騎士の憂鬱2
第三王子の執務室で護衛の仕事をしながらも、アンソニーの頭は今朝のベアトリスのやりとりでいっぱいだった。
(あんなに必死に隠して、ヴィーは可愛いな)
彼女の体に変化がでていると気づいたのは扇子で顔を隠していたときだ。白くピンとしたヒゲがはみ出ていた。
それでピンときた。あのヒゲは猫特有のものだ。猫のヒゲは犬に比べたら感情豊かにうごく。猫のヒゲは神経が通っていて、猫にとってセンサーの役割もするから、ピンと張っている。
何より第三王子が〝自分が泣いて喜ぶ相手〟と言っていたので、彼女の秘密は推察がつきやすかった。
彼女が部屋に籠った後、すぐに彼女に関する情報を得るために馬で駆けて、彼女の実家まで行った。
朝に彼女が来てくれてよかった。ずっと馬を飛ばせば夜までにはたどり着ける。
そこで父親と母親に面会して、詳しい事情を聞いて、彼女の悩みを察した。彼女の両親に絶対幸せにすると約束して帰って来た。おかげで、昨日は寝ていないが、護衛歴が長いアンソニーは一日寝ていなくても平気だった。
(早く姿を見てみたい。だが、あの警戒するような目も見ていて興奮するんだよな……)
思わず憂い息を吐くと、乱雑な部屋に埋もれてペンを走らせている第三王子が冷えた声をだす。
「アンソニー。笑顔が気持ち悪い」
「失礼しました。俺の妻が可愛すぎまして」
「泣いて喜んだか?」
「えぇ、とっても」
「なら、さっさと教会に行って婚姻の書類にサインしてきなよ。僕の方で君の結婚は広めておいたから」
こちらを見ずに書類に判子を押す第三王子に肩をすくめる。
「なら、二週間ほど休暇をください」
「却下。なんで?」
「ヴィーと結婚して彼女のすべてを見たら俺は理性が飛びます」
アンソニーは真顔で答えて、第三王子はこちらを一瞥した。
「却下。お前以外に僕を守りきれる奴はいないんだよ。働け」
「では、一週間では?」
「却下。一日で我慢して」
「……殿下は俺に狂えというんですか」
「先の人生は長いんだ。じっくり彼女を味わえばいいだろ?」
平然と答えた第三王子にそれもそうかと納得した。この先の人生は彼女と共にあるんだ。さっさと結婚して逃げ場を失わせ、恥じらう彼女をゆっくり剥いていくのもいいかもしれない。
アンソニーの推察では、ベアトリスは自分のことを嫌がっていない。
(ヒゲがピンっとしていたな。しっぽも立っていたし、あれは構ってほしいときの猫の態度そのものだ。くっ……可愛すぎるだろ)
視界の端で捕らえたスカートの持ち上がりかたを思い出して、頬がゆるむ。
「アンソニー。笑うな。吐き気がする」
「失礼しました」
「お前が泣いて喜ぶとは思ったけど、こうもあっさりなんてね……愛しのスティラはいいの?」
冷たい眼差しで言われて、アンソニーはふっと笑って、はめていた黒い手袋を脱いだ。そこにはしっかりと爪痕があった。
「嫉妬されて今朝は大変でした」
「嬉しそうに言うことなの? 変態だね」
「どうとでも。スティラと付き合いは長いですからね。彼女は怒りの眼差しをするときが一番、美しい」
「病気だね。病院には行かないでよ? つける薬なんてないんだから」
「分かってますよ」
軽口を叩きあっていると、第三王子のペンが机に置かれた。
「休憩する。付いてきて」
「御意」
第三王子が歩きだしたとき、乱雑に積まれた本が雪崩落ちた。
「部屋、片付けたらどうですか?」
「却下。どこにあるのかは僕が把握してるからいいんだ。それに、自分の持ち物を他人に触られるのは気持ち悪い」
アンソニーは肩をすくめて、彼の後ろに付いていった。
(神経質なお方だ。これでリリィ様にはデレデレなのだから、人間ってのはわからないものだな)
