ビシャスとアゾートの密談
「一体何を企んでいるんですか?」
ビシャスは、研究室を訪ねて来るなりそう言い放った同僚の一人、アゾート・ウォルグレイを振り返り、にこやかに見つめた。
同僚とはいえ、先輩であり階級も家柄も上の相手をいきなり訪ねてきてそんなことを言うなど礼を失していると言わざるを得ないが、彼は気にした様子もない。
もとよりそんなことを気にする質でないのは彼の方なのだ。そして、それをアゾートもわかっていての発言だった。
「何のことかな?」
「話は聞きましたよ。グレイスフェル家で行われるお茶会、私も呼ばれることになりました。フィルハイド殿下の婚約者とのお茶会に、独身のあなた一人が呼ばれるのはいらぬ憶測を呼びますからね。同僚と言うことで声をかけられたのです。正直それにはあなたにお礼を言いたいほど嬉しく思っている次第なのですが」
険しい顔での第一声から一転、その声は嬉しそうに弾み、顔も緩んでいる。
ビシャスはそんな彼の変化を意にも介さず言葉を返した。
「へー。じゃあ何が問題なの?」
「ですから! ナディア様に恩を売り、友人になりたいなどと言って一体何を狙っているのかと聞いているのです!」
「ひどい言い種だなぁ。彼女は初代女王の生まれ変わりである現在世界でただ一人の魔法使いだよ? おまけに君が会議で言った通り、その発言にはとてつもない価値がある。彼女が何かひとつ語ることによって魔術は大きく進歩するんだ。魔術に携わる者として、研究者として、彼女に興味を持つのは自然なことじゃないか」
「………」
アゾートは、そんな言葉で納得できるわけがないという表情でビシャスを見据える。実際、彼が彼女に興味を持ったのは件の会議よりずっと前のことなのだ。
「……あなたは、ナディア様が公爵家の養女になる前から彼女に接触しようとしていた一人でしたよね」
「まあ、それは否定しないよ。でも、別にオレは悪いことをしたつもりはないんだけど? どっかの馬鹿な三下貴族が乱暴に探し回ってさえいなければ、危機感を感じて彼女があんなに早く公爵家との養子縁組に至ることもなかっただろうにね。そして、そのおかげでもはやオレが彼女を迎えることができる可能性は潰えてしまったというわけだ」
そう言って額に手を当て大げさな手振りで嘆くビシャスを、軽蔑した眼差しでアゾートが睨む。
「あなたが彼女を迎える? 妻にでもするつもりだったというのですか? いや、あなたが一人の女性に縛られることを良しとするはずがない……まさか愛人!? 女性に見境がないとは思っていましたが、まさかまだ十四歳の少女を……」
「失礼だなぁアゾートくん。誤解しないでくれる? オレ平民の子供にそんな無理を強いるほど女の子に困ってないから。実家の養子にするとか専属契約を結ぶとかってことだよ。アゾートくんったらやーらし~」
「……!」
人前の時とは全く違う軽い口調に少し苛立ちを覚えながらも、アゾートは冷静に質問を重ねる。
「では、何の為に? 魔法に興味があるというだけならば、そばに留め置く必要はないはずだ」
ビシャスはふう、とため息を吐いた。
「より近くにいる方がより多く話ができるじゃないか。まあ、今となっては魔法使いである以上の価値が彼女にあることは明らかだし、もったいなかったとは思うけど彼女はすでに王子の婚約者になっちゃったからね。よほどの馬鹿でない限りもう誰も手出しはしないでしょ。オレはそこまで馬鹿じゃないつもりだけど、アゾートくんは一体何を心配してるわけ?」
「そう見えて手を出すのがあなたという人間だからじゃないですか! どれだけ無理に思えても隙間をスルスルとくぐり抜けて目的をいつの間にか達成してしまうあなたの有能さは存じ上げているつもりです!」
「わあお、天才アゾートくんにそんな風に褒められるなんて嬉しいなぁ」
「褒めてません!」
冷静であるよう心がけているつもりでも、アゾートはいつもこの男の前では声を荒げる結果になってしまうことを悔しく思っていた。
「確かにオレはそういう緊張感を楽しむ時もあるよ。でもね、オレだってそこまで危険は犯さないよ。多少のスリルは楽しめても、バレたら即首が飛ぶ遊びなんてさすがにやりたくないもん。掛け値が自分の人生だなんてごめんだよ。まあでも、狙いがあるのは本当だけどね」
「……それは一体……」
「ん~、まだ秘密! ナディア嬢は素直そうだから、普通にお願いすれば叶えてくれるかなって期待してるんだけどね。まあ、お茶会で言ってみるつもりだから、楽しみにしておいてよ」
