おまじない
フィルが戸惑いながらも頷いてくれたので、一緒にアレクサンダー様の元へ行く。
「殿下、病気が早く良くなるよう、わたくしがよく知るおまじないをやってみませんか?」
突然私がそんなことを言うものだから、殿下やアデライド様、陛下たちまでぽかんとした顔をしてしまった。
まあ、貴族の人たちは魔術を使うのが普通だから、おまじないなんて不確かなことはしないのかもしれない。
「おまじない……?」
「はい、わたくし、病気を治す魔法は使えないようで、孤児院にいた頃は病気になった子供たちにおまじないをしてあげていたのです。子供のおまじないで恥ずかしいのですけれど……病は気から、と言うではないですか。これで元気になれる、と思えば、少しは力が出てくる気がしませんか?」
ぐっと手に力を込めてそう言うと、アレクサンダー様はクスッと笑った。
「そうだったな。君には、気持ちが力になるということをすでに教わっていたんだった。おまじないとは、どうすればいいのだ?」
よかった! アデライド様を気持ちの力で死の淵から呼び戻せた経験が良い風に影響してくれたみたい。
殿下の了承が得られたので、孤児院でやっていたおまじないを教えてあげる。
「と言っても、殿下は何もする必要はありません。これは周囲の人がやるおまじないなのです。できれば、初対面のわたくしよりもっと親しい方がやった方が効果があるのですけれど……まず、こうやって指を組んで、お祈りするのです。『早く良くなりますように』って」
「口に出して言うのですか?」
アデライド様はすでに素直に指を組みながら、やる気満々という風に真剣に聞いてきてくれた。
「いいえ、言っても言わなくても、言葉も何でもいいのです。大事なのは、この人に良くなって欲しい、という気持ちを込めることなのです」
「わかりました!」
アデライド様ならとても気持ちを込めて祈ってくれそうだ。
「私たちもやろう」
「ええ!」
「もちろんです」
「……」
なんと、陛下と王妃様、お養母様と、頷いたのでお養父様もやってくれるらしい。
フィルも、もちろんという風に笑顔でこくりと頷いてくれた。
……子供のおまじないだけれど、実はやってくれる人は多い方がいいから、よかったかもしれない。気持ちを伝える人が多い方が、病気の人は元気が出るもんね!
「ありがとうございます! お祈りをしたら、今度は病気の人の、どこでもいいので一部に触れながら、元気になったら一緒に何をしたいかを伝えるのです。そうすると、それを叶えるために早く良くなろうと思えるのですよ」
これで、病気で辛くてもみんな少し元気が出るんだよね!
「えっ! こ、この場で、ほ、本人に直接言うということですか……?」
アデライド様がなぜかあわあわと狼狽え出した。
あれ? ……ええと、『元気になったら外に遊びに行こうね』とかそういうことを言うだけなんだけど、何かまずかったかな?
「……では、私からやろう」
なんと、陛下が一番乗りにやってくださるそうです。
私は少し横にずれて、陛下に場所を譲った。
陛下は指を組んで無言で少し祈るように目を瞑ったあと、アレクサンダー様の肩に手を置いた。
「……もしお前が元気になったら、お前を王太子にしたいと思っている」
「!」
その場にいた全員が息をのんだ。
「お前が体が辛い中努力を怠らなかったことを知っている。限られた時間を自身の研鑽や公務に割き、民を想う心を持ち、身分の分け隔てなく優しいお前は臣下にも慕われている。……善き王の器だと思っている。だから、早く良くなってくれ」
「父上……」
涙が滲んだアレクサンダー様の目が陛下を見つめたあと、少し顔を伏せた。手が少し震えていて、嬉しさと、悔しさが伝わってくる。
陛下も少し目を伏せて、ゆっくりと手を引いていった。
「次はわたくしにやらせてくださいませ」
王妃様が前に出た。指を組み、切なげな表情で「どうかこの子の病が良くなりますように」と祈る。
そして、手のひらでアレクサンダー様の頬にそっと触れた。
「アレクサンダー、わたくしの可愛い息子。あなたを丈夫に産んであげられなかったわたくしを、どうか許してね……体が丈夫でなくても、あなたは王になるのだと、やりたいことをたくさん我慢してきたことをわたくしは知っていますよ。元気になったら、少しくらい羽目を外してもいいと思うわ。外出も、乗馬も、魔術戦闘も……我慢してきたことを、全てやりましょうね。わたくし、その姿を見たいわ」
王妃様は愛しそうにアレクサンダー様の頬を撫でた。
「……許すだなんて、とんでもない。感謝しています、母上」
アレクサンダー様が泣き笑いのような表情で返すと、王妃様も同じように微笑んで、手をゆっくりと離した。
「じゃあ、次はわたくしね!」
王妃様が下がると、お養母様が雰囲気を明るくするような声でそう言って前に出た。