それは自分も同じかと思い直し、アンソニーは護衛の顔に戻った。
第三王子に付き添いたどり着いた中庭に出てアンソニーは眉根をひそませた。
ここは王族しか立ち入れないプライベートな中庭だ。噴水があり、この国ではここしかない薔薇の花もいけられている。
(散歩なんて珍しいな……最近は気持ち悪い視線を感じるからって、出歩かなかったのに……)
訝しげに思っていると、第三王子が立ち止まる。
「アンソニー。そこに座って」
草の上を指さされて、アンソニーは座った。第三王子は首まできっちりしまったアンソニーの上着に手をかけると、がばっと脱がせた。あまりの勢いに服のボタンが飛んでいく。
アンソニーは目を据わらせた。第三王子は冷えた表情をしている。
「殿下?」
「いーから、黙ってろ」
第三王子はあらわになった白いシャツをぶちぶちっとボタンを飛ばしながら剥いた。鍛え上げられたアンソニーの筋肉が太陽の下にあらわになる。
上を見上げると、城内にいた何人かが窓越しにこの光景を凝視している。
「殿下。俺は男に脱がせられる趣味はありませんけど」
「僕もリリィ以外、脱がせる趣味はない」
リリィとは第三王子の結婚相手の名前だ。
アンソニーが嘆息すると、遠くで葉が揺れる音がした。
「追いかけますか?」
「いや、いい。これは餌だから」
にやりと第三王子が口の端を持ち上げる。
「極上の餌を与えておけばネズミは食いつきやすいだろう?」
ふふふと笑った第三王子にアンソニーはため息をつく。
終わったようなので、立ち上がってきれなくなった服を見る。
「服の代金は殿下持ちですか?」
王太子付きの騎士服なのでいい値段がする。動きやすさを重視したオーダーメイドものだ。
「僕のポケットマネーから出してやる」
よかった。これでベアトリスのために作るドレスを来月にしなくてすむ。
「じゃあ、水をかぶるので待っててください」
アンソニーは噴水に飛び込んだ。
びしょ濡れになったアンソニーを見て、第三王子が呆れた顔をする。
「なんで飛び込んだ?」
アンソニーはうっとうしそうに長い髪の毛をかきあげて、平然と言う。
「こうすれば、俺がただ池に落ちただけになるでしょう? 俺の騎士服がボロボロだと襲撃と勘違いされますから」
第三王子はため息をはく。
「お前……馬鹿だね。濡れたお前のそんな姿を見る方がよっぽど刺激を与えるんだよ」
「そういうものですか?」
「お前は自分のことをよく知れ。全く……だから、僕が下なんて……」
ぶつぶつと言い出した第三王子にアンソニーはピンときた。頭によぎったのは、水面下で流行っているそっち系の本の内容だ。
第三王子との関係を誤解されるようになってから、自分と彼を題材にした本が密かに広まっている。
(殿下はリリィ様と同じ背丈なのをコンプレックスに感じていたからな……下に描かれてよっぽど腹に据えかねたんだな)
アンソニーは憂鬱な気持ちになったが、仕事かと割りきる。
水が滴る服を絞りながら淡々と聞く。
「それで? ネズミ狩りはいつやるんですか?」
「本が出てからだね。早いと思うよ。二週間ぐらいかな。今は夜会シーズンだし、みすみすチャンスを逃さないだろう」
黒い笑みを漏らす第三王子に、ネズミ、死んだな、と思うアンソニーだった。
***
その頃。屋敷では。
ベアトリスがため息をついていた。昨日は部屋に籠っていたが、することがないとアンソニーのことばかり考えて変幻してしまう。
ベアトリスは帽子をかぶり、目の下から顎までを隠す布をつけると、少しだけ屋敷を歩くことにした。
使用人たちにすれ違っても不審に思われない。この変装はよかったと安堵していると、不意に視線を感じた。
(猫……?)
