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彼女と王子の憂鬱

 ベアトリスはもうどうしたらいいのか分からなくなっていた。


 笑顔のアンソニーに連れられて教会へ行ったと思えば、そこで婚姻を結ばされてしまった。


 洗礼を受けたときには何もかもが遅かった。真っ白な花嫁衣装を着せられて、司教の言葉を一時間聞いて、誓約書を書いていた。花嫁衣装は教会で借りた。


 貴族でない騎士のアンソニーとの結婚はそれで充分だったが、拍子抜けするほどあっさりなものだったため、ベアトリスは彼の妻になったという実感がない。


 ただひどく彼が嬉しそうな顔をしたので、頭に飾ったブーケを押し上げて、耳がでないようにするのが大変だった。


 その後もベアトリスは困ることが続いた。


 彼と共にドレスの仕立て屋にいって、本当に自分の好きな生地を選んでいいと言われた時は呆気にとられてしまった。


 断ろうと思ったが、憧れのピンク色の生地に胸が弾んで、甘えてしまった。


 採寸を……と言われたが、それなら型紙を用意してあるからそれを元に作ってほしいと言った。


 何も身につけていないときに変幻(へんげ)しなくてもよいよう、母が持たせてくれたものだ。日数が経っていないから体型も変わっていないだろう。


 なぜか、アンソニーは悲壮感に暮れた顔をしていた。


 それも一瞬で、彼はまたベアトリスを甘やかして、別の意味で困ってしまう。


 結婚したら初夜はどうするの……!と焦ったベアトリスだったが、アンソニーは笑って寝室を共にしないと言った。


「まだ実感がわかないだろう。焦ることはない。ヴィーの心が定まったらでいい」


 そんなことを言われたので、ベアトリスはアンソニーに思慕をふくらませるしかなかった。



 結婚したものの、家にいてもすることがないので、余計に彼のことを考えてしまう。


 使用人もベアトリスに好意的で「奥様はのんびりとお過ごしください」と言われてしまう。


 実家にいるときは人目を避けていたので、家事をすることが多かった。料理もお洗濯もお掃除もできるが、それしかできない。


「わたくしは何をすればいいのかしら……」


 恐る恐る家令に尋ねると、彼は微笑んでスティラのお世話をお願いすると言ってきた。


「スティラの?」

「えぇ。スティラ様はアンソニー様の大事な家族でございます。ベアトリス様はスティラ様に懐かれておりますし、お二人が仲睦まじくされれば、アンソニー様もお喜びになりますよ」


(そんなことだけでよいのかしら……?)


 ベアトリスはこてんと首をかしげたが、スティラといると心が和むので、今日も猫じゃらしをふって、彼女と遊んでいる。


 この猫じゃらしはスティラのお気に入りらしく、彼女は夢中だ。


 たしたしっと、毛先のふわふわを前足でじゃれつくスティラに微笑む。


「ふふっ。楽しいわね。スティラ」


 気ままにじゃれつくスティラを羨ましく思う。


「わたくしもあなたみたいに完全な猫になってしまえば、アンソニー様のお側にいられるのかしらね……」


 願っても無理なことだ。ベアトリスも自分の猫化がどこまで進むのかわからない。父親は二足歩行でしゃべる大きな猫になっていたが、自分も同じようになるのだろうか。


(アンソニー様が猫が好きでも、そんな姿になったら……愛想をつかされてしまうかもしれない)


 ため息をはくと、帽子の中で暴れていた耳が消えていく。


「普通の女か猫だったらよかったのに……」


 呟くとスティラがすりよってきた。ごろごろと喉を鳴らしている。ベアトリスは微笑んで彼女を抱き上げた。


「慰めてくれるの? 優しいこ。ありがとう」


 スティラの柔らかな毛をなでながら、ベアトリスは小さくため息を吐いた。


(すべてをお話ししてしまおうかしら……でも……)


 彼に嫌われたら、悲しくて死んでしまいそうだ。



 覚悟が定まらないまま時は過ぎた。


 憂鬱な日々を過ごしていたベアトリスの元に注文したドレスが届けられる。


 ベアトリスは顔を明るくして、いそいそと部屋にこもった。


(素敵だわ!)


