第二王子、フィルハイド
バリン!
下の方で何かが壊れたような音がして、何だろうとナディアはメノウの背中から手を離した。
けれどメノウは少し体を離しただけで、まだナディアを囲いこんでいる腕を下ろそうとはしない。
「ナディア!!」
聞き慣れた声がした方を向くと、円盤に乗ったルトが屋根の近くまで飛んできていて、私たちの姿を視界に収めると目を見開いて固まった。
わあ!
ルトもその円盤持ってたんだ! いいなあ!
私は魔術師しか使えないという円盤に乗っているルトを見て目を輝かせた。
「あの結界を壊したか。少し時間がかかったとはいえ、なかなかやる」
フン、とメノウがルトを見据えて忌々しそうに言った。
「その手を離せ、死神」
ルトが地を這うような低い声を出してメノウに凄んだ。びっくりするくらい怖い顔をしている。
「なぜお前にそのような命令をされなければならんのだ」
メノウは苛ついたような声で言うと、私を再びきつく抱きしめた。ぐえっとカエルのような声が私の喉から出た。やめてほしい。
《精霊たちよ》
ルトが何やら精霊語のようなものを呟きだした。
メノウはそれを見てハッと可笑しそうに笑い、手をルトに向けた。
二人が何をしようとしているのかわからないけれど、私の普段あまり機能しない危機察知能力が全力で警鐘を鳴らしていた。
「ちょ、ちょっと待って! 二人とも、止め止め止めー!!」
私が全力で叫ぶと、二人はピタリと動きを止めて私を見た。
ルトは何だか体が光ってるような気がするんだけど、何それ!?
「ルト、私なら大丈夫だから、安心して!」
今にも危険な魔術を放ちそうなルトに、急いで声をかける。
ルトは納得できないような顔をしながらメノウを見て、少し視線を下げた。
ルトが私を抱きしめるメノウの腕を見ているということに気づいて、慌ててメノウをぐいっと押した。
「は、な、し、て!」
なかなか離してくれないメノウに文句を言うと、メノウは渋々私を解放した。
「ナディア、本当に私と共に来ないのか? どうしても?」
しゅん、と悲しそうな様子で言われたけれど、答えは変わらない。私はみんなと離れたくないのだ。
「ごめんね。一緒に住むとかは無理だけど、会いに来てくれたらまたお話くらいできると思うから」
そう言ってぽんと頭を撫でてあげた。
萎れているメノウは子供のようで、こんなに大きいのにどうしても孤児院の下の子たちのように扱ってしまう。
それを見てルトが驚愕に目を見開いたのは、私には見えなかった。
「ナディア、私が会いに来てもいいのだな? 私が会いに来ることを、了承するのだな?」
メノウが私の首に触れながら念を押すように尋ねてきた。
そんな風に聞いてくる意味がわからなくて少し首を傾げてみたけれど、会って話をするくらい、なんでもない。
「待っ……!」
「うん、いいよ」
答える直前、ルトの焦ったような声が聞こえたけれど、私はそう返事をした。
すると、パリッと首に触れるメノウの手が静電気を帯びたように痺れた。
少し驚いてメノウを見ると、メノウは満足そうにニヤリと笑って、首から手を離した。
「また会いに来る」
そう言って、メノウは闇色の空間に溶け始めた。
「待て! 死神!」
ルトが焦ったようにこちらへ向かってきたけれど、メノウはあっさりと闇に消えてしまった。
私はぽかんとメノウが消えた空間を見つめた。
ま、魔術ってすごいなあ。
悔しそうにメノウが消えた場所を睨んでいたルトが、パッと私に視線を向けた。
ふわりと屋根に降りると、ルトが乗っていた円盤はシュンと音をたてて消えた。
わあ、すごい。どこ行ったんだろう?
「ナディア、大丈夫? あいつに何をされたの?」
ルトが私に駆け寄り、心配そうに私の首に触れた。
さっき少し静電気がパリッとしただけで、今は特に何も異常はない。
「大丈夫だよ、何もされてない。えっと、ちょっとお話してただけ。あ、そうだ、ザックは? アンジェリカはどうなったの?」
私が聞くと、ルトはまだ心配そうにしながらも答えてくれた。
「ザックには下を任せてきた。アンジェリカは捕らえてある。アデライドを呪った張本人だからね。厳罰は免れない」
ルトはそのことについて何も感じていないように語った。
……アデライド、かあ。
アンジェリカは、私より少し年上くらいの若い貴族令嬢だ。厳罰って、どうなっちゃうんだろう。呪いをかけたことは確かだから、仕方ないのかもしれないけれど。
なんとも言えない気持ちになっていると、ルトが真剣な目をしてこちらを見た。
「……あいつと、何を話したの?」
メノウとのことを聞かれて、言葉に詰まった。
「……え、と」
なぜなら、話していた内容は、あんまり言いたいものではない。
私がフェリアエーデンを建国した初代女王の生まれ変わりであるとか、確信も証拠もないのに自分からはとても言えない。
私が黙ったまま目を逸らすと、気まずい沈黙が場を満たした。
「……あいつに、共に来ないかと言われていたね」
暗い声が聞こえてルトを見ると、ルトはしっかりとこちらを見つめていた。
「少し話しただけで、そんなに仲良くなったの? 部屋にいた時の様子だと、初めて会ったはずだよね?」
そりゃあ不思議だよね。
普通初めて会って少し話しただけで、あんなこと言わないもん。
私はまた視線を逸らした。
痛いところを突かれて、冷や汗が出てきた。
さっきのこと、話すべき?
黙っていると、ルトはさらに続けた。
「ナディア、あいつに精霊のこと、話したでしょう」
バッと顔を上げてルトを見た。
なんでわかったの!?
驚いてぱくぱくと口を動かすと、フッとルトは苦笑した。
「ナディアは本当にわかりやすいね」
……うう、反論できない。
さっきもメノウに同じような反応をしてバレてしまったのを覚えている。
「あいつはこう言ったんじゃない? ……君は初代女王の生まれ変わりだ、って」
私は今度こそ愕然とした。
そんなこと、どうして言い当てられるの?
「な、なんで……」
私があわあわと動揺を隠せないでいると、ルトは仕方なさそうに微笑んだ。
「俺もそう思ったからだよ。初めてナディアにその話を聞いた時」
ルトは思い出すように目を閉じた。
「……ナディア。君はもう、俺が何者か、わかってるんだよね?」
そう問いかけてくるルトの銀髪がさらりと揺れた。
そうだ。ルトは、本当はルトなんて名前じゃなかったんだね。
「……フィルハイド、第二王子?」
そう答えると、ルトは正解、と言うように微笑んだ。
「隠しててごめんね。王子として動くには、色々と制約があるからさ」
そう言うルトの佇まいを改めて見ると、どうして気づかなかったのか、と自分を責めたくなるくらい、どこから見ても王子様だ、と感じる。
「初めて一緒に踊った時、君に綺麗な銀