ぎゅー問題
メノウが私の従魔としてそばにいることを認められたのはよかったんだけど、まだとある問題が残っていた。
「ナディア、またな!」
帰り際、メノウがいつものように私をぎゅっと抱きしめる。
「う、うん」
メノウは私を抱きしめるのが好きみたい。
最初の方は「抱きしめさせろ」って言ってきてたけど、最近はもう勝手に抱きついてくる。
別に嫌ではないしメノウが嬉しそうだからいいか、と思っていたのだけれど、フィルの婚約者となった今、こういう触れ合いってやっぱり良くないんだろうか。
甘えてくる小さい子どもみたいで、私はいつも仕方ないなあと思いながら頭を撫でてあげていたのだけれど……。
悩みながらも何もしないでいると、メノウが訝しげな顔で体を離した。
「どうした?」
「えっ、ええと……」
ちらりとメイベルたちを見やると、驚いたような顔で固まっている。
うーん、やっぱりまずいのかな? まあでもすでに抱きしめられているところは見られたわけだし、ついでに撫でるくらいはもういいか。後で合わせて聞いてみよう。
「ううん。またね、メノウ」
そう言って背伸びをして手を伸ばし、かがんだメノウの頭を撫でてあげると、メノウは満足げに顔を緩ませて去っていった。
「「……」」
メイベルたちが目を見開いたまま私を凝視している。よほど驚かせてしまったらしい。
「あの……やっぱり、今みたいなのはもうやっちゃダメかな?」
「もう、ということは、やはり今まで当たり前にされていたのですね……」
メイベルが脱力したように肩を落とした。
アリーはまだ驚きから立ち直れないようで、直立不動のままぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「よろしいですか、淑女たるもの、婚約者でもない殿方にあのように触れさせてはなりません。触れてもいけません。もしそんな話が知られてしまったら、ナディア様の名誉は地に落ちてしまうのですよ」
「あの、でも、メノウは殿方っていうか、中身は小さい子供みたいだし、従魔ってことはもう家族みたいなものじゃないかな、なんて思うんだけど」
私は真剣にそう思っているけれど、困ったように首を振るメイベルはそう思わないらしい。
「メノウ様も、表現は激しいですが、ナディア様には親愛の情を持たれているようにお見受けしました。ですが、それが必ずしも周囲にも伝わるとは限りません。見た目があのように素敵な殿方であるのですから、お二人の関係を邪推する者の方が多いと考えた方がいいでしょう」
メイベルの言葉に私は肩を落としてうつむいた。
「……それに、あの時の殿下の反応を覚えておいでですか?」
「フィルの?」
あの時って、いつ?
「庭園でメノウ様が『せいぜい抱きしめるくらいのものだ』と言った時の、殿下の反応です」
「……」
そ、そういえばすごく怒っていたような。メノウに対して「死刑になりたいのか」みたいなことを言っていたような。
「ナディア様は、殿下が他の女性を抱きしめていらしたら、どう思われますか?」
「えっ」
フィルが、他の女性を?
