小庭園と紫の花
「……あ、なんだか楽になってきました」
体に必要なものが危機的に足りなくて苦しくなっていたけれど、それが少し戻ってきたように感じる。そろそろ起き上がれそうだ。
私がそう言うと、部屋中がホッとしたような空気に包まれた。
「良かったわ、ナディア」
そう言ってお養母様がそっと頭を撫でてくれた。
少し照れくさくてむずむずしたけれど、心配してくれたんだなと思うととても嬉しい。
「もう大丈夫でしょう。ですがおそらくまだ完全には回復されていないと思われます。今日はもう魔術を使わず、念のため明日も回復薬をお飲みください。これ以上魔術を使わなければ第四級で結構でしょう」
宮廷医師のおじいちゃん先生が帰り支度を始めた。けれど、医療道具は魔術具がほとんどなのか、持ち物は小さなカバン一つだけだ。
魔術具なら腕輪にしまって持ち運べるもんね。やっぱりあの腕輪、便利だなあ。
「はい、ありがとうございました!」
「お疲れでしょうから、私も今日はお暇します。ナディア嬢、今度お茶にご招待しますから、またその時に魔術についてお話を聞かせてくださると嬉しいです」
私がおじいちゃん先生にお礼を言うと、ビシャスが綺麗な礼をしながらそう言った。
「あら、ナディアのために回復薬をご用意くださったランドローディ様にお茶のご用意をさせるなどとんでもない。わたくしどもでご用意致しますから、是非そちらにいらしてくださいませ」
うふふ、と笑いながらお養母様が横から口を挟んだ。
あ、危ない。何も考えず了承するところだったけれど、確かにこちらで用意してあげた方がいいよね。
「…………」
「ビシャス様、わたくし招待状をお出ししますから、是非いらしてくださいませ。その時にお話致しましょうね」
なぜかビシャスとお養母様が笑顔で牽制し合っているように見えたので、首を傾げつつ私からもお誘いしてみた。
すると、ビシャスは一瞬仕方なさそうにふぅと息を吐いて、また私に笑顔を見せた。
「では、その時を楽しみにしておりますね」
おじいちゃん先生とビシャスが去っていくのを見送ると、もう体調はすっかり元に戻っていたので私はベッドから降りた。
良かった。寝ていたのが短時間だったからか、あんまりドレスは皺になっていない。
「ご心配をおかけしました、もう大丈夫です! 帰りましょう、お養父様、お養母様、メイベル」
「ナディア」
帰りの挨拶をしようとフィルの方を向いたら、フィルが少し焦ったように私を呼んだ。
「なに? フィル」
「あ、その……体調に問題がなければ少し話をしたいんだけど、ダメかな?」
なんだろう? 少しフィルの様子がおかしい。なんだか気まずそうにそわそわしている。
私はちらりとお養父様たちを見た。私は良いけれど、みんなはどうだろうか。
「公爵、ナディアと少し話をしたいので、どうぞ先にお戻りください。ナディアは俺が責任を持って屋敷まで送りますので」
フィルがそう言うとお養父様は少し眉を寄せて逡巡したあと、小さく頷いた。
「……ナディア、私たちは先に戻る。メイベル、ナディアを頼んだぞ」
「かしこまりました」
そう言ってお養父様は身を翻し、メイベルは静かに礼をした。
お養母様もお養父様についていくのかと思いきや、ついっとフィルに向き直った。
「……きちんと、ナディアを送り届けてね? フィルハイド」
……あれ?
お養母様、なんだかまた少し笑顔が怖いよ?
そんなどこか凄むようなお養母様に、フィルもまたどこか怖いキラキラ笑顔を返した。
「当然ではないですか、人聞きの悪いことを言わないでください。俺を疑ってらっしゃるのですか?」
「うふふ、嫌だわ、ただの確認ですよ」
……どうしてこの二人はいつも笑顔で凄み合っているんだろうか。
「あの、お養母様。フィルがわたくしを送りもせず放り出すわけがないではありませんか。もちろんフィルはきちんと馬車を出してくれますよ」
そう言うと、お養母様とフィルは顔を見合わせ、揃って「はあ……」とため息をついた。
……なぜ!?
