精霊殿へ
そして、洗礼式当日。
私はなぜか朝早くから入浴させられ、肌を磨かれ、丁寧に髪型を整えられ、全身ぴかぴかのつやつや状態です。薄くメイクもしてもらっています。洗礼式にここまでする必要があるのだろうか。
お風呂を手伝ってもらうのってすごく恥ずかしいんだけど、メイベルのにこやかな威圧にいつも負けてしまっている。
フィルといいお養母様といい、貴族に関係する人はにこやかに威圧する技術が必要なのかもしれない。私にはできる気がしないけれど。
「お姉様、とってもきれいよ!」
「きれー!」
すっかり私に慣れたアリアナと、相変わらず天使なマリエラが私を褒めてくれる。
「ええ、とても美しいですよ、ナディア」
「ありがとうございます、お養母様、アリアナ、マリエラ」
私は貴族らしく微笑んでお礼を言った。
普段から少しずつ貴族らしさに慣れていこうと頑張っています。
「緊張していない?」
「はい……でも、魔力がなかったら申し訳ございません、お養母様」
それだけが気がかりだ。
魔術学園に通うには魔力が必要だけれど、公爵家の養女が魔力がなくて魔術学園に通えないなんて恥もいいところなのだ。
魔力が基準以上あれば、私は高等部から魔術学園に通うことになっている。中等部は十二歳から四年間なのだけれど、来年度からいきなり最終学年で入っても授業についていけないだろうから、中等部の分は家庭教師に教わって約一年で習得しなければならない。恐るべき詰め込み教育だよね。
「まあ、ナディア。わたくしは全く心配していないわ。きっとあなたにはたくさんの魔力がありますよ。それにもしなかったとしても、あんなに素晴らしい魔法が使えるのですもの。あなたは自慢の娘ですよ」
お養母様の笑顔に心が軽くなる。
「お姉様はわたくしのお姉様なんだから、魔力が多いに決まっているわ!」
アリアナ、それはちょっとプレッシャーかな。
「なでぃたーん!」
マリエラは今日も天使です。
「それでは、お気をつけていってらっしゃいませ」
優しい顔でそう言って馬車の扉を閉めるのは、初老の執事クロードだ。白っぽい口ひげは今日も完璧に整えられている。
「ありがとう、クロード。行って参ります」
お養父様と一緒に公爵家の馬車に乗って、精霊殿まで向かう。因みにお養父様、さっきの場にもいたけれど、一言もしゃべっていないのだ。
もちろん、馬車に二人きりの今も。
「…………」
「…………」
えーと、黙っていた方がいいのかな。何か話した方がいいのかな?
お養父様はお忙しいようで、夕食の時たまにしかお会いできない。今日はわざわざ時間をとってくれたんだろうな。
「お養父様、本日はわたくしのために時間を割いてくださってありがとうございます」
できるだけ微笑んで言ってみたけれど、お養父様はちらりとこちらを見ただけだ。無愛想なのはパン屋の店長で慣れているので怖くはないけれど、考えていることはまだ汲み取れない。
お養母様によると機嫌が悪いとか怒っているとかではないらしいので安心だけれど、早く私もわかるようになりたいな。
「……最近は、どうだ」
「!」
お、お養父様がしゃべった!
初対面の「ランドールだ」以来だよ!
「みなさま、とても良くしてくださるので何不自由なく過ごさせていただいております。わたくし、お養父様の娘になれて本当に幸せ者です」
本当の気持ちを伝えたところ、お養父様は無言で目を逸らした。でも、少し目尻が下がったような、気がしないでもない。
これは、喜んでいる、のかな?
その後は会話はなかったけれど、穏やかな空気のまま馬車は進んで行った。
やがて馬車が止まり、お養父様にエスコートされて馬車を降りる。
目の前には立派な建物。どこか荘厳で神秘的な雰囲気だ。
……おお、これが精霊殿。
実は、精霊殿に来るのは初めてだ。頻繁にお祈りに来たりする人もいるみたいだけれど、私は来たことがなかった。
魔力が欲しい子供や子供に魔力を持たせたい親が洗礼式の前にここに通って必死でお祈りしたりするんだけど、特にそれに左右されると証明されているわけではないみたい。ローナも最近は頑張って通っているらしいけれど。
それでもやっぱり、今日も結構たくさんの人が出入りしているようだ。
《ナディア~》
《やっと来たね!》
《待ってたよ~》
《うん待ってた》
精霊たちが騒ぎだした。一人じゃない時に話しかけてくるなんて珍しい。
待ってたって、どういうこと?
ポン、とお養父様に肩を叩かれて、我に返った。
「申し訳ございません、お養父様。参りましょう」
私はようやく歩を進めて、精霊殿へ足を踏み入れた。
……なんだか、私、見られてる?
精霊殿へ入り、長い廊下を進んでいると、周囲にいる人がみんなチラチラとこちらを見ている気がする。
なに? この服、やっぱり似合わないとか!?
どこからどう見ても身分の高い紳士であるお養父様の隣に並ぶあの庶民的な娘は誰だ、とか思われてる!?
「これはこれは、公爵閣下。お待ちしておりました。本日はご養女の洗礼式と伺っておりますが、そちらが?」
広いホールに出ると、何か偉そうな人が揉み手をしながら出てきた。でっぷりしたお腹を抱える中年の男性は、白地に銀色の繊細な刺繍が施された立派な服を着ている。
……私に向ける探るような視線が、なんだか怖い。私が少し怯えて体を引きそうになったのを、お養父様がそっと背中を支えて止めてくれた。
「そうだ、精霊殿長。私の大事な娘なので、くれぐれもよろしく頼むぞ」
お養父様が威圧するように精霊殿長へそう言ったので、精霊殿長は気圧されたように身を引き、慌てて笑顔を作った。
私は嬉しくて手が震えそうになるのを必死で堪えていた。
……お養父様が、無口なお養父様が、私を大事な娘だって。くれぐれもよろしくだって。
洗礼の間へはこの人が案内してくれるらしい。
……きっとお養父様が公爵だからだよね。平民にまで一人一人精霊殿長が案内するとは思えないもん。
そこへ向かう間も周囲からの異様な視線を感じながら、精霊殿長に続いて歩を進めて行った。




