精霊殿にて(sideフィルハイド)
突然現れた闇の大魔術師になぜか俺は拉致されて、しばしモヤモヤした闇色の空間を通り抜け、周囲の景色が安定したと思うと……そこは見覚えのある真っ白な広間だった。
……ここは、精霊殿の、洗礼の間?
さっきまで魔術学園にいたというのに、ここまで一瞬で連れて来られた。全く、とんでもない技量の空間魔術だ。俺たち人間がこうして好きに空間を転移できるようになる日が来ることなどとても想像できない。悔しいけど、こいつは魔術師としては人間の誰よりも上をいっている。
「何なんだよ、いきなり人を誘拐するみたいに……え?」
そこにいたのは俺たちだけではなかった。
他にも見知った人が複数いることに気づき、驚いて言葉に詰まったのだ。
「フィルハイド!」
「殿下!?」
「叔母上? それにお前たちは……これは一体どういうことですか?」
そこには、叔母上と魔術師団員の二人、ナディアの専属メイド、それとナディアと親しい孤児院の……確か、ローナ。いや、彼女はナディアと共に魔術学園に通うために貴族になったのだから、ローナ嬢か。
あと、青い顔をした精霊殿長がいた。精霊殿長はともかく、なぜこの顔ぶれがこんなところに集まっているんだ?
叔母上は焦っているような、落ち着かない様子でこちらへ近づいてきた。叔母上がこんな顔を見せるなんて珍しい。
「さあ、お前。速やかにこれを飲め。そして精霊王に会ってくるのだ」
「……意味がわからない。お前は何を言っているんだ?」
死神は銀の杯に聖水を汲んで俺に渡そうとしてくるけれど、それを飲んだところで俺が精霊王に会えるとは思えない。ナディアと違って、洗礼式で飲んだ時は会えなかったんだから。それに、会ってどうしろって言うんだ?
「メノウさん、焦るのはわかりますけれど、きちんと説明しなければこの子もふさわしい行動を取れません」
叔母上が死神を諌める。死神は軽く舌打ちをしながらも杯を引いた。
叔母上が真剣な顔で俺に向き直る。
「フィルハイド、ナディアがね……急にいなくなってしまったの」
叔母上の言葉に俺は目を見開いた。
周囲の者たちの真剣な顔は、それが冗談でも何でもないことを示している。
「……は?」
「今日、こちらのお二人をお招きしてお茶会をしていたのよ。回復薬を頂いたお礼として。その最中、ナディアが急に消えたの。一瞬のことで何が何だかわからなかったわ。メノウさんも居場所を探ってくれたのだけれど、なぜか全くわからないんですって」
俺はバッと死神に視線を向ける。腕を組み、じっと話が終わるのを待つその顔は怒りと焦りに満ちていて、今にも爆発しそうな感情を押し込めているようだ。それを見て、じわじわと俺の心に沸き上がってきていた焦りと不安が完全に胸を占めた。
「どういうことですか? ナディアは無事なのですよね!?」
「落ち着きなさい。メノウさんによると契約が切れていないから今は生きているはずだけれど、状態や居場所などの情報がまるで遮断されているかのように感じられないんですって。そして、そんなことができる存在はこの世界に三人しかいないそうよ」
「三人?」
そいつらの誰かが、ナディアをさらったのか?
見つけたらただじゃおかない!
激しい怒りが胸に渦を巻く。だが、怒りに支配されては適切な行動がとれない。今は冷静に動き、ナディアを取り返してからそいつに報復すればいい。
俺は理性で怒りを抑え込み、頭を冷静に保つよう努めた。
「ナディアは直前まで何もおかしな魔術がかけられた様子などなかった。事前準備もなくいきなり人を強制的に召喚し他人の契約魔術に介入して私の追跡を排除できる者など、精霊王か、魔王か、天王しか私には考えられない」
苛々した様子で死神が説明する。
「!? そんな馬鹿な。ナディアに加護を与えている精霊王がそんなことをするわけがない。魔王や天王だって、そんな伝説的な存在がなぜナディアを?」
「知るか。私は精霊王にしか会ったことはないが、伝説などではなく他の二人が存在することは知っている。その力もだ。精霊王が犯人でないことには私も同感だ。つかみどころのない奴ではあるが、いたずらに他人に迷惑をかけるようなことはしない」
……こいつ、精霊王に会ったことがあるのか。
他の二人の王についても多少知識があるらしい。伊達に長生きしてないな。
「犯人が残り二人のどちらかである確証はないが、ナディアをさらった奴は私よりも格上の魔術師であることは確かだ。それならば、精霊王に話を通すしかないだろう」
「……精霊王に助けを求めるということか?」
魔王や天王となると、さすがに俺たち人間に簡単にどうこうできる相手ではない。何せ向こうは自然界の王たる存在であり、災害に立ち向かうようなものなのだ。その中で唯一味方であろう精霊王に希望を求めるのは間違っていないだろう。
「だけど、精霊王に会う方法なんてないだろう? 聖水を飲んで精霊王に会えたなんてことが起こったのは、加護を持っているナディアだけだ。少なくとも俺を含めこの国の誰も会ったことがない」
「貴様ならば可能かもしれぬからわざわざ私が連れて来たのだ。奴との対話を望みながら聖水を飲めばあるいは、とな。だからさっさと飲め」
「おい!」
再び死神がグイッと聖水が入った杯を押し付けてくる。
なんとか受け取ったけど危うく服にこぼれるところだった。じろりと奴を睨む。
「メノウ殿、確かに先ほど試した我々の内では誰も精霊王に会うことは叶いませんでしたが、あなたはその結果を確認するやいなや消えるようにいなくなり、フィルハイド殿下を連れて戻って来られた。なぜ殿下ならば可能だと考えたのですか? ナディア様のご婚約者だからでしょうか?」
そう質問した彼は確か、アゾート・ウォルグレイ。ナディアの魔術教師だな。みんなはすでに試したのか。やはり、簡単に精霊王に会えるはずがない。
「そんなことは関係ない。精霊王がナディアにとって大切な者の呼びかけになら応えるかとメイドも含めそなたらも連れてきたが、誰も会うことは叶わなかったのだ。婚約者でも結果は期待できんだろう。こいつが一番会える可能性が高いと私が考えたのは、こいつが現在精霊王の魔力を一番強く受け継いでいる、精霊王の子孫だからだ」
「「……!?」」
その場にいた全員が言葉を失った。
……俺が、精霊王の子孫だって? 魔力を受け継いでいるだって?
「何を言っているんだ? 精霊王が人間と子を成したとでも言うのか? それが王族の先祖だと?」
「アイリスの番であったシスイは精霊王だ。人間として生きている間は周囲がうるさいだろうから秘密にしていたらしい。フェリアエーデンの王族にたまに現れるお前のような銀髪は精霊王の魔力の影響だ。ほら、わかったらさっさと飲め」
「……っ」
死神が急かしてくるけれど、驚きすぎて情報が素直に頭に入ってこない。だけど、重要なのは早くナディアを助けに行くことだ。そのために精霊王に会うには俺が一番可能性が高いのは確からしい。
「わかった」
俺は目を閉じて、精霊王に祈った。
……どうか、ナディアを助けるために力を貸してください。
そして、俺は精霊王に会えるよう強く願いながら杯を一気に呷った。
ブツンと、意識が途切れた。
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