彷徨うナディア
「ま、魔王……?」
【そうよ。どっかの地方では悪魔王とか呼ばれたりもしてるみたいね】
レイさんはまるで世間話をするような軽い調子で、くるくると自分の髪をいじっている。
……えーと?
悪魔族については、実はよくわからないことだらけなのだ。
悪魔族が住む土地は人間が住む大陸からはるか西にあるって教わったけれど、そこへ行って帰ってきた者はいないとか。たまにそこから出てくる悪魔族には乱暴者が多くて、あまり良く思われていないとか。
そしてその土地には、フェリアエーデンにいる精霊王のように、悪魔を生み出す魔王が存在すると言い伝えられているけれど、実際に見た人はいないらしい。
つまりこの人がその、魔王ということ?
私は再び周囲の景色を確認した。
精霊王がいたところとはずいぶんと雰囲気が違うけれど、森の中の泉というところは同じだ。つまりここはあそこみたいな、他とは隔絶された場所だってことなのかな。だから精霊もいないし、メノウも来られないのかもしれない。
でもどうして私はここに来られたんだろう?
精霊王の泉に行った時は、聖水を飲んだからだったよね。でも、今回私は何もしていないのに、お茶会の最中にここへ来てしまった。
それは、この人が呼んだから、ってこと?
レイさんが呼べば、誰でも来れるってことなのかな。
……ううう、わからないことだらけで混乱してきた。
この人はなんで私を呼んだんだろう。友達じゃないって言ってたし、メノウが話したわけじゃないんだよね?
「レイさんは、どうして私のことを知ってたんですか?」
そう尋ねると、レイさんは得意気に目を細めた。
【私は悪魔の視界を共有できるのよ。メノウの中の悪魔を通して、あなたのことは見ていたわ。ずいぶん気に入られたみたいね。一体何が良かったのかしら?】
……ええと、もしかして今私、馬鹿にされた?
私は半目でレイさんを見た。そんなことを言うのなら、一体なぜ私をここに連れてきたのか。
「あの……なんで私をここへ呼んだんですか?」
【言ったじゃない。面白そうだからよ】
「えええ? 何がでしょう?」
私は大道芸人じゃないんですけど!
【あなたが消えたら、メノウがどんな顔をするかしらってね】
レイさんの言葉に、私は目を見開いた。
「どういうことですか? 今、みんなは私が急に消えたって思ってるってことですか? 精霊王のところへ行った時は、一瞬倒れただけですぐ起きたって言われたのに」
【あら、精霊王そんな面倒なことしてたの? きっとあんたの意識だけを持っていったのね。私はあんたの体ごとここへ持ってきたし、時間もいじってないからあそこにいた連中は面白いくらい焦ってるわよ。メノウのあんな顔を見るのは久しぶり】
レイさんの目には何か別の景色が見えているのか、遠くを見るような目をしてクスクスと笑っているけれど、私は全く笑えない。お養母様たちも心配してくれていると思うけれど、メノウは私がいなくなることをすごく嫌がっていた。急に消えてそばにも来れなくて、きっと今頃ものすごく心配しているはずだ。
「は、早く私を帰してください!」
【嫌よ。このままあんたをここに留めておいたら、メノウは次にどんな顔を見せてくれるかしらね?】
……ううう、なんて人なの! 急に消えたらみんなが心配するのは当たり前だ。それを面白がるだなんて趣味が悪すぎる。
でも、さっきから何か違和感を感じる。この人の行動は本当にわけがわからない。一体何が目的でこんなことをするんだろう。
この人は私をさらったのは面白そうだからって言っていた。でも特に私に何か要求があるわけでもないみたいだし、悪魔族であるメノウと仲良くしている私に会いたかっただけなのかな。いやでも、それならもう帰してくれてもいいはずなのに、この人は帰さないって言う。なのに私のことは放置して、私がいなくなった後のみんなの焦った反応を見て楽しそうにしている。
……いや、さっきの口振りだと、メノウの反応を楽しんでる? レイさんはずっとメノウのことばかり気にしているよね。
「レイさんは、メノウとどんな関係なんですか?」
【………】
私の質問に、レイさんはぞくりとするほど冷たい目を向けてきた。
【そんなことあんたに教える気はないわね。もういいわ、あんたと話すのも飽きたし、ずっとそこでじっとしてなさい】
そう言って、レイさんはまた光が散るように消えてしまった。
「ええっ!? ちょっと待って! じっとしてろってそんなわけには……私を帰して!」
【安心しなさい。ここでは空腹になることはないし、私が飽きたら帰してあげるわ】
