メノウとナディア
「元気を出してください、ナディア様。ほら、ココアをお持ちしましたよ」
メイベルが優しく声をかけてくれるけれど、元気は出ない。
……ココアはもらうけれど。
私は今自分に与えられている部屋で机に突っ伏して絶賛反省中なのです。そう、今日自分がやらかしてしまったことについて。
私の浄化の魔術は、私自身どころかこの部屋中を巡り、それに留まらずこの広いお屋敷中を駆け巡って外まで出ようとしたところでなんとか止まったらしい。
それは一瞬でもちろん誰かを傷つける魔術ではなかったけれど、屋敷中の人を驚かせてしまったし、お皿を運んでいたメイドが驚いてお皿を割ってしまい顔を青ざめさせたという事件も起こった。本当に申し訳ない。
もちろん彼女は悪くないので、そのことは私がお養父様とお養母様に謝りました。
あと、私にいきなり魔術を使わせるという無茶をさせたということでアゾート先生もお養母様にお叱りを受けた。結果的に私の体から出ていた光が収まったのと、私が「先生がイメージが大切だとおっしゃったのに、私がそれを忘れていたのです」と一生懸命説明したことでお咎めはなかったけれど、お養母様が一瞬口に出した「解任」という言葉に先生は真っ青になっていた。
なぜかその後アゾート先生がさらに私を崇め出したのも困ったことである。
「確かに驚きましたけれど、掃除担当のメイドたちはそれはもう喜んでおりましたよ! 屋敷中があっという間にピカピカになったのですから! おかげで、信者もかなり増えたんですよ!」
……信者? 何を言っているんだろう、メイベルは。
そうなのだ、屋敷中が浄化されて、外観までも一瞬でピカピカになったものだから、周囲からも目立ってしょうがないのである。
……でも、喜んでくれている人もいるのか。それは良かったかもしれないな。
私は少し気分が浮上してきて、ココアを一口飲んだ。
……甘くて美味しい。
「ありがとう、メイベル。もう大丈夫。もう少し魔術のことを復習したら今日はもう寝るね」
そう言うと、メイベルはほっと息を吐いて、「おやすみなさいませ」と言って部屋を出て行った。
「なんだ、もう落ち込んでいないのか。慰めてやろうと思ったのに」
「うん、来ると思ってたよ」
メノウが急にそばに姿を現したけれど、私はもう驚かない。あれからもう何回もこうして現れているのだから、私も慣れたものである。
不思議と、私が疲れている時とか一人でいたい時には現れないのだから、メノウはちゃんと私のことを考えてくれているようだ。どうやってそれを知っているかは考えたくないけれど。
「洗礼式を受けたのだな。魔力が満ち溢れているぞ。それにしても、洗礼式では何もなかったか? 精霊殿全体が激しく光ったとかで、大騒ぎになっていたが」
うあぁ~、大騒ぎ……。そりゃそうだよね。
お養母様は私を狙う人が増えるって言っていたけれど、メノウには絶対に言えないな。
「普通に洗礼式を受けただけだったはずなんだけど……、精霊王に会ってね、魔力を解放してもらったら、なぜかああなっちゃったの。体から光が出てしばらく止まらなくて、大変だったんだよ」
疲れたようにそう言うと、メノウはむっと眉を寄せた。
「……あいつに会ったのか」
え、あいつ?
「精霊王のこと?」
「そうだ」
メノウは不機嫌な声で肯定した。
「うん。もしかして、仲が悪いの?」
そういえば、精霊王はメノウのことを知っているみたいだったな。
「……良くはない。といっても、私が一方的にあいつを気に入らないだけだが。アイリスは、いつもあいつのことばかりだった。私といても、あいつが現れると私に構ってくれなくなるのだ」
拗ねた顔のメノウがなんだか可愛い。メノウって、ものすごく年上で背も高いのに、なんだか弟みたい……というか、言ったら怒られると思うけれど、なんだか懐いてきた野生動物みたいに思えるんだよね。行動が動物みたいに一直線だからかもしれない。
「ナディアも、あいつのことが好きなのか?」
……うん? それは、旦那さまにしたいかという意味で、だよね?
