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侵入者


 ルト、いやええと、フィルが公爵邸を去った後。


「今日は色々あったから疲れたでしょう? 夕食までお部屋で休むといいわ。ごめんなさいね、まだあなたのお部屋が用意できていないから、しばらくは客室に泊まってもらうことになるけれど」


 お養母様が申し訳なさそうに眉を下げる。


「い、いえ、とんでもないです! こちらこそ急に来てしまって、本当にすみません」


 私がぶんぶん首を振ると、お養母様はクスリと笑った。


「これからきちんと用意させますから、それまでは客室で我慢してね」



 そう言って案内された客室だけれど、そこは私が今まで見た中で一番豪華なお部屋だった。

 ザックの家のお部屋よりもすごい。広くて家具の一つ一つが洗練されていて、傷でもつけてしまったらと思うと触るのも緊張してしまいそうだ。


「お嬢様、いかがなさいましたか?」


 お嬢様!?


 私は驚いて部屋に案内してくれた人を振り返った。


 彼女はメイベルといって、私付きのメイドらしい。

 十代後半くらいの年で、薄い茶色の髪を綺麗に纏め、好奇心旺盛な紫の目を光らせている。


 私付きのメイドなんていらないですって言ったのだけれど、貴族令嬢には絶対に必要なものらしい。


「お、お嬢様?」

「? はい、お嬢様」


 聞き返してみたけれど、聞き間違いではなかったらしい。

 でもそうか、今日から私は一応公爵令嬢になるのか。うわあ、慣れない……。


「あの、名前で呼んでもらえませんか? お嬢様って、少し慣れなくて」

「まあ! ではわたくしはナディア様とお呼びいたしますね。あと、わたくしに敬語は不要でございます。わたくしはナディア様にお仕えする立場なのですから! この屋敷ではお嬢様と呼ばれることが多いと思いますから、呼び方は徐々にでも慣れていかれるかと思いますよ」


 メイベルは嬉しそうに言った。

 何がそんなに嬉しいんだろう?


 私が首を傾げると、メイベルは楽しそうに話し出した。


「ナディア様、わたくし、先ほどは感激致しました! 精霊があんなに可愛らしかっただなんて、感動です!」


 あ、そっか、私が《みんな》って言ったから、部屋にいたメイドさんたちにも見えたんだよね。


「初代女王は素晴らしい方だったと、わたくしは両親から教わって育ちました。その生まれ変わりであるナディア様にお仕えできるだなんて、それだけでも嬉しいと思っていたのにナディア様はあんな素晴らしい魔法をメイドにまで全員に使ってくださるんですもの。わたくし、精一杯ナディア様のお役に立てるよう尽力致しますので、何なりとおっしゃってくださいね!」


 メイベルの目がとてもキラキラしている。私は精霊にお願いしただけだから大したことはしていないのだけれど、喜んでくれているなら良かった。

 私付きになってくれたメイドさんがいい人そうでよかったな。


「ありがとう、メイベル」


 私がそう言うと、メイベルはにっこりと笑った。


 部屋に入ってみると、絨毯がふかふかで、裸足で歩いても気持ちよさそうだ。

 キョロキョロとお部屋に見回していると、メイベルが「ナディア様」と私を呼んだ。


「お腹はすいておりませんか? お茶をご用意致しますけれど、よろしければ何かご一緒に召し上がりますか?」


 お茶はさっき飲んだところだし別にいらないかなと思ったけれど、そう言われれば、少しお腹が減ってきたかもしれない。



「は……うん、食べたい」

「では、夕食前ですので軽めの物をご用意しますね! フルーツを多めに使った小ぶりのケーキなどいかがでしょう?」

「!!」


 ふ、フルーツを多めに使ったケーキ!?


 私の目が輝いたのがわかったのか、メイベルはくすくすと笑って「お好きのようですね」と言った。


 はい、とっても好きです!


「では、ご用意して参りますので、ごゆっくりなさっていてくださいませ」


 そう言ってメイベルは部屋を出て行った。

 うわあ、おやつにケーキが食べられるなんて、貴族になってよかったかもしれない。


 私は思わず頬を緩ませた。


「ケーキが好きなのか?」

「!!」


 真横から急に聞き覚えのある声が聞こえて、危うく大声を出すところだった。とっさに口を押さえて事なきを得たけれど。


「め、メノウ! どこから……っ」

「いつでもナディアのそばに来られると言ったではないか。ちゃんと現れるタイミングは見計らったぞ」


 そういう問題じゃない! いきなりそばに現れたらびっくりするでしょ!