 年相応に見えるようにピンクの色は落ち着いた色味になっている。マーメイドのようなシルエットのドレスは、ベアトリスの細い腰としなやかな体によく似合っていた。


 わくわくしすぎてこっそり部屋で着替え始めると、全身鏡の前に立った。


(あ……)


 興奮しすぎたせいで、黒い耳と黒い鼻が出てしまっている。白いヒゲはピンとはり、金色の瞳は細長かった。


 みるみるうちに変幻(へんげ)がとかれていく。


 鏡に写ったのは二十四歳の娘。それなのに捨てられた猫のように表情は曇っていた。


(あんな姿を誰が愛するというの……普通の結婚なんて無理よ……)


 憧れのドレスをきても幸せになんかなれない。ベアトリスは、目を伏せる。


「すべてを話してしまいましょう……」


 別れがきても黙っているなんてできなかった。



 その日の夜、仕事から戻ってきたアンソニーをベアトリスは呼び出した。


「あの……大事なお話があるのですが……」

「すぐに聞きたいが、すまない。急いで夜会に行かなければならないんだ」


 また出ていこうとするアンソニーの騎士服を摘まんで、彼の足をとめる。


「では寝ないでお待ちしておりますから……」


 眉根を下げて懇願すると、アンソニーは少し考え込むしぐさをした。


「ヴィー、一緒に行くか?」

「え……?」

「その方が何かと好都合なような気がしてきた。君が嫌じゃなければだが……あのドレスも見たいし……」


 はっとしてベアトリスは考える。

 もしかしたら、彼と出かけるのは最後になるかもしれない。


 あのドレスを着て、一時の夢に浸ってもいいだろうか。


 ベアトリスはアンソニーに切なく微笑みかけた。


「連れて行ってください……」

「行ってくれるのか、ありがとう。なら、帽子とその口を覆っているスカーフも付けていくといい」

「え……?」


 公の場所でこのような格好でいいのだろうか。


「宜しいのですか?」

「あぁ。ヴィーは可愛いからな。不埒な視線避けになっていい」


 甘く笑う彼に鼻がむずむずして、ぽんっとヒゲがでた。



 アンソニーと共に初めての夜会に訪れたベアトリスは、人の多さに酔いそうだった。


 それに突き刺さるような視線を感じて居心地が悪い。


 扇子で口元を隠してひそひそ談笑する婦人。声をひそめてこちらを見る男性たち。感じるのはアンソニーへの熱い視線と、自分への冷えたものだ。


 ベアトリスは身を小さくしてうつむいた。


「ヴィー、大丈夫か?」


 アンソニーが心配そうに顔を覗き込んでくる。ベアトリスは曖昧に笑った。


「人が多くてびっくりしましたわ」

「そうか。俺も夜会は嫌いだな。見世ものになった気分になる」


 嘆息するアンソニーに目を丸くした。


「それに色々と嫌なものを見すぎた。仕事じゃなければ来ないな」


 目を据わらせたアンソニーに驚いた。彼は見目麗しい姿をしているし、女性の扱いも慣れている。てっきり夜会慣れをしているかと思った。


 さっきまで曇っていた心が晴れていく。


「ふふっ……」


 思わず笑ってしまい、アンソニーが目を白黒させる。


「ごめんなさい。アンソニー様がわたくしと同じだと思ったら嬉しくて……」


 本音がでてしまい、ベアトリスははっとする。しまったと思ったが、アンソニーはとろけきった顔をしていた。


「ヴィーのそんな顔を見れるなんてな……嫌いな夜会も好きになれそうだ」


 自分だって──と、いいかけてベアトリスは言葉を飲みこんだ。ただ嬉しい思いが伝わればいい。つり目を下げて微笑んだ。



 しばらくしてアンソニーは仕事があるからと、ベアトリスを人目を避けたソファにつれていき、待つように言った。


 ベアトリスがおとなしく待っていると、あざといドレスを着た女性が近づいてくる。


「もし。あなたはアンソニー様の奥様になられた人?」

「はい。そうでございますが」


 ベアトリスは立ち上がり挨拶をしようとしたが、女性の視線が嫌なものに感じて口を引き結んだ。


「そう……あなたが。隠れ蓑にされて御愁傷様」


 にやりと笑った女性に不快感が顔にでた。