指を組んで「早く良くなりますように」と呟き、アレクサンダー様の手の甲に上から軽く手を乗せた。
「アレクサンダー、体がよくなったら、是非わたくしとお茶会をしましょうね! あなたったら、いつも体調を理由に断るんですもの。知っているのですよ、体調が良い日もそうやってはぐらかしていたことを。病が治ったら、もうそうはいきませんからね」
お養母様がからかうように言うと、アレクサンダー様は「ははっ」と苦笑した。
「お見通しでしたか。わかりました。ご婦人方のお茶会は苦手ですが、病が治ったら叔母上のお茶会に行くと約束しましょう」
仕方なさそうに笑うアレクサンダー様に、お養母様は「絶対ですよ!」と笑顔で念を押して手を離した。
お養母様が下がると、お養父様が無言で前に出て、指を組んで目を閉じた。そして陛下が触れた方とは逆の肩に手をぽんと置いた。
「……良くなれば、魔術戦闘をやろう」
その一言だけだったけれど、アレクサンダー様は少し目を見開いてから、嬉しそうに笑った。
「公爵から誘ってくださるとは。昔から私がどれだけお願いしても頑なに断ってこられたのに。これは楽しみです」
お養父様は無言で頷いて、そっと手を引き、後ろに下がった。
フィルが私をちらりと見たので、私は「いってらっしゃい」の意味を込めて笑顔でこくりと頷いた。
それを合図に、フィルがすっと前に出て、指を組んだ。
「……良く、なりますように」
そう言ってアレクサンダー様の腕辺りに手を添えた。
「兄上、俺は……」
フィルが言うのを迷うように言葉を切った。
アレクサンダー様は真剣にフィルに視線を向けている。
「……俺は、王位を望んだことなんて一度もありませんでした」
「……」
感情のない声でフィルが話したことを、アレクサンダー様は少し辛そうに聞いている。
「幼い頃からずっと兄上を尊敬していましたし、次期王にふさわしいと思っていました。王になった兄上を支えていきたいと、思ってきたのです。……今もそう思っています。ですから、早く体を治して立太子してくださいね。魔術戦闘も、是非俺ともやりましょう」
最後には笑ってみせたフィルに、アレクサンダー様は辛そうに一度ぐっと目を閉じたけれど、ゆっくりと目を開けてフィルを見た時には、挑戦的に笑っていた。
「……お前には負けないからな」
「おや、いきなり俺に勝てるつもりですか?」
「なんだと!」
二人で笑い合って、やがてフィルが手を離した。
「あ、あの、わたくし……」
アデライド様はなぜかまだオロオロと顔を赤くしながら恥ずかしそうにしていたけれど、意を決したように指を組み、目を閉じた。
「……アレク様の病が、どうか治りますように」
ぎゅっと目を閉じてそう祈り、ゆっくりとまぶたを持ち上げ、アレクサンダー様の手を取って握りしめた。
「……アレク様」
「……なに?」
アデライド様は少し躊躇うように言葉を切ったけれど、アレクサンダー様の優しい声で続きを促されて、また話し始めた。
「わたくし、アレク様の病が治ったらやりたいと思っていたことはたくさんあります。一緒にお出かけをして、観劇をしたり、一緒に遠乗りに行ったり、パーティーにはいつも一緒に出席して、ダンスをたくさん踊ったり、夜の庭園を歩いたり、したい」
それは、裏を返せば今まではできなかったことなのだろう。
アレクサンダー様がぐっと唇を噛みしめた。
「けれど、アレク様がずっとわたくしと共にいてくださるのなら、そんなことはもういいのです。他には何も望みません。ですから、約束を……わたくしが呪いの闇に落ちようとしていた時に言ってくださった言葉を、病が治ったら、もう一度言ってくださいませんか」
アレクサンダー様は驚いたように目を見開いた。
「病が治ったら……ずっと共にいるという約束を、したいです」
アデライド様はうつむいて、消え入るような声で言った。
するとアレクサンダー様は、震えながら力を振り絞るように腕を上げてアデライド様を抱き寄せた。
「アディ……今その約束をできなくて、本当にごめん。病が治ったら、一番に君にその言葉を言うよ」
アレクサンダー様の声が辛そうで、私まで辛くなってきた。
私がいつもおまじないをやっていたのは数日で治るような風邪の時ばかりだったけれど、アレクサンダー様は幼い頃からずっとなのだ。やりたいことなんて山ほどあるだろう。
……良くなるといいな。どうして、魔法で病気は治せないんだろう。
……そういえば、魔法は精霊たちが自分のエネルギーを消費して願いを叶えてくれることなんだって、メノウは言っていたな。
そして、こうも言っていた。
『ナディアが魔術を使うメリットもあることはある。精霊たちが己のエネルギーでは実現できない規模の事象は、ナディアが魔力を渡すことで叶えられるかもしれない。必要になったら、試してみるといい』