「もちろん、そんなことは疑っていませんよ。まだ万全でないあなたが心配だっただけです。……屋敷で待っていますからね、ナディア」
お養母様はまた私の頭をそっと撫でて、お養父様について部屋を出て行った。
それを見送ると、フィルは私に向き直り、そっと腕を差し出した。
「ナディア、外で話そう。ついてきてくれる?」
公式な場でもないし、もう体調も悪くはないのだけれど、貴族社会ではエスコートというものは常に必要なものらしい。
私は大人しくフィルの腕に手を添えた。
「わあ、綺麗!」
フィルに連れてこられたのは、すぐ近くの庭園だった。色んな花が咲いていて壮観な眺め。きちんと手入れされているお庭という感じだ。さすが王城の庭園だね!
二人で庭園を歩いていく。メイベルは少し離れて後ろからついてきていて、フィルの護衛の人もその近くにいるみたい。
「ここは中庭に作った小庭園だけど、俺はここの方が好きなんだ。ナディアがよければまた本庭園の方にも行こう」
私は驚いてフィルを見上げた。
え、これが小庭園!? 十分すごいですけど!?
「ナディアは花が好きなの?」
「え? うーん、どうかな? 綺麗だとは思うけど、今まであんまりお花を見て楽しむことがなかったからなあ。孤児院で野菜とかなら育ててたけど」
そう言うとフィルは、ははっと笑った。
「そういえば孤児院の裏手に小さな畑があったね」
その時ふと、見覚えのある花が目に入った。
「あ、でも私、あの花は好きだよ!」
「……あれは……」
私が指を差した先にあるのは、仮面パーティーでフィルが私の胸に差してくれた花だ。
ひらひらの花びらが可愛くて、フィルの目みたいな澄んだ紫色がとても綺麗だなって思っていたんだよね。
「あの花が好きなの?」
フィルがなぜか嬉しそうにそう言った。
「うん、丸っこくてひらひらの花びらが可愛いし、すごく綺麗な色だよね」
「そっか。じゃあまた一緒にパーティーに行く時には渡すから、胸につけてくれる?」
「いいの? ありがとう」
お礼を言うと、フィルがくすくすと笑い出した。
何がそんなに面白いんだろう?
「ねえナディア、知ってる? パーティーに出る時はね、パートナーの目や髪の色の花を胸につけるのが流行っているんだよ」
「!」
ぱ、パートナー?
「この花は俺の目の色と同じだから、ナディアがこの花を挿していたら俺の婚約者だと思われるかもね?」
こ、婚約者!?
「わわ、私、そんなつもりじゃ……!」
あわあわしていると、フィルがまたクスリと笑って、その紫の花を一輪摘んだ。
「わかってるよ。だから、他の人から花を貰っても、簡単にここに差しちゃダメだよ?」
そう言って、それを私の胸にそっと当てた。
……それって、フィルからは貰ってもいいということだろうか。いや、フィルからも貰っちゃダメでしょう!
「……あの時は、『お守り』って」
「うん、これを挿してたら、パートナーがいるんだなと思ってもらえるでしょう? まあ、気にせずダンスを申し込む人もいないわけじゃないけどね」
なるほど。あれは人避けだったんだね。
「わかった。もう挿さない」
「これなら挿してもいいよ?」
「さ、挿さないよ!」
「残念」
はい、と摘んだ花を私に渡しながら楽しそうに笑うフィルは絶対にそう思っていない。
私は大人しく紫の花を受けとった。
花を貰って嬉しいけれど、私はお礼も言わずフィルをじとっと見つめた。
フィルはちょっと私のことをからかいすぎだと思う。
……あれ? メノウもよくからかってくるけれど、もしかして、私はからかいやすいんだろうか?
少し嫌なことに気づきそうになったけれど、私は気のせいだと思うことにして、その考えを頭から追い払った。
そうやって歩いていると、小さな四阿が見えてきた。
「あそこに座ろうか」
「うん」
四阿の中にポツンとあるベンチに二人で隣り合って座る。
実は私は四阿というものをつい最近まで知らなかった。公爵邸にも四阿があって、オシャレなものがあるんだなと驚いたんだよね。眺めを楽しむための休憩場所なだけあって、ここから見る景色は抜群だ。
「ナディア、体調はもう大丈夫なんだよね?」
「うん、辛いのは完全に治ったよ! あっ、フィルも、回復薬をくれてありがとう」
そういえば、お礼を言ってなかった。
「お礼を言うのはこっちだよ。ナディア、本当にありがとう。君は兄上の命の恩人だよ」