真っ白な猫がこちらを見ていた。
***
今日はひどい目に合ったと、仕事を終えたアンソニーはため息をついた。騎士服は代えが城にあったので今朝の出で立ちと替わらない。
ベアトリスのことが気になったが、今朝、使用人たちには彼女が何をしても普通でいろと言ってある。もともとアンソニーの猫好きを見てきた彼らは当然のようにそれを受け入れた。
「アンソニー様が、やっと、ようやく、ほんとうにやっと!……迎えられる奥様です。心地よく過ごしてもらいます。えぇ、絶対に逃しません……」
燃える家令にアンソニーは満足げにわらった。
ということがあるので、ベアトリスを悲しませる出来事はないと思うが、彼女は生い立ちから頑なになっている。なんとかならないものだろうか。
(今朝はうっかり尋問にするときの態度をしてしまったからな……余裕がなさすぎだ)
ベアトリスに焦れて、第一王子の背後についていた婦人を落としたときの方法を使ってしまった。
アメとムチ。苦痛と快楽。それを交互に与えながら、しぐさ、言葉、目線、声色で落としていくやりかただ。古典的だが、女性は薬よりもこの方がよく効く場合がある。
あの時ほど苛烈なやり方ではないが、異性慣れしていない彼女はアンソニーの思惑通りに最後には素直になった。
だけど、これは好ましいやり方ではない。できれば彼女自らその体を開くようにしたい。
(加減が難しいな……ヴィーを見ると理性が飛ぶ)
また嘆息して、屋敷に入ったとき、とある光景を見て雷を打たれたような衝撃がきた。
(嘘だろ……)
アンソニーは手で口元をおさえ、小刻みに体を震えさせた。
「ふふっ。本当に可愛いわ」
「ごろごろ」
スティラがベアトリスに抱かれて首にすり寄っている。アンソニーには決して見せないなついた視線を送り、喉まで鳴らしていそうだ。
「ひゃっ……くすぐったいわ……」
頭をぐりぐりと押し付けられ、ベアトリスは声をだした。
彼女の顔は布が覆っているが、ピンっと張ったヒゲが布を押し上げている。スカートも尻尾でもちあがり、帽子はもぞもぞなにかが動いている。
「ダメよ。わたくし、そこは弱いの。ごめんなさいね」
うっとりと見つめあうふたりにアンソニーは胸苦しさを覚え、理性は崩壊寸前だ。
今すぐ間に入って両方の花を存分に愛でたい。だが、そうするとこの尊い光景も見れなくなるわけで。
(くそっ。……俺はどうすればいいんだ!)
アンソニーは一時間ほど頭を抱えて留まり、結局、我慢できずにふたりの間に割り込んだ。スティラから盛大な猫パンチを送られ、ベアトリスには恥じらわれて口を聞いてもらえなくなってしまった。
部屋にもどったアンソニーは憂鬱だった。
(愛しいものが二つある生活というのは危険すぎるものなんだな……)
深く息を吐いて、アンソニーは決意した。
明日は仕事が休みだ。教会へ行こう。その足で仕立て屋にいき、ベアトリスのドレスを注文しよう。
結婚すれば彼女は逃げ場を失うし、ドレス姿も見てみたい。できれば、帽子も口元の布もない状態で。
(早くヴィーの本当の姿を見たいな……)
だが、布越しであんなに可愛いのに、全部見たら意識を失うかもしれない。でも、見たい。
アンソニーは頭を抱えた。
(そうだ……ドレス採寸するときに同席したいと言えばいいんじゃないか?)
採寸するためには、下着姿になるだろう。邪魔な布はない。
(生地やリボンを自分も選びたいと言えば、同席も許されるだろうか……)
アンソニーは悶々と考えて、また眠るのを忘れた。