「アンソニー様と王太子殿下の秘め事はあなたも知っているのでしょう? その隠れ蓑に偽装結婚をするなんて……建国から続く公爵家も落ちたものね」


 ベアトリスは前で組んだ手を強く握った。


「おっしゃっていることの意味がわかりません」

「あら、そうなの? 縁談を断り続けてきたアンソニー様が急のご結婚。しかも殿下の指示とあったら、そういうことにならない? 前々からアンソニー様と殿下にはただならない関係であると噂があってよ?」

「噂は噂でしょう」

「あらあら。ふふっ。本音をいってよいのよ? ねぇ、アンソニー様とは寝室は別なんじゃない? 夜、密かに出掛けることもあるんじゃないのかしら?」


 それは否定できなかった。ベアトリスは彼と寝室を分けている。夜の外出は分からないが、寝てしまえば真実は夜の中。彼がどう過ごしているのかベアトリスは知らない。


「否定しないのね……やっぱり、噂は正しいんじゃない?」


 不快な笑い声を聞きながら、言葉を詰まらせた。


「ねぇ、夫がそのような趣向の人ってどのような心境なの? あなたもまさか、そっちのけが──」

「いい加減にしてください」


 気分が悪かった。この人は悪意を持って根掘り葉掘り聞いてくる。プライベートなことを土足で踏みにじろうとする。我慢ができなかった。


「アンソニー様のお心はわたくしには分かりません。ですが、わたくしを妻として大事に扱ってくださっています。これはわたくしたち夫婦の問題でございます。あなたに話す道理はございません。何よりわたくしは、アンソニー様をお慕いしておりますわ」


 ハッキリ言うと、女性は顔を歪める。


「あなた、わたしを誰だと思って」

「──確かに夫婦の問題だな」


 女性の声に被さるように声が重なった。ベアトリスを救い出すように手を伸ばし、引き寄せてきたのはアンソニーだった。


 ベアトリスは驚いて声もでなかった。アンソニーは優しく微笑みかけてきた。


「ヴィーの俺への想い、受け取った。だが、心外だな。俺の気持ちはちっとも君に伝わってないようだ。分かりやすくアピールしていたつもりなんだがな……」


 切なげに震えた睫毛にベアトリスは目を見開く。でも次の瞬間、腰の辺りがひやりとした。


「ヴィー。分からないなら唇にたっぷり教えこんでもいいよな?」


 そう言って布越しに彼は口をふさいだ。


「アンソニぃ……っ」


 呼吸も止めそうな口づけにベアトリスは混乱と喜びで訳がわからなくなっていく。


 耳も鼻も尻尾もでてきてしまって、手まで変わりそうだ。鋭い爪がのび、彼の衣服を引っ掻いたのに、離してもらえない。


 ベアトリスの鼻をかくしていた布が二人の出した雫で色を変えた頃。ようやくベアトリスの唇は解放された。



 ***


「長い……」

「これでも短くした方です」


 腕の中でくったりするベアトリスを抱いたアンソニーは、背後にいた第三王子に向かっていった。


 周囲を見渡すと会場にいた全員がこちらに注目している。


(これだけ派手にやれば、俺がヴィーに夢中だっていうのが伝わっただろう)


 という意図もあったが、ヴィーの言葉が嬉しすぎてつい時を忘れたというのも本音だ。


 第三王子はアンソニーの横に立つと唖然としている女に告げる。


「イアラバ・メダイザンハ伯爵令嬢。そなたが違法な本を裏で売りさばいた者だな」

「なんのことですの……? わたくしにはさっぱり……」

「言い逃れはできないぞ。この本を別室にて押収した」


 第三王子の手にはそっち系の本(最新刊)があった。イアラバは素知らぬふりをする。


「なんのことですの? その本はわたしの愛が詰まったものです。この国では表現の自由が認められておりますのよ? 何を書こうが違法では……」

「一週間前まではね」


 第三王子がにやりと笑う。


「肖像権を保護する法律が発令された。君のこの本は違法だよ」

「肖像権? 一体誰の権利を汚して……」


 第三王子はとあるページをめくった。そこには第三王子とアンソニーと思われる挿し絵が入っていた。第三王子が泣きながらアンソニーに馬乗りにのって、シャツをはだけさせている場面だ。


