ビシャスの念願
「これはとても美味しいお菓子ですね。甘めで私はとても好きです」
「それは良かったです。ビシャス様はフルーツの砂糖浸けがお好きと伺って、それを焼き菓子に入れたものを用意してみたのですよね、お養母様」
「ええ、喜んで頂けて良かったわ」
「いや、とても美味しいですよ。あ、アゾートくんもどうですか?」
「……頂きます」
ビシャス様がバランスよく話を振ってくださるのもあって、お茶会は和やかに進んでいる。
けれど、やっぱり安心はできないよね。アゾート先生が言っていたビシャス様の“狙い”って、一体なんなんだろう?
じっとビシャス様を見つめていると、魔術師がみんなつけているものの他にも、指輪や腕輪、ピアスやブローチなど、たくさんの装飾品を身につけていることに気がついた。それらには全て魔石がついていて、メノウがつけているものみたいだ。
「ビシャス様、もしかしてそれらは魔術具でしょうか?」
「おや、さすがですね、ナディア嬢。私は魔術具の開発が主な仕事でして、自作のものをいくつか持ち歩いているのですよ」
そう言ってビシャス様は指輪をひとつ外し、私に手渡した。
「よろしければこれを指に嵌めてみてください」
「わたくしがですか?」
どう見てもサイズが合わない。これはビシャス様が中指に嵌めていたものだけれど、私には親指でも大きそうだ。
困惑しながら視線を彷徨わせると、アゾート先生と目が合った。すると、彼は私を安心させるようににこりと笑いながら肩をすくめた。
「魔術具ですから、どの指でも構いません。それは危険なものではないはずですよ」
……どの指でも構わないって言ったって……。
困惑しながらも大きな指輪を中指に嵌めてみる。すると、しゅるんと指輪は小さくなり、私の指にピッタリのサイズになった。
「わあ、すごいです! 小さくなりました!」
「それは単に灯りをともす用途の魔術具ですが、こういった付加価値をつけた高性能な魔術具は需要のわりにまだまだ作れる者が少なく、どうしても高価なものになってしまうんですよねえ」
……え、じゃあこれ、一体いくらくらいするんだろう?
「……ナディア嬢も、見たところ魔術具をお持ちのようだ。公爵家でご用意されたのですか?」
「いいえ。ナディア、あなた魔術具なんて持っていたの?」
ビシャス様の質問に、お養母様が首を傾げる。
……あ、これのこと?
ビシャス様の視線の先にあるのは、私の手首にある魔術具だ。以前メノウにもらった、防御の魔術具。
メノウはいつもつけていろと言っていたし、銀の繊細な鎖に緑の魔石がついているシンプルでどんなドレスにも合うデザインなので、今日ももちろんつけている。
「少し見せてもらってもいいですか?」
ビシャス様はやっぱり魔術具に興味があるんだね。好奇心が抑えられないのか、なんだかそわそわしているように見える。
「外すわけにはいきませんが、それでもよろしければ」
「ありがとうございます! では、お手を失礼し致しますね」
腕を出してみせると、ビシャス様は私の手を取って、今まで見たことがないくらい真剣に魔石の部分を見はじめた。
おお、さすが魔術具の研究者。目がいつもと全然違うよ。
少しビシャス様を見直したのもつかの間、その直後にビシャス様が見せた、ニヤリとした表情を見てぞわりと背筋に寒気が走った。
こ、怖い! なになに!?