「………」
自分の狙いは、お茶会という状況で、なおかつ人前でもできる程度のお願いであるとビシャスは暗に言っているのだ。そしてそれは、きちんとアゾートにも伝わっている。
「ナディア様が何らかの不利益を被るということにはならないというのですね?」
「くどいよーアゾートくん」
この男が信用できるというわけではないが、こんな嘘をつく必要はないだろう、とアゾートは納得した。
「……そうですか。今回は私が心配することではなかったようですね」
「そうだよ。オレみたいにナディア嬢を手に入れようとしていた貴族はたくさんいたみたいだけど、王子の婚約者に手を出すなんて、よほど頭がイカれてないとやらないよ?」
「……あなたは自分の目的の為なら親も上司も生け贄に差し出す人ですから、その部類かと思ったもので」
「アゾートくんそれは人聞きが悪いな、オレは適材適所に人を割り振っただけなのに。それに、本人以外にはそれで結構感謝されてるんだよ?」
ビシャスは心外だと言うように肩をすくめたけれど、本人以外にはと言っている時点でそれは本人にとっては生け贄と同義だとアゾートは思った。
ビシャスが師団長になることを嫌がって手柄をいくつか面倒見の良い上司に押し付け、巧みに上層部を誘導して師団長に押し上げたと言うのは割りと有名な話だ。
けれど、ビシャスは学生の頃にも同じようなことをしていることを、アゾートは知っていた。
どうしても欲しい魔術の素材があり、それを手に入れる為に、素材がある土地を持つアゾートの父に近づく必要があった。そして、その為に有効だと、自分の父を利用したのだ。
ビシャスの父は実は刺繍をするのが好きだった。それはかなりの腕前でセンスも良く、父の刺した刺繍入りのものは使う度にどこで手に入れたのかと人に聞かれるほどだった。だが、男性が刺繍をしているなど笑われてもおかしくない趣味であることは自覚していたため、家族以外には隠していたのだ。しっかりと口止めをして。
それなのに、アゾートの母が刺繍好きだと知ったビシャスはあっさりと父を生け贄に差し出した。
パーティーで父の刺繍入りのハンカチをちらつかせ女性陣の興味を引き、「実は父が刺したんですよ」と一言漏らせば、それはあっという間にほとんどの貴族の女性に広まった。
おかげでビシャスの父は刺繍の名人だと知れ渡り、世の貴族女性たちの人気者となった。今ではたくさんの客を抱える人気の刺し手だ。
だが、ビシャスの父は自分の作品が誉められているのだとしても、刺繍好きの男だと広く知られてしまったことをとても恥ずかしく思っていて、これは本人が望んでいた結果ではなかった。
大人しい性格が災いしてうまくいっていなかった領地経営よりも明らかに多額の成果を上げており夫人はとても喜んでいて、ビシャスは今でも父には文句を言われているが母には「よくやった」とさえ言われているのだ。
父は喜んでいないが伯爵家にとっても結果的に良かったことは間違いなく、母も刺繍を手にした大勢の女性たちも喜んでいるので、それも当然かもしれない。
そして父の刺繍の価値を上げたところでアゾートの母に父の刺繍を融通する。そうしてウォルグレイ伯爵家と繋がりを持てたビシャスは、悠々と素材を手に入れるという目的を達成したのである。
上手くいったから良かったものの、失敗すれば自分の父がただ恥をかくだけだったはずだ。
アゾートの母は彼を気に入っているけれど、親を餌に差し出して自分の望みを叶えるという行為を学生時分にためらいなくやってのけたビシャスを子供ながらにそばで見ていたアゾートは、ビシャスを信用してはいけない男だと認識したのだ。そして、その評価は今でも変わっていない。
「ナディア様に危害を加えるつもりがないのならいいのです。お邪魔しました」
そう言ってきびすを返すアゾートに、ビシャスは後ろから声をかけた。
「その辺は安心していいよ。オレはまだ死にたくないからね。じゃ、またお茶会で~」
手を振るビシャスだけが残る研究室に、バタンとドアの閉まる音が響く。
ビシャスは手を下ろしながら、どうでもいいことのようにぽつりと呟いた。
「……そういえば、少し前に王子の婚約者に手を出そうとしたよっぽどの馬鹿がいたなぁ。ま、そういう輩はどこにでもいるってことかな」
ビシャスは闖入者の登場により止まっていた手を再び動かし始め、しばらくすると先ほどの出来事などすっかり忘れてしまうほど、研究に没頭していったのだった。




