やきもち
糖分多めです。
ご注意(?)を!
フィルはソファーの背もたれに腕を置いて体を私の方に向けた。
その顔には笑みが戻っている。よかった、機嫌は直ったみたいだ。
「ナディア」
フィルの綺麗な顔が少し近づいてきたので、私は思わず少し体を引いた。
ち、近い。やっぱりフィルに距離を詰められるとドキドキしてしまう。
「ナディアがそこまで言ってくれるなら仕方ない。条件は付けるけど、それを了承するならナディアの要望を聞くよ」
「えっ、本当?」
「うん」
そう言うフィルはとてもいい笑顔だ。
……でも、なぜか嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
「まず、時と場所を選ぶこと。二人きりになるのは論外だけど、事情を知る人以外の前では駄目だよ」
それはそうだろうな。メイベルも言っていたけれど、誤解されちゃうとまずいもんね。
私はこくりと頷いた。
「あとは、あいつよりも俺の方が多く抱きしめさせてくれるなら、家族とするくらいの触れ合いなら気にしないようにする」
「……え?」
とても楽しそうな顔をしてフィルがとんでもないことを言い出した。
「え、え?」
「だって、従魔になったとはいえ婚約者の俺よりも別の男の方が多くナディアに触れるなんておかしいと思わない? だから、彼よりも十倍は長く抱きしめたいな」
「じゅ……!?」
それは多過ぎじゃないかな!?
「ナディアが恥ずかしがり屋なのはわかってるけど、せっかく婚約者になったのにさっきからずっとよそよそしいんだもの。俺だってあいつ以上にナディアを抱きしめたいんだけど?」
そう言ってフィルがまた少し顔を近づける。
そ、壮絶な色気が放たれている気がします。
綺麗な紫の目に吸い込まれそうになって、また少し体を引いた。
よ、よそよそしかったかな?
確かに、婚約者だって公表されて初めて会うからかちょっと照れくさくて目を逸らしたりしちゃったかもしれないけれど。
「それとも、俺に十倍抱きしめられるくらいならやめておく?」
フィルはとても爽やかな笑顔なのに、やっぱりどこか凄みがある。キラキラ笑顔が逆に怖い。
私からお願いしたんだし、これは絶対に嫌だと言えない流れだよね。
それがわかってるからフィルはこの笑顔なんだよね?
いや、決して嫌なわけじゃないのだ。
メノウと違ってフィルに抱きしめられると心臓が爆発しそうになるから困ってしまうだけで、むしろ以前抱きしめられた時は……とても、幸せな気分になった。
だからそれで、フィルが多少メノウとの触れ合いを許してくれるというなら何も迷うことなく頷くべきなんだけれど……躊躇ってしまうのは、フィルの笑顔がちょっと黒い気がするからだと思うの。
「あの、フィル。もしかして、怒ってる?」
「……別に、あれから雑務を必死で片付けてやっとナディアに会えると思って楽しみにして来たらいきなり他の男と抱き合ったりしてもいいか聞かれたからって、怒ったりしてないよ」
……めちゃくちゃ怒ってる!
「あの、フィル、ごめんね! 私、そんなつもりじゃなくて……」
「だから、十倍抱きしめさせてくれたら許してあげるってば」
フィルが黒い笑顔を崩して、今度は眉を寄せてちょっと拗ねたような顔で腕を広げた。
うっ、フィルってば、それはずるい!
いつもは格好良くて隙がないのに、フィルにそんな可愛い仕草でお願いされたら誰でも言うことを聞いてしまうと思う。
……もしかしてわかっててやってるのかなぁ。
ドキドキしながらも、ゆっくりと体を寄せて、ぽすっとフィルの胸に頭を預けると、掴まえるみたいにフィルの腕が私の体に回された。
ぎゅっと力を込められて私の心臓がばくばくとうるさくなり始めたけれど、今はそれもどこか心地良く感じる。
はぁ、とフィルのため息が聞こえた。
「……お願いだからあんまり妬かせないで、ナディア」
フィルの声はやっぱりどこか拗ねているように感じる。
けれど、髪を撫でるフィルの手が優しくて、私は安心してフィルに体を預け、目を閉じた。
「……ごめんなさい。でも、メノウは本当にそういうのじゃないんだよ。家族みたいな『好き』だから、大丈夫だよ?」
「……ふうん。じゃあ、俺のことはどんな風に『好き』なの?」
「えっ!?」
驚いてぱちっと目を開けた。
ど、どんなって。婚約しているんだから、どんな好きかなんてもうわかってるよね?