ビシャス様の表情には、求めていたものをやっと見つけたというような深い喜びが見てとれた。それは間違いなく笑顔のはずなのに、思わず寒気がしたのはなぜだろう。
「ナディア嬢、この魔術具を作ったのは、もしかしてあなたの従魔となった闇の大魔術師ではないでしょうか?」
「え、は、はい。そうですけれど?」
「やはり! 闇の大魔術師が魔術具の練達の士だという噂は事実だったのだ! 今の私にも理解できない術式を組み込んだ魔術具をこの目で見ることができるとは! もしや、彼が今まで行ってきたことは全て魔術具によるもの? ナディア嬢、お願いです。どうか私を彼に会わせてもらえないだろうか? 従魔ならば彼は近くにいるのですよね?」
ビシャス様の怒涛の勢いについていけず、私は呆然とビシャス様を見返すことしかできなかった。お養母様も驚いたように目を瞬いているし、アゾート先生は目を輝かせたビシャス様を信じられないというような顔で見ている。
「ビ……ビシャス殿、もしやあなたの狙いとは、闇の大魔術師だったのですか?」
「アゾートくん、君は興味がないの? 闇の大魔術師といえば、様々な新しい魔術の開発者じゃないか!」
「……確かにそうかもしれませんが、彼はついこの前まで犯罪者としても知られていた人物ですよ?」
「優秀な研究者はみんなどこか一部おかしいところがあるのものだよ。オレは彼が犯罪者でも全く構わないけど、ナディア嬢の従魔になって恩赦されたのは本当に重畳だった。彼が堂々と魔術について語り合える立場になってくれたんだからね! 彼が初代女王と親しかったというのは有名な話だからもしかしたらナディア嬢のもとにも現れるかと踏んでいたんだけど、予想以上の結果だ。ナディア嬢、君は本当に素晴らしいよ!」
興奮しているのか、ビシャス様の口調がだいぶ崩れている。本当はこんな話し方をする人なのかな。目もキラキラ輝いていて、まるで別人みたいだ。
メノウのことを褒めてくれるのは私も嬉しいのだけれど、果たして彼の望む通りメノウをここに呼んでもいいものだろうか。今のビシャス様に会ったら、メノウはとても嫌な顔をするような気がする。
「あの、本人に確認をとってからお返事をしたいのですが」
「おや、では了解がとれた場合、またここに呼んでくださるのですか? 私の屋敷や城にある研究室でも私は一向に構いませんが、公爵夫人やナディア嬢の手を煩わせることになってしまうのではないでしょうか」
うっ! た、確かにまたお茶会を開くのは色々な意味で避けたい。今日はアゾート先生に一緒に来てもらったけれど、またすぐビシャス様だけを招けば周囲に何て思われるかわからない。何回もアゾート先生に付き合ってもらうのは申し訳ないし。
かといって私がビシャス様を訪ねるのも同じことだよね。メノウに一人で行ってもらうのは絶対嫌がるだろうしなぁ。
それに、貴重な回復薬を私に使ってくれたのは間違いないのだ。好意的ではあるんだし、会わせるくらいなら大丈夫かな? 話をするかどうかはその場でメノウが決めればいいんだもんね。
もしかしたら、ビシャス様はメノウにとっても良い友達になってくれるかもしれない。そう思ったら、会わせてみた方がいい気がしてきた。
お養母様もアゾート先生も少し困惑したような様子だけれど特に止める気配もないし、呼んでも問題はないはずだ。
「……わかりました。では、呼んでみますね」
「! 是非!」
ビシャス様の食い付きがすごい。
少し不安に思いながらも心の中でメノウを呼ぶと、いつものように闇の空間からメノウがぶわりと現れた。いつ見てもすごい。これは空間魔術というらしくて、人間で使える人はまだいないらしい。
メノウに初めて会うビシャス様とアゾート先生が息をのんだ。メノウは存在感がすごいよね。
「呼んだか、ナディア」
「うん、あのね、メノウとお話したいって言う人がいるから、来てもらったの」
「何?」
私がビシャス様を手で示すと、メノウが眉を寄せながらそちらに視線を向けた。子供のように目を輝かせたビシャス様が胸に手を当てて腰を折る。
「初めまして、私はビシャス・ランドローディと申します。メノウ殿とおっしゃるのですね! 貴殿の魔術の腕前は聞き及んでおりましたが、想像以上に素晴らしい魔術師のようで、正直驚きを隠せません。今突然現れたのも魔術具によるものなのでしょうか!? 私も憚りながら魔術具を作る職に就いておりまして、是非魔術について詳しくお話をお伺いしたくナディア嬢にお呼び立てをお願いした次第です!」
……あ、メノウが引いてる。
「ナディア、なんなのだ、この男は」
「うーん……メノウに興味があるみたい」
「帰っていいか?」
「あーーー待って! せめて今の魔術についてだけでも詳しくお話を!」
「なんなのだお前は! おい、触るな!」
すがりつくビシャス様をメノウがぐいぐいと押し退けている。その姿が意外すぎて、みんなでぽかんとそのやり取りを見つめる。
アゾート先生も口をまんまるに開けて呆然としていて、相当驚いているようだ。
「……まさかあのビシャス殿のこのような姿を見る日が来ようとは。狙いはナディア様ではなく彼だったのですね」
「趣味は合うようですし、意外と仲良くなれるのではないかしら?」
「そうだといいのですけれど……」
アゾート先生はどこか安心したようにそうこぼし、お養母様は面白そうな顔で二人を見ている。
メノウはだいぶ嫌がっているように見えるけれど、魔術具の研究者同士であるわけだしちゃんと話せば仲良くなれるかもしれない。でも、そこまでいけるかが問題だね。
でも、メノウに好意的な、友達になりたいという人が出て来てくれたことが、私は嬉しかった。
ふふ、と笑った瞬間、ぐにゃりと目の前の景色が歪んだ。
「!?」
それは一瞬で、すぐに歪みは元に戻ったけれど、景色は元に戻ったとは言えなかった。
「……え? ここ、どこ?」
今さっきまで目の前にいた人たちの姿はどこにもなく、テーブルも椅子もティーセットもない。
なぜか私は、夜の森の中で、ぽつんと一人で立っていた。




