第29話 この一周は大切な一周だったといえる。
「辛かったんだな……すまなかった。寂しい思いをさせてしまった」
「……ううん。ろーくんは悪くないよ」
「いや、俺は由佳に会おうと思えば会えたんだ。一年の時だけじゃない。転校してからも、ずっと会おうと思えば会えた。手紙だって出せた。本当は、出そうとそう思っていた。住所も知っていた訳だしな……」
由佳の体は、とても温かかった。それになんだか、柔らかい感触もする。
だが、俺はそこに意識を向けないようにする。今は動揺している場合ではない由佳に俺の想いを伝えなければならない。
「でも、できなかったんだ。俺は、俺は……」
自分自身の過去に触れようとして、俺は言葉に詰まってしまう。
それを口にすることが辛い。由佳に知られたくない。そんな気持ちが湧いてくる。
「転校した先で、上手くやれなかった……平たく言ってしまえば、俺は虐められていたんだ。俺の味方は誰もいなかった。皆から嫌われていたんだ」
「ろーくん……」
「そんな自分を由佳に知られたくなかった……だから、連絡しないようにした。関わらないようにした。両親にも頼んで……俺は由佳との縁を断ち切ったんだ」
俺は、勇気を振り絞って由佳に告げていた。
息が苦しい。額からは汗が流れてくる。だが、それでも言ったことに後悔はない。これは言わなければならないことだったと俺は思っている。
「すまなかった。俺のわがままのせいで、由佳に辛い思いをさせてしまって……俺がもっと強ければ、由佳にそんな顔をさせずに済んだのに」
「ろーくん……」
「由佳?」
由佳は、俺を抱き寄せてきた。もうこれ以上距離が詰めらないと思う程に、俺達の体は密着している。
由佳の柔らかさも温もりも匂いも全てが余すことなく伝わってくるこの距離で、俺はただただ安心していた。由佳が傍にいてくれる。それだけ不安が消えていく。
「ろーくんも辛かったんだね。頑張ったんだね……」
「いや、俺は……」
「ううん。ろーくんは辛かったんだよ。頑張ったんだよ。たった一人でよく頑張ったね。ごめんね、私が馬鹿だったから、ろーくんを一人にさせちゃった」
「そんなことはない。由佳のせいなんかじゃない」
「それなら、ろーくんだって悪くないよ?」
「由佳……」
由佳は、俺の頭に手を置きゆっくりと撫でてきた。
頭を撫でられるなんて、いつ以来だろうか。こんな年にもなって恥ずかしいような気もするが、とても心地いい。これ以上ない程に安心していたと思ったのに、俺の心はもっと安らいでいく。
そこで俺は気付いた。自分自身が涙を流しているということを。いつの間にか、俺の感情も溢れ出していたようだ。
「……由佳は優しいな」
「ろーくんだって、優しいよ?」
「……そうだろうか?」
「うん。ろーくんは優しい。いつだって優しかった。ろーくんは私にとって。いつだってヒーローなんだよ?」
「ヒーローか……」
由佳の言葉は、とても嬉しかった。ただ、ヒーローというには今の俺は少々情けないような気がする。大粒の涙を流して、ヒロインに慰められている訳なのだから。
「……ありがとう、由佳」
「えへへ……」
俺は、少しだけ由佳を抱きしめる力を強めた。自分の想いをこの体を通して伝えたいと思ったからだ。
そこまでして、俺は段々と冷静さを取り戻してきた。由佳のおかげで、落ち着けたということなのだろう。
すると、自分達の状況が理解できてくる。無論それは承知ではあったのだが、やはり勢いがあった時と冷静になった時では思考が変わってしまう。
「……由佳、そろそろ離れないか?」
「……もう少しこうしていない?」
「……ゆ、由佳がいいと思っているなら俺はこうしていたいと思うが」
「それなら、こうしていよう」
俺としても、別に離れたいという訳ではない。当然、このままの方がいいに決まっている。
だが落ち着いた結果、俺が今まで意識しないようにしていた由佳の全てを意識してしまっている。
柔らかいものが当たっているだとか、いい匂いがするだとか、そもそも全身が由佳に引っ付いているだとか、もう俺の心はそういうことしか思えなくなっているのだ。本当に、これ以上くっついていてもいいのだろうか。
「小さい頃は、こうやってよく抱き合ったよね……今は、少し恥ずかしいけど」
「そ、そうだな……」
由佳にとって、俺は本当に幼馴染のろーくんであるのだろう。男の子だとかそういうことよりも先に、俺は幼馴染なのだ。
それはもちろん、嬉しく思っている。悲しいと思わなくはないが、由佳にとって近しい人だと思ってもらえているのは喜ばしいことだ。
これはつまり、役得ということなのだろうか。いや、しかし、そのような邪な感情を持つのは、純粋に俺を慕ってくれている由佳に対して申し訳ないような気もする。
「……あ、ろーくん。よく考えてみたら、外の景色全然見てないね?」
「うん? ああ、そうだったな……って、あれ?」
「あっ……もう頂上過ぎてるんだね」
由佳の指摘で、俺は今までまったく意識していなかった外の様子を目にした。
目の前の景色は、上へと移っていっている。それはつまり、ゴンドラが下降しているということだ。
「名残惜しいけど、仕方ないかな……」
「ああ……」
俺と由佳は、ゆっくりと体を離した。
本当に、なんとも名残惜しい。あの温もりをもっと味わっていたかった。それが素直な気持ちだ。
とはいえ、まだ由佳と体はくっついてはいる。隣にその温もりがあるだけでも、とても幸せだ。
「……おっと、由佳手を繋いでおこう」
「え? 手?」
「ああ、下りる時に足元が危ないからな」
「……ありがとう、ろーくん。本当に優しいね」
「……そう思ってもらえているなら、何よりだ」
俺が差し出した手を由佳は取ってくれた。またその温もりが伝わってくる。
由佳の手は小さくて柔らかい。直で触れ合っているため、その手がすべすべとしていることもわかる。これも、ずっと握っていたいと思ってしまう。
なんというか、この観覧車の一周で俺の心の中にあった憂いがかなり晴れたような気がする。この一周は、俺にとってもそれにきっと由佳にとっても、とても大切な一周だったといえるだろう。
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