「白々しいな。この絵はどうみたって僕じゃないか」


 あ、自分で言ったとアンソニーは思った。背後で何人かが倒れた。視界の端で真っ赤になっている女性たちを見届ける。

 イアラバはふんと鼻を鳴らした。


「その絵が殿下だという証拠でもおありですか? それはわたしが空想したものですわ」


「あるね。この絵に描かれている薔薇は王族しか出入りできない中庭に咲いているものだ。白い薔薇と赤い薔薇の掛け合わせ品種。昔、権力争いを繰り広げた兄上たちを模したもの。あの忌まわしい覇権争いをしないように後生に伝えるべく僕が作らせたものだ」


「そ、そんなこと……王宮に出入りする者なら誰でも知っていますわ。わたしの妄想が殿下という理由には……」

「へぇ。なら、この場所で同じことが起きたのを君は知らなかったとでも言うの?」


 第三王子はあの中庭での出来事を見たものはいるか?と声をかけた。


 結構な人数がいた。


「王太子殿下がルーカン護衛官を……押し倒しているのを見ました……!」と、両手を覆って告白する貴婦人。


「殿下が護衛官の服を雄々しく破っているのを見ました」と、淡々と告白する貴族男性。


「濡れたアンソニー様がっ……はぁ、はぁっ……」と、荒い息を吐きながら告白する者、十数名。


 イアラバはくっと奥歯を噛み締めた。

 第三王子は畳み掛ける。


「僕をこそこそ嗅ぎ回っていた影は捕まえているよ? これでも白を切るつもり?」


 口の端を持ち上げた第三王子を見ながら、すごい怒っているな。そういえば殿下は女顔なことを気にしていたな……と、アンソニーは思い出す。


「わたしはわたしは……」

「君を支援していた貴族たちも掴んでいる。背徳的な思考を植え付けて、妄想を現実にさせようと、奴隷の不正売買をしていた奴らだ」

「え……?」


 イアラバは目を見開く。


「君の趣向はね。悪意が混じると危険なものになるんだよ? 空想の世界だけならいいけど、犯罪に利用されるのは看過できない」


 イアラバは膝をついた。

 第三王子は集まっている貴族たちへ宣言する。


「僕のことをどういう目で見ようが、君たちの好きにすればいい。だけど、もし王太子妃を無断で面白おかしく言ったり、書いたりしたら……」


 第三王子は瞳から光を消した。


「僕が黙っていないからね」


 何人かの貴族がひぃっと息を飲んだ。


 狙いはそっちか──と、アンソニーは理解した。


(子供が産まれないことをリリィ様は気にしていたからな……自分のことをきっかけに守りたかったんだな)


 なかなか子供が産まれないことで、王太子妃への風当たりは冷たいものだ。


 第三王子は彼女を溺愛しているので、他の女には目もくれない。それにふってわいた今回の騒動。第三王子は、これを一掃して、ついでに王太子妃への悪口も言うなと釘を刺したかったのだろう。


(これでびびって、殿下やリリィ様の周りも静かになるだろう)


 ぐったりしているベアトリスを抱きしめアンソニーは微笑んだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 令嬢の名前が…!! あとそういうのもっとわからないように書きなよ…フィクションにするために脚色しないと…と思いつつ、弾圧のあとの自由化で最初に描かれる小説は私小説なんだよなぁ…現実を小説とし…
[良い点] そうか……。 第三王子が怒っていたのは、これだったのか……。 一気に彼のことが好きになりました♪ >「ヴィー。分からないなら唇にたっぷり教えこんでもいいよな?」 おのれイケメンめ! そん…
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