レイさんがいたところへ向かって叫ぶけれど、もう彼女が姿を現すことはなく、そんな答えが返ってくるだけだった。
えええええ、どどどどうしよう。急に怒って行っちゃった。みんな心配してるのに、レイさんが飽きるまで待ってなんていられないよ。でも、精霊がいないこんなところに置いて行かれたら、私一人じゃどうやって帰ればいいかわからない。
……とりあえず灯りはつけられるんだし、まっすぐ歩いていってみようかな。もしかしたら端に着けば出られるかもしれないし。
「……やるしかないよね。うう、暗いよぉ……」
私は歩きやすいようドレスを少し持ち上げながら、泉から離れてまっすぐ歩き出した。怖いので頻繁に灯りを出しながら。
しばらく歩いて後ろを振り返ると、点々と私がつけた灯りが続いている。それが綺麗で、少し恐怖心が和らいだ。
「うう、なんで私、こんな目に合ってるんだろう。もう、レイさんひどすぎるよ……」
これが普通の悪魔族だというのなら、確かにあまり仲良くしたいと思わないよね。メノウは外見も普通の悪魔族とは違うみたいだし、きっと変わった悪魔族なんだな。
てくてくと、森の中を進む。
最初にも思ったけれど、木々になんだか元気がない。ここは精霊王のいたところとは全く違うよね、まず夜だし。ここはずっと夜なのかなあ。
精霊王の泉はいるだけで元気になれるような空気に満ちていたけれど、ここにいるとなんだか心が渇いてくるような、寂しくなってくるような気がする。
……早く、みんなのところへ帰りたい。
「あれ?」
さらにしばらく歩いていると、なんだか見覚えのある光の集まりが見えてきた。
「……もしかして……」
思わず小走りになりながらそれに近づいてみる。時間が経ったからか少し光が弱くなってはいるけれど、やはりそれは先ほど私が大量につけた灯りの集まりだった。
「うそ……ここ、元の泉だ……」
まっすぐ歩いていたはずなのに、なぜか戻ってきてしまった。泉からはぽつぽつと私が歩いた道のりの目印のように灯りが伸びている。それは私の後ろにあるものと繋がっているというのだろうか。不思議空間すぎる。
「ううう、せっかく歩いて来たのに……」
私は思わずその場にへたり込んだ。ドレスでだいぶ歩いたので疲れてしまったのだ。
どうしよう、みんな心配してるのに、帰り方がわかんないよ。レイさんはしばらく帰す気がなさそうだったし、私が自分で何とかするか、誰かが助けに来てくれるのを待つしかない。
でも、精霊がいないところじゃ、私は何もできない。
……私、魔法が使えないと完全に役立たずだな……。
「フィル……」
不安からか、フィルに会いたくなってきた。なんだか今すごく、フィルにぎゅってして欲しい。
でも、フィルがこんなところに来られるわけがないことはわかっている。隔絶された魔王の空間で、メノウだって来られないところなのだ。来られるのはきっと、魔王と同じくらいか、それ以上すごい存在じゃないとダメなんだろうな。
「……ん? 同じくらいすごい存在?」
いた。魔王と同じくらいすごくて、私を助けてくれそうな人。精霊王なら、この場所にも来られるかもしれない。
……でも、精霊王への連絡の仕方なんてわからない。連絡できないと、助けを求めることもできないよ。
「………」
とりあえずやってみよう。やり方はわからないけれど、試したことはないんだし、もしかしたらできるかもしれない。
私は指を組んで目を閉じた。祈りが届きやすくなるような気がしたのだ。
《精霊王様。私の声が聞こえたら、どうかお返事をしてください》
同じ姿勢のまましばらく待ってみたけれど、お返事はなかった。
「う~ん、やっぱりダメかぁ……」
そんな気がしていたのでそこまでがっかりはしていないけれど、これで私にできることはもうなくなってしまった。
私はなんとなく、泉の水に手をつけた。ぱしゃぱしゃという水音と、冷たい温度が心地いい。
……うん? この水、魔力が籠ってる?
なんとなく、そんな感じがする。もしかしてこれって、聖水みたいなものなのかな。
……これを飲めば精霊王のところへ行けたり……しないよね。ここは魔王の泉だもん。それにこの水を飲むのはちょっと気が進まない。
私は泉を覗き込んだ。ちょっと疲れた顔の私が映っている。私じゃなくて、他の人を映してくれたらいいのに。
【……みんなを映して】
……あれ? 今私、言葉が変だったような?
そんな考えが頭をよぎったけれど、何も触れていないのにゆらりと波紋が広がった水面を見てそれは一瞬で吹っ飛んだ。
「ええっ!? ほ、ほんとに映るの……?」
私はじっと水面を見つめた。一体何が映るんだろうか。