私の知らない貴族の令嬢を抱きしめるフィルの姿を想像する。
胸に嫌なモヤモヤが広がって、悲しくて泣きたくなってきた。
「……」
うつむいてドレスのスカートをぎゅっと握りしめると、メイベルが優しくその手を取ってほどいてくれた。
「……殿下もきっとそんなお気持ちになられますよ」
「メイベル……」
目線を合わせて、諭すようにメイベルがそう言った。
そうなのかな。もしそうなら、やめるべきだと思うけれど……。
「うん……教えてくれてありがとう、メイベル。アリーも、遅くまでありがとう。ちょっと、考えてみるね」
それでもまだ決心できない私の曖昧な返事にメイベルたちは困ったように顔を見合わせたけれど、仕方なさそうに微笑んで「おやすみなさいませ」と言って部屋を出ていった。
フィルをこんな気持ちにさせるなんて私も嫌だ。
それならもうダメだよってメノウに言えばいいと思うけれど、それでメノウが悲しそうにするのも見たくないのだ。
どうしたらいいんだろう、とベッドに入りながら考える。
メノウは私にとってはもう家族のような、そう、お兄ちゃんとか、弟みたいな存在なのだ。
いろいろなことを知っていて魔法や魔術のことを教えてくれたりする頼りになるお兄ちゃんみたいだったり、子どもっぽいところを見ると弟みたいだと思ったりする。
孤児院で小さい子たちの面倒を見ていたからか、甘えてこられると甘やかしたくなってしまうのだ。
それをフィルがわかってくれればいいのだと思うけれど、周囲からはそう見えないのが問題なんだよね。
メノウは実年齢は四百歳越えてるくせに、外見は若くて格好良く見えるからなぁ。
でも、フィルならちゃんと話せばわかってくれるかな。
今度会えたら話してみよう、と思いながら目を閉じた。
「嫌に決まっているでしょう」
「……」
目の前にはソファーに座って腕組みをしたフィルが、不機嫌を隠さない様子で呆れたように半目で私を見ている。
あの発表から一週間後、フィルが時間を作って公爵家を訪ねてきてくれたのだけれど、さっきまでものすごくご機嫌でニコニコしていたのに、メノウのことを聞いた途端ご機嫌は急降下した。
お茶を出してくれているメイベルから飛んでくる「だから言ったのに」と言わんばかりの視線も痛い。
婚約者になったからなのか、多少二人きりにしても問題ないと思われているようで、メイベルはお茶を出し終えると部屋の外へ行ってしまった。ドアを少し開けているし、フィルの護衛さんたちとすぐ外に待機してはいるんだろうけれど。
「でも、本当にメノウはそんなんじゃないんだよ? たぶん甘えたいだけって言うか……」
「何百年も生きてて十四歳の女の子に甘えるなんておかしいでしょう。放っておけばいいんじゃない?」
フィルがお茶を飲みながらさらりと言い捨てた。
フィルがメノウに冷たすぎる!
でも正論すぎて言い返せない……。
フィルは間違ったことは言っていない。私が単に、アイリスと辛い別れをしたと言うメノウを甘やかしたいだけなのだ。
メノウは最初私に抱きついてきた時、私がいることを実感したいのだと言っていた。メノウは私がちゃんと生きているって安心したいだけなんじゃないかなと思うから。
でも、みんなに反対されて、フィルにも嫌な思いをさせてまでしてあげることではない、よね。
「……わかった。メノウにもうしないように言うね」
しゅん、と肩を落とすと、フィルがぐっと言葉を詰まらせた。
「……ナディアは、どうしてそんなにあいつのことを気にするの? 初めて会った時から、あいつを庇ったりしてたよね」
嫌なことを思い出したと言うようにフィルが顔をしかめた。
「え、うーん……メノウはなんていうか、最初から初めて会った気がしなかったの。精霊王もそうだったんだけどね。前世の、アイリスの時の記憶はないけど、気持ちは少しだけ残ってるのかなぁ?」
「……」
あれ? フィルの眉間のしわが深くなった。
もしかして私、フィルに嫌な気持ちにさせてる?
「あの、メノウはアイリスとは友達だったって言ってたし、私のこともきっと同じように思ってるんだよ。私もメノウのことは友達だし、大切に思ってるけど、フィルが嫌ならもう抱きつかせたり頭を撫でたりしないから。フィルを嫌な気持ちにさせる方が嫌だから」
「……」
わかってもらおうと一生懸命言い募ると、フィルの寄せていた眉がピクリと動いた。けれど、険しい表情は変わらない。
ま、まだ説明が足りないかな。
「あの、メノウは体は大きいけど中身は子供みたいだからつい甘やかしたくなっちゃうだけなんだよ。でも、昨日メイベルに言われて考えたんだけど、フィルがもし他の女の子を抱きしめたりしたら私もすごく嫌だから……フィルもそうだったなら、ごめんね。もうしないから」
そこまで言うと、フィルはスッと立ち上がった。
「フィル?」
そして、スタスタと歩いてなぜか二人掛けのソファーに座る私の横にすとんと腰を下ろした。
……あれ? どうしてこっちに来たの?