「うーん、いい人だと思ったけど、少し話しただけだし、そこまでは」
私は首を傾げつつそう言った。メノウに初めて会った時みたいな懐かしさは感じた。会えて嬉しい、とも思ったけれど、やっぱり私はアイリスじゃなくて、ナディアだから。
私が旦那さまになってほしいと思うのは……と考えて、ふっと頭に浮かんだ人のイメージを首を振ってすぐにかき消す。
やめようやめよう。ありえないから。
「そうか! よかった!」
「わっ」
そう言って嬉しそうにメノウが後ろから抱きついてきた。こういうのももう慣れてしまった。こういうところがじゃれてくる犬みたいだと言ったら怒るだろうか。
「ねえ、メノウは、アイリスとどういう関係だったの?」
もしかしたら恋人なのかと思っていたけれど、アイリスは精霊王のことが好きだったみたいだし、やっぱり気になる。
「うん? 関係か。そうだな、友人……であったと思う。私の初めてできた、唯一の友人だった」
メノウは思い出すように遠くを見ながら言った。
「私がアイリスに出会ったのは、アイリスが女王になってしばらく経った頃だ。私は精霊王の加護を受け人間に魔術をもたらしたという女王とはどんな奴なのか見てみようと、会いに行ったのだ。そして面白半分に、魔法を使えるお前なら世界統一も夢ではないと戦争を唆したのだ」
「!?」
せ、戦争で苦しんできたアイリスに、なんてことを言うの、メノウ。よくそこから友人になれたね。
「しかしアイリスは、ふざけるなと私を殴ってきた」
……え? 殴った?
「今までの王は嬉々として戦争を行ってきたのに、それを唆しただけで顔面グーパンチだ。だが、私にはアイリスがなぜ怒っているのかが理解できなかった。アイリスが教えてくれるまで、私には他人の怒りも悲しみも苦しみもわからなかったのだ」
淡々とした口調でメノウは続けた。
「私は種族の中でも異質だった。生まれた時から魔力が多過ぎてなかなか力を制御できず、周囲の者は皆私を怖れて近寄らなかった。親ですらも、遠巻きに最低限の世話をするだけだった。叱られたことなど一度もなく、まともに会話したこともない。アイリスだけが、私の存在を真正面から受け止めて、叱ってくれて、個人として扱ってくれた。対等な存在として話をしてくれた」
メノウが私を抱きしめる腕にさらに力を込めた。
「アイリスと話している時だけは、私は自分が生きているのだと感じることができた。楽しいとか嬉しいとか、自分の中にもそんな感情があることを、アイリスが教えてくれたのだ。でも、アイリスがいなくなって、また全部なくなった。その後いろんな国に戦争をけしかけたが、アイリスのように怒る者など誰もいなかった。……だが、ナディアが現れてくれた。ナディアは、私が行ってきたことを知っていても、私がどんな存在かを知っていても、私を怖れず、叱ったり、話をしてくれる。だから、私はまた自分の感情が戻ってきたように感じている」
「…………」
「私はアイリスを守れなかった。だが、ナディアだけは、今度こそ私が守る。ナディアはもう、アイリスと同じくらい私にとって大切な存在なのだ」
失いたくないのだと叫ぶようにメノウは私を捕まえている腕に力を込めた。
……メノウって、すごく寂しくて、悲しくて、純粋な人だな、と思うのだ。
私はメノウを安心させるように、首に回されているメノウの腕をポンポンと叩いてあげた。
アイリスを亡くしたメノウが他の国々に戦争をするようにけしかけたせいで、……最終的に戦争を起こしたのは国とはいえ、きっと多くの人が亡くなったはずだ。
でもなぜか私がメノウを憎めないのは、メノウのことを小さな子供のように感じてしまうからだ。メノウはそれを止めてくれるような人がそばに誰もいないような寂しい人で、自分が何をしているのかもわかっていない、体だけ大きくなった子供みたいだから。
メノウには、自分を見てくれる、認めて好きになってくれる存在が必要だったのかな、と思う。
以前はそれがアイリスで、そして今は私にそれを求めている……んだよね。
「メノウ、私もね、もうメノウは大切な友達だと思ってるよ」
「本当か!」
私がそう言うと、メノウの顔がぱあっと嬉しそうに輝いた。
よしよし、とメノウの頭を撫でる。まるで他の人には懐かない大型犬のようだ。犬にしては狂暴すぎるけれど。
「だから、私の友達とも仲良くしてくれると嬉しいな」
そう言うと、メノウの顔がわかりやすく歪んだ。
「………………考えておく」
メノウはものすごく嫌そうにそう言った。
……道は長そうだ。




