた。
俺が読んでいる漫画と水原が読んでいる漫画が、完全に一致するとは限らない。先程の作品は知っていたが、読む範囲の違いというものがあるだろう。
「……まあ、わかっているとは思うけど、私はオタクなんだよ」
「……ああ、そうだろうな」
「それは人に知られたくないことだから、こんな風に学校の知り合いが来なさそうな範囲を利用しているという訳」
「な、なるほど……」
水原がこんな所にいたのは、人目を避けるためだったらしい。
確かに、俺達が通っている学校の人間は、この辺りの本屋は使わさなさそうだ。もっと近場に大きな本屋があるし、大抵の人間はそこを使うだろう。
とはいえ、この辺りから学校に通っている人だっているかもしれない。水原が誰にも会わなかったのは、運が良かっただけなのではないだろうか。
「特に舞や千夜には知られたくないからね……」
「四条と月宮……あれ? 月宮とは結構付き合いが長いんじゃなかったか?」
「藤崎、そんなこと知ってるんだ? まあ、それはそうなんだけど、別に付き合いが長くても言えないことなんていくらでもあるよ」
「……まあ、そういうものか」
四条や月宮は、そういう人達に偏見を持っている。水原はそう思っているようだ。
確かに、俺もそれはある程度理解できない訳ではない。関わる前までの俺なら、水原の意見には完全に同意していただろう。
だが、俺はあの二人が由佳のことを大切に思ってくれていることを知っている。だから、水原の趣味が知られた所で、あの二人が邪険にするようになるとはどうも思えない。
「だが、由佳だってライトノベルなんかを読んでいると聞いたぞ?」
「ああ、七海さんから借りたりしているんだったね。でも、由佳は由佳だからさ」
「由佳だから?」
「ほら、由佳はなんというかそういうのが許される感じがしない?」
「……まあ、言わんとしていることがわからないという訳ではないが」
水原の言葉を俺は否定できなかった。確かに、由佳と水原ではなんとなく違う気がする。
それは、キャラの違いということなのだろうか。天真爛漫な由佳は、色々なことに興味を持っても許される。そういうことなのかもしれない。
「とにかくさ、これは私にとって隠しておきたいことなんだよ。だから、藤崎が黙っていてくれるというならとても助かる」
「それなら、何よりだ」
「だから、やっぱりこれは譲る。お近づきの印として」
「……いいのか?」
「いいから譲ると言っている。というか、これは偶々残っていたからカゴにいれただけからね。いつもは電子書籍で買っているんだ。一時期、本当に見つからなかったから」
「ああ、それなら売り切れの心配はないのか……」
水原は、俺に漫画の新刊を渡してきた。
事情がわかったので、俺は素直に受け取ることにした。ただ、その話を聞いたら俺も電子書籍に切り替えたいような気もしてしまう。
「……それと良かったら連絡先を交換して欲しい」
「連絡先? 別に構わないが、何かあるのか?」
「……感想を言い合える友達が欲しい。千夜達とは、そういう話はできないから」
「まあ、俺でいいなら」
水原の言葉に、俺はゆっくりと頷いた。
水原にとって、四条達は紛れもなく大切な友人ではあるはずだ。
だが、そんな人達にも言えないことがある。それは彼女にとって、それなりに窮屈なことであったのかもしれない。
彼女の嬉しそうな顔を見ながら、俺はそんなことを思うのだった。
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