フィルの顔を見ようとして胸を押すと、ぎゅっと押さえつけられてしまった。
「フィ、フィル?」
「ダメ。そのままで教えて」
えええ?
「どんなって、あの……」
「……」
こ、答えるまで離してくれないみたいだ。
「フィルのことは、その……男の人として好き、だよ?」
「……それだけ?」
えええ!? それだけじゃダメなの?
どういう風に好きか、言って欲しいってことかな。
は、恥ずかしすぎる。でも、これは私がやきもちを焼かせてしまったせいみたいだし、ここはちゃんと言わなければいけない気がする。
私はぐっと覚悟を決めた。
「ええと、フィルは……こうやってぎゅってされると、幸せな気持ちになって、でも、ドキドキしすぎてちょっと困るような、『好き』……です」
思わず敬語になってしまった。
うああああ、恥ずかしい!
心臓がものすごくばくばくしている。人間の心臓が動く回数は決まっているって聞いたことがあるから、このままでは早死にしてしまうんじゃないだろうか。
「……うーん、嬉しいけど……これだけでそんなことを言われると困るなぁ」
「え?」
それって、どういう意味?
「俺は……こうやって抱きしめるだけじゃ足りないくらい、好き。ナディアが俺と同じくらい、俺を好きになってくれればいいのに……」
そう言って、さっきよりも私を抱きしめる腕に力を込めた。顔を寄せて話すものだから、頭にフィルの息がかかってくすぐったい。
というか、今、フィルの唇が頭に当たっているような気が、するよ?
そう気づいた途端、顔にぐわっと熱が集まる。ものすごく顔が熱い。
えっ、なにこれ、ちょっと待って、あれ? わ、私今、どうなってるの!?
現在の状況を頭が処理できなくてぴしりと固まったまま動くことができない。
足りないって、足りないって、それって……。
「ナディア……」
フィルがやっと少し体を離して私の顔を覗き込む。私は真っ赤になっていると思われる顔で固まったままフィルを見返すことしかできない。緊張と恥ずかしさでちょっと涙目になっているかもしれない。
そんな私を見てフィルは少し目を見開いて、……クスッと笑った。
「ナディアはまだまだ子供だね。まあ、半成人もまだだし仕方ないか。可愛い顔が見られたから、今はこれで我慢するよ」
そう言ってチュッと私の額にキスを落とし、また私をぎゅっと抱きしめた。
うわあぁー!!
い、い、今、何が起こったの?
私はもう、硬直したままじっとしているしかできなかった。
私は今まで男の子と付き合ったことなんてなかったし、そんな日が来るなんて正直想像したこともなかった。
平民だった頃は、特別美人でもないし髪も短くしてお洒落なんてしたこともない私には恋愛ごとなんて縁がなかったし、それどころじゃなかったから。
確かに婚約はするって言ったけれど、私にはまだこれは、ちょっと刺激が強すぎる……!
「ふぃ、フィル、は、離して」
「嫌」
「も、もう十倍は抱きしめたよ!」
「やっぱり十倍じゃ足りない。百倍にしよう」
えええええ!?
むむむむりむり。フィルの色気にあてられてなんだか目がまわってきた。わあん、もう限界! 誰か助けてー!
「あらフィルハイドが来ているの?」
部屋の外でお養母様の声が聞こえて、思いっきり腕を突っ張ってフィルを引き離した。
フィルの顔がものすごく不機嫌さを主張している。黒いオーラが立ち上っているけれど、仕方ないと思うの!
「殿下、ナディア様、リリアナ様がお見えです」
「フィルハイド、あなたよくこんなに早く……」
メイベルに連れられてお養母様が部屋に入って来たので、フィルと二人、立ち上がってお迎えしたのだけれど、フィルは不機嫌だし、私は顔に集まった熱が引かなくて真っ赤になったまま顔を上げられないしで、お養母様は何かを察したようだった。
「……あら、ごめんなさい。お邪魔だったかしら?」
うふふ、と楽しそうにお養母様が笑った。
いえ、お養母様、助かりました……。
私は、これからはあんまりフィルにやきもちを焼かせないようにしなければ、と強く思ったのだった。




