洗礼式
それはとても大きな扉だった。
長い廊下の最奥にあって、ここが特別なところだとわかる入り口だ。そばには二人、人が立っている。
大きな扉を見上げると、お養父様の身長の五倍くらいはありそうなくらい大きい。こんなに大きくする必要はあったのだろうか。
私たちがそばまで来ると、その二人が同時に取っ手に手をかけた。すると、ブゥン、と魔法陣のようなものが扉に浮かび上がり、扉はこちら側へ開いた。
おぉ、すごい! 魔術で開ける扉!?
この二人は魔術師、いや魔術師がこんなところで扉の番をしているとは考え辛いから、魔力使いかもしれない。門を開ける係として雇われているのかな?
扉の奥はとても広い部屋だったけれど、祭壇までカーペットが敷かれているだけで他には特に何もない。祭壇の前には台座があって、その上には灰色の石でできたような何かが載っている。
一歩中に入ると、とても空気が澄んでいるように感じた。
……あの台座から、なんだかとても清涼な空気が流れ出ているみたい。いや、空気を清浄にさせる何かが、溢れているような。うまく言えないけれど。
「あれは何?」と聞きたいけれど、声を出すのも憚られる雰囲気だし、精霊殿長もお養父様も無言で歩き出したので後をついていった。
「では、こちらへどうぞ」
精霊殿長が台座の横に立ち、私を正面へ誘導した。
お父様を見ると軽く頷いたので、私一人で行くらしい。
祭壇の正面にある台座に載っていたのは、石でできた器だった。中には小さくて透明な丸い石と、澄んだ液体が入っていた。
「これは『聖水』です。中に入っている小さな石によって石の器には常に聖水が満たされています。精霊王に祈りを捧げ、これを飲むことで一部の人は魔力を授かることができます」
精霊殿長が説明するように言った。
へえ~! この石、すごいんだな。聖水を無限に生み続けるなんて。あ、だからこの場所はこんな奥まったところで大切に祀られているんだね。扉も魔法陣が使われていて、魔力を込めないと開けられないようになっているみたいだったし。
私は今一人で洗礼式を受けているけれど、平民は何人もまとめて行うのが普通だ。月に二回しかやらないので、予約して来なければならない。もしかしたらここの扉を開ける回数を減らして、聖水を守るためなのかもしれない。
「では、精霊王に祈りを捧げてください。祝詞はわかりますかな?」
そう言って私を見て微笑んでいるような顔を見せる精霊殿長の目は、私にはやっぱりなんだか気持ちが悪い気がしたけれど、私は微笑んで「もちろんです」と言葉を返した。
平民は祝詞なんて覚えずその場で教えられた言葉を繰り返すように言うだけらしいけれど、貴族の子供は自分で覚えて来るのが普通らしい。貴族は精霊殿の人に教えられるのは癪に障るのだろうか。見栄っ張りだよね。
「さすがでございますな。では、聖水をお渡し致しますので、これを捧げ持ち祝詞を唱え終わったら出来るだけ一気に飲んでください」
そう言って小さな銀色の杯に聖水を汲み、私に差し出した。
私は杯を受け取り、祭壇に向かって捧げるように持ち上げる。
そして、前もって教わっていた祝詞を唱え始めた。
《偉大なる優しき精霊王よ》
《我は精霊に捧ぐ魔力を望む者》
《我に内なる力あらばその道を示し給え》
《偉大なるその力を我に振るわんことを》
言い終わってふと気づいた。
あれ? 私今、精霊語使ってなかった?
振り返ってお養父様に確認したいけれど、もう言ってしまったものはしょうがない。とりあえず聖水を飲むべきだよね。
私は捧げ持っていた銀色の杯に口をつけ、一気に中の液体を飲み干した。
そこで、私の意識は一旦途切れた。
……あれ? ここどこ?
私は知らない場所に立っていて、まるで立ったまま寝ていたかのようにいきなり目を覚ました。
そこは森の中のようで、私はそこにある泉の端に足をつけている状態だ。けれど、ここが普通の森の中でないことはわかる。なぜなら、森は途中で途切れているからだ。
私の周囲は完全に森なのだけれど、少し遠くを見るとその先がない。木がないのではなくて、真っ白なのだ。それも全方位。
明らかに異常事態ではあるけれど、私はなぜか焦ったり恐怖を感じたりはしていなかった。むしろ、ここにいるはずの存在にまた会えるのかと胸が期待に満ち溢れている。
……? また? こんなところに見覚えはないのに。というか私、どうやってここに来たの? 何やってたんだっけ?
どこか夢を見ているような感覚だ。あまり頭が働かない。
とりあえず泉から出ようと足を動かした時、目の前にキラキラと小さな光が集合し出した。
「……綺麗」
ぼうっと光に見とれていると、それは次第に人の形を取り始めた。だんだんと輪郭がはっきりしてきて、長くて綺麗な銀色の髪が見えると、私の心臓はなぜかドクンと音を立てた。
呆然とそれを眺めていると、光は最終的に、人とは思えないようなとても美しい男性に姿を変えた。
……うっわぁ。美人だ。美人すぎる。作り物のように整った顔は女性と見紛うような繊細で儚げな表情だけれど、薄い布を重ねただけのような服の上からでもわかるしなやかな体つきは男性の物だ。
……銀髪だと言うのもあるけれど、なんだか年を取ったフィルみたい。この人は、目も銀色だけれど。
《ナディア、やっと会えたね》
その人は穏やかに微笑んだ。
会ったことはないはずなのに、なぜか懐かしくて胸が熱くなった。
「……もしかして、精霊王ですか?」
《そうだよ、アイリスの魂を持つ子。はじめまして、ナディア》




