孤拳(こけん)正しくは弧拳受け【2021/04/04】
孤拳をキツネケンと呼ぶとじゃんけんを指す。
本項目では空手のコケンについて述べる。
ちなみに本来の空手では『孤拳』と書き、『狐』は誤字である。孤拳を別名を鶴頭と呼ぶらしい。
影絵の『きつね』を作ってほしい。
小指と人差し指を立て、薬指と中指に親指を添えればできあがりだ。
出典が怪しいがかの漫画『空手バカ一代』のモデル大山倍達氏も、『拳を握るより速い』としたらしい。
この技は手のひら側に要はなく、曲げた手首を敵の攻撃に当てて受け流す防御技、もしくは敵の柔らかい部分を打撃する技である。もちろんヘタをうてば自滅する。
中国では手首による腕立て伏せで鍛えるらしいが筆者は詳しくない。
とっさに出る技こそ奥義と父は述べる。
人間の認知はだいたい0.1秒後だ。
それより早く発動するとしたら脳みそや神経が先にそれらの予測を覚えていることになる。
人間の直感という奴は本人が自覚する前に脳が先に処理しているものであり、脳は極めて面倒くさがり屋なのでかなりいい加減な処理をしつつ、最も楽な方法で出力されている。
我々は所謂達人でなくても他人を見た瞬間に『あ、○○さんだ』と理解できるが『なぜ』理解できたかを『直感』等を除き説明できない。これは脳の構造によるものであり、いわゆるインスピレーションとは今までの学習や人生の集大成にすぎない。
実例として筆者は天才だと思える人物に会ったことがあるが、その彼らのインスピレーションを持ってしても陰謀論や怪しいサイトによるエコーチェンバー、麻薬の類による妄想の影響から逃れることはできていない。また人間の脳みそはもともと統計学的事実に対応していないらしい。
(参考資料『ファスト&スロー』ダニエル・カーネマン著)
人間は自身が経験していなくても伝聞や書籍でこれらを学習できる。
これは言語の本質に通じる。
【本稿とは直接関係がないが言語の本質とは何かを語る】
我々は感じたり考えたりしたことを他人に伝えるために何らかの形でそれを表現せねばならず、人間の脳みそは多大な誤解と適当なフィルタリングを行ってしまうことから、多くの誤解を前提に言語や非言語によるメッセージをやりとりせねばならない。
時間と空間を超える超越性。
これは電話、手紙。古典文学などを思い浮かべてほしい。その場にいなくても過去からの教訓を我々は得ることができる。
記号の一種である恣意性。
これは『明日』と手紙に書いてある文章を、数日後読んでも『アシタ』の意味は変わらないが、それが指し示す時間帯は変動する。ある対象を指し示す言葉と指し示す対象を結びつける必然は存在しないという考え)。
部品で構成されているために夢や妄想、嘘をも構成し表現できる生産性。
形態素を入れ替えたりすることであり得ない組み合わせも作れる。なろう小説を読んでいると明らかに『てにをは』(※助詞)がおかしい文章が存在するが、逆に謎の世界を作っている事もある。
この嘘という世界を作れるのは人間の優越性とかのユヴァル・ノア・ハラリも『サピエンス全史』で述べている。ちなみに人間の作る『嘘』にはダンバー数を乗り越えることができる武器である『宗教』『思想』、利害や偏見や物品の劣化を超えて協力が可能になる『貨幣』をはじめとする『金融』等も含む。
ゼロの概念や掛け算してマイナスになる虚数の概念も『存在しない』がこれがなくては諸々の事象を我々が言語化することが出来ない。
文化伝承性。
これは我々がもともと言語を習得しているわけではなく、その生まれ育ったところで文化の一部として継承されていくものだということに由来する。『首を振る』意味も文化によってその意味は異なる。
学習性。
まわりとのやり取りで身に付けていく。
余談だが失伝し、話者が消滅した言語(※ラテン語など)を身に付けることができるのも『学習性』とは厳密には異なるが言語の本質と筆者は愚考している。
何? さすが筆者は博学だと? 冗談言っちゃいけない。全て『コミュニケーション学入門』(大橋理枝 根橋玲子 共著 放送大学テキスト)の受け売りだ。
武術を学ぶということは大いなる先人たちの失敗や死亡という遺訓を学ぶことだ。それはあらゆる学問にも通じることだ。
とっさに脳が覚えている技を繰り出す。
それは暴力であるときもあれば表情であることも、受け技や逃げ口上、あるいは逃亡であることなどなど多々ある。
本稿を読まれた方はあなただけの『奥義』をその人生の中で見出してほしい。
良き学びを。
裏拳うちと違って真横にも利かせやすい、別段狐の形を作る必要もないという記述もあります。
Twitterで見ただけで今は該当tweetを見つけることはできませんでしたが、小指と中指と親指で作る方が手を怪我しにくく、手の側面部の肉をいい感じに使えるそうです。
映画『ベスト・キッド』のように弧拳で打ち上げ掌底で打ち払う、あるいは短距離から手のひらを叩き込むといった用法もあります。