 じろり、とメノウを睨むと、なぜかメノウは「ははっ」と笑った。


「それにしても、もう貴族になったのか。孤児院にいられる期間はもう少し残っていたのだろう?」

「……アイリスの生まれ変わりがいるらしいって貴族の間で噂になって、私も周囲も危険だから早めにすることにしたの」


 私が暗い声で言うと、メノウの目が氷点下になった。


「お前を狙うような愚物が存在するのか。私が灰にしてやろう」


 ものすごく低い声で言われて、メノウが本気で言っているのだと感じた。私を探していた貴族はたくさんいたらしいので、実行されたら大惨事である。


「め、メノウ、大丈夫だから、危ないことはしないで。私が公爵家の養女になったから、もう手出しはできないから」

「しかし目障りであろう? 容易く手出しできないとは言え、狙っていることに変わりはない」


 どうしよう、メノウの目の温度が戻らない。


「メノウ、目障りだからって、すぐ誰かを殺すなんて言っちゃダメ。関わりを避けたり、他に方法があるはずでしょう?」

「わざわざ他の方法を探さずとも消してしまえば早いではないか。己が欲にかられてナディアを狙ったのだから相応の報いは必要だ」


 本気でそう思っている様子のメノウに、ああ、そういえばこの人は『死神』と呼ばれる危険な人物だったんだと思い出した。


 私と話している時はいつも幼い子供みたいだから、忘れていた。


「……メノウ、簡単に人を殺しちゃダメ。私が嫌なの」

「…………」


 メノウは不満そうに目を逸らした。

 これは聞く気がないな。私が嫌なことはしないって言ったくせに。

 ……仕方がない。


「そんなことをしたら、もう口を利かないからね」

「!!!」


 ぐるんと首を回してメノウが目を見開いてこちらを見た。


 こんな子供みたいな説得の仕方はしたくないけれど、命の大切さとか、なぜ殺してはいけないのかとか、メノウに上手く説明できる気がしないんだもん。

 何せ相手は四百年以上死神をしてきているのだから。


「………………わ、かった」


 ものすごく嫌そうな顔でメノウが言った。ぎりぎりと音が聞こえてきそうなほどきつく握っている拳を見ると、ものすごく我慢しているらしい。


 まあ、約束してくれたから、とりあえずそれでいいよね。


「…………」

「?」


 むすっとした表情でなぜかメノウが両手を広げた。


 え、なに?


「私に我慢をさせるのだから、対価をくれ。抱きしめさせろ」


 意味がわからないよ!?


「なんでそうなるの?」

「私が一つナディアの言うことを聞くのだから、ナディアも私の言うことを一つ聞くべきだと思わないか?」


 ……そうなのかな?


 うーん、と首を傾げて考えていると、メノウが声を落として悲しげに言った。


「……嫌なのか?」


 もう、だからそれ、ずるいってば!


 別に抱きしめるなんてさんざんされたので今さらだし、嫌なわけではない。どうしてそうなるのかわからなかっただけで。


「わかったよ、はい」


 仕方がないので、メノウの近くに寄って行き、軽く手を広げる。


 メノウはまた急に機嫌を持ち直して私の頭を抱きしめた。私の手はメノウの腰辺りだ。身長差があるからこうなるんだよね。


「自分でやっておいて何だが、私はナディアが少々心配になったぞ。私だから良いものの」

「?」


 ……なんで私心配されてるんだろう?


「ナディア、また髪を伸ばしたのだな」


 さらさらとメノウが私の髪に触れる。


「うん、貴族の令嬢は長いのが普通だから、また精霊たちにお願いしたの」

「綺麗な髪だ」


 そう言ってメノウは私を抱きしめながら楽しそうに髪をいじり始めた。


 えぇー、そうかな? 癖っ毛だよ?



「ナディア様、お茶のご用意ができました」


 コンコン、とノックの音がして、私はびくっと体をすくませた。べりっとメノウを引き剥がす。メノウがここにいるのはまずい気がする。


「め、メノウ、今日はもう帰って!」

「……また来る」


 メノウは眉を寄せて不満そうな顔をしながらも、闇に溶けるように去っていった。


 ……メノウとこうしてお話するようなお友達になったことって、やっぱりまずいのかな? 根は悪い人じゃないと言っても、色々やらかしてきた人であることは確かだもんね。


 どうするべきなのか少し悩んだけれど、メイベルが持ってきてくれたケーキを見た瞬間にすぐさまその悩みは頭の隅へと追いやられた。そして、食べ終わる頃には何を悩んでいたのかすらすっかり忘れてしまっていたのだった。

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