まず逃げろ! もしくはパルクール及びボルタリングやかくれんぼ、おにごっこの重要性【2021/04/04】
パルクールは空手の奥義とされる『三角とび』にも使える技があります。
具体的には壁に設置する際に膝の力を抜き、衝撃を緩和させて上方向に飛ぶことで壁を登ったりできます。
空手を習うとき、まともな流派では『まず逃げなさい』と教える。
まぁこれは口頭で述べるだけであり、ガチで逃げるパルクールなどを教える流派を浅学なる筆者は存じていない。
もしうちでは教えているという流派があるならご一報ください。
拳の作り方などの講義はそれから後になる。これも現代では口頭で述べるにとどまる。弟子が逃げては商売にならない。
父(筆者父。『久さん』と仮名する)からの口伝によると彼の師匠の師匠(※つまり父は孫弟子)は『城(※ぐすく。沖縄では城をグスクと読む)登りの名手であり『マシラ』(※猿)と異名されたらしい。
父の師匠は貫手(※指で敵を貫く技)練習のやりすぎで指を全損している。
その父の師匠をもってしても『俺より強い奴は皆死んだ』(※概要。うろ覚え)と述べているらしい。
理由はかの沖縄戦でマシンガンなどの露と消えたからである。
如何なる思想も如何なる理念も強さすらも生きてこそ。
あなたが生きる為の手段であり前後してはならない。
読者諸兄は『逃げる』ことをまず念頭においてほしい。
なお、五感の鈍った対現代人ではなく獣やモンスターなどを相手する場合、臭いを絶つなども考えなくてはならない。
臭いの断ち方は消臭と脱臭(※石鹸や風呂に入る、水浴びするなど)、同じ匂いをまとう等様々な手段があり、前者は逆に見抜かれる可能性がある。
それでなくてもSF世界などでは謎の生体反応やオーラ感知などを駆使して追ってくるし、熱源感知などを用いる敵もいる。『火星人先史』 (川又千秋 角川文庫)の火星野兎の毛皮みたいな装備があれば別だがそれこそファンタジー世界頼みだ。
逃げることの本質は『敵の知覚範囲外に立ち、一方的に敵を攻撃できる』という人間種の基本戦略に通じる。
そのためには人間の知覚範囲、脳の構造やはたらき、逃亡ルートや地形把握などよく学びよく実践することが必要である。
筆者は当時解放されていた小学校の校庭で(※池田小学校事件以前は学校は地域の交流の場であったため常に解放されていた)鉄棒や1キロメートル走を父に仕込まれた。
とりあえず人間の走る能力は1キロメートル走で測ることが可能である。(※『最高の走り方』)
逆に述べれば1キロメートル全力疾走できれば大抵の敵から逃げることが可能であるといってよい。
鉄棒の逆上がりや背面逆上がりを身に付けることで自分と同等の壁をクリア可能になる。
筆者は結局父の武術、今では失伝した二丁鎌の型などを身につけることはなかったが、競争ではドンケツでも障害物競走ではトップを易々と取ることが出来たのは父の指導の賜物といっていい。
今の子供はテレビゲームなどの楽しみがあるが、昔の子供の遊びは『鬼ごっこ』『かくれんぼ』あるいは『おしくらまんじゅう』(※死亡事故あり)といった乱暴だったり『逃げる』ことを重視したものがある。これは戦乱時に敵から子供でも逃れ生き延びるための技を身に付ける為だと筆者は考えている。
逃亡術の発展形としてパルクールやボルタリングを身に付けることは決して悪いことではない。むしろ有益だ。
マルチタスクを身に付けたいなら武術よりピアノを学ぶといい。
左右別の運指にフットレバー、メトロノームによる管理にスコア(楽譜)参照と主婦業絶賛運行中の筆者実姉が強く推す習い事である。
武術で礼儀を教えてもらう?
はははご冗談を。筆者が遭遇した連中に『礼儀正しい』輩はいない。
筆者の16センチ丸形一本歯下駄を借りたまま着信拒否する奴などはいるがこれはダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー』で述べるところの『自分が見たことが全て』現象と考えたいところなので反論をお待ちしております。
筆者は礼儀を含めたコミュニケーションを『武術』として持っている奴にしか会ったことがない。いや遭ったといったほうが正解か。
礼儀を教えるのは空手の先生ではなく親御さんや地域のコミュニティであり、その『常識』『正義感』は往々にして個人やその地域の思い込みに由来する。
実際、会ったこともない有名人を死に追いやる程インターネット上で激しく炎上させる輩は一般的なイメージである『人生経験がないニートや世の中を恨むおっさん』ではなく『役員以上のエリート』が多いらしい。これは自ら上に立つ人間には所謂楽観性が必要だからである。思い込みと成功体験はかくも人を狂わせる。またエリート層の認知の歪みに対して、弱いものもあまりいいことは言えず、強いものに巻かれることは弱者すなわち人間なら当たり前のことでありアイヒマン実験でも実証されている。
弱いことは恥ではない。
思い込みや偏見から人間は逃れえないし、統計的事実から人は目を逸らす。
悪は人の本質であり、それを踏まえてだれかを愛せるかが人生には大事だ。
しかし、あなたを害する輩にあなたや大事なひとをゆだねてはならない。
逃げることは恥ではない。恥を感じるのは生きていてこそだと理解してほしい。