魔力の欠乏
「っ! ナディア、顔色が……!」
顔色?
フィルが焦ったようにそう言ったことで、みんなの視線がこちらに集まった。
ああ、心配をかけたくないのに。
「フィル、大丈夫だから」
「何が大丈夫なの、これを飲んで、早く」
フィルはまたどこからともなくシュンッと手元に小瓶を取り出して蓋を開け、私の口元へ持ってきた。
でも、あんまり何かを飲みたい気分ではない。
飲まないとダメかな、とフィルを見上げるけれど、真剣な目をしたフィルはこれを飲むまで許してくれそうにない。
私は頑張って小瓶の中の液体を飲み干した。
……うぇ。苦くてあんまり美味しくない。
「ナディア様!」
アデライド様が駆け寄ってきて、フィルと一緒に私を支えてくれた。
「ナディア様、大丈夫ですか? 先ほど、わたくしの魔術に魔力を使ってくださったからなのですよね?」
アデライド様が心配そうに赤くなった目で私を見る。
「……気になさらないでくださいませ。わたくし、たまたま魔術を使える魔力を持っていたので、お渡ししただけです。殿下を治す魔術を使ったのは、アデライド様なのですから」
まだ頭痛がひどいので、ちゃんとできたかはわからないけれど、笑顔でそう言った。
私にはちゃんと魔術を使えたかどうかわからない。アデライド様が病院や教会を回って癒しの魔術に慣れていたからできたのだ。きっと人を癒すイメージは完璧だっただろう。
「ナディア様……わたくし、いつかアレク様の病を治してさしあげるのが夢でした。そのためにたくさん治癒の魔術を練習しましたけれど、それはいつになっても叶わず、結局朽ちるはずだった夢なのです。それを、それを、ナディア様は叶えてくださった。アレク様との未来を、わたくしに与えてくださいました」
ぽろぽろと流れるアデライド様の喜びの涙がとても綺麗で、私がこの人をこんなに喜ばせることができたのかと思うと、なんだか誇らしい気持ちになった。
「その夢はご自分で叶えたものですよ、アデライド様が治癒の魔術に長けてらっしゃらなかったら、わたくしでは無理でしたもの。ですから、よかったですね、夢が叶って」
「ナディア様……!」
アデライド様の顔が涙でぐしゃぐしゃになってしまった。それでも美人なんて、アデライド様すごい。
「ナディア嬢」
ベッドの方から静かな声が聞こえた。アレクサンダー様が陛下の助けを借りてベッドから出て床に足をつけて立っていた。
足が少し震えているけれど、部屋に来た時のような辛そうな表情は全くない。
「なんと言っていいか……もはやわからない。感謝などという言葉では全く足りない。幼い頃から私の体を蝕んでいたものがすっきりなくなっているのがわかるのだ。私は君に、何を返せるだろうか」
「いえ、わたくしは、本当に何も……」
……感謝してくれているのは嬉しいのだけれど、実は私、ちょっと……それどころじゃありません。
フィルにもらった薬を飲んだけれど、頭痛は止まらないし、胸は苦しいし、目も霞んできた。そろそろ頭が回らない。
うう、気持ち悪い。
「……ナディア、まだ辛い? おかしいな、そろそろ効いてきてもいい頃なのに」
「っ! すまない。誰か、彼女に部屋を用意してくれ!」
フィルのその言葉で私が回復していないことに気づいて、アレクサンダー様がメイドたちに声をかけた。
ああ、結局大騒ぎに……。
「ナディア、ちょっとごめんね」
そう言ってフィルが私を横に抱き上げた。
あ……立ってなくていいだけでだいぶ楽。
「ありがとう、フィル」
私は安心して身を任せて目を閉じ、こてんとフィルの胸に頭を預けた。
すぐに私はお城に用意された一室に連れてこられて、ベッドに寝かされた。
うぅ、せっかくのドレスがしわになってしまう。でも脱ぐわけにもいかないし。せっかくデザインから考えて用意してくれたのに、ごめんなさいお養母様。
そして、なんと私の診察をするために宮廷医師である老年の男性がやってきた。
アレクサンダー様の診察も別の宮廷医師が別室でやっているらしい。本人はもう大丈夫そうだけれど、ちゃんと診てもらわないとまだ完全に治ったかどうかわからないもんね。
そして、私に用意された部屋にはお養父様とお養母様、メイベルがついてくれていたのだけれど、なぜか宮廷医師のおじいちゃんと一緒にフィルもやってきた。さっき陛下と真剣に何か話していたみたいだったけれど、もういいのかな?
「……魔力の欠乏状態ですね。しかも、かなりひどい。魔力回復薬は飲まれたのですよね?」
診察してくださったおじいちゃん先生が不可解だと言わんばかりの顔をしてフィルに聞いた。
「ああ。第四級のものだ」
「第四級を飲んでいるのにこの状態ですか……」
な、なんだろう。なにかまずい状況?
相変わらず私の体調は良くならない。
第四級ってなんだろう? そういえばメノウも第二級の回復薬とかなんとか言っていたような気がするけれど、魔力の回復薬に等級があるのかな?
「おそらく回復量が足りないのでしょう。魔力量が膨大とのお話でしたが、それほどとは、ううむ……。第四級を飲んでこの状態では、同じものでは状態回復には心許ないですな。第二級……せめて第三級のものがあれば……」
「第三級か……国庫には備蓄があるはずだけど、正規の手続きを踏まずに持ち出すとうるさい奴らがいるからな。ナディアを攻撃させる材料はできるだけ与えたくない」
フィルがそう言って二人は持っていないかとお養父様やお養母様に視線を向けるけれど、二人とも首を振っている。そんなに貴重なのものなの? じゃあメノウがくれようとした第二級って一体……。
「あの、このまま放っておいても回復はしないのでしょうか?」
魔力って回復薬を飲まないと回復しないのかな?
「もちろん少しずつ回復はしていきますが、一定量回復するまでは辛い状態が続きます。ご令嬢の場合ですと、第四級を飲んでこの状態ですから、放っておけば完全に回復するのに三日はかかると思われます」
三日!? そんなにかかるの!?
でも、部屋に帰ったらメノウが薬を持って来てくれる気がするな……。
なんとなくだけど、たぶん。
でもみんなが心配してくれているのがわかるから、大丈夫だから帰りますなんて言っても納得してくれそうにないというのもわかる。
「回復薬は一日に二本までが適量ですから、あと一本しか飲めません。しかし、今からもう一つ飲むのが第四級では、今日一日は辛い状態が続くかもしれません」
宮廷医師のおじいちゃんが難しい顔をして言った。
「しかし、第三級の回復薬など魔術薬店にもあるかどうかわからん。何とか第三級の回復薬を持っている者を探して譲ってもらえないか交渉しよう。金はいくらかかってもいい」
珍しくお養父様が饒舌にお話しているけれど、明日には辛い状態は回復するとわかっているのにお金がいくらかかってもいいだなんてもったいないからやめてほしい。
そしてフィルもお養母様も頷いているけれど、誰か止めて! お金は大切なものですよー!!
「ま、待ってくださいませ。明日には良くなるのですよね? わたくし、我慢できますから」
「いや、体調が悪くなるほど魔力が欠乏した状態で長くいるのは良くないことなんだ。体が今ある魔力で容量を満たそうとして、最大魔力が低下することがあるらしい」
フィルが難しい顔でそう言った。
えええ!? 魔力欠乏って、辛い上にそんなデメリットもあるのか。
「そ、そうなのですか。けれど、わたくしは元々少し多めにあるようですから、少しくらい減っても……」
構いません、と言おうとして思い留まった。部屋にいた全員に「信じられない」という目を向けられたからだ。
……な、何かまずいことを言いましたか?
「ナディア。貴族にとって、いや人類にとって魔力とはとても貴重な力であり財産なのだ。魔力とは魂の力だとも言われていて、生まれ持ったものであり基本的に増やすことができない。優秀な学者たちが何年もかけて魔力を増やす研究をしているが、未だ有効な結果は得られていないのだ。先ほど殿下を治してみせたのもお前の膨大な魔力があってこそだというのに、減ってもいいなどと滅多なことは言うものではない」
無口なはずのお養父様がものすごく長い文言を口にしている。私の肩を掴みながら真剣な顔で切々と言い聞かされて、思わず呆然としてしまった。
お、お養父様、こんなに喋ることもあるんですね。いや、今までも必要なことはちゃんと話していたけれど。逆に言えば、これはとても重要なことだということですね。
わかりました、もう言いません。百人分が九十人分になってもそんなに変わらないのでは、なんて思っていたとしても。
その時、コンコンコンと部屋の中にノックの音が響き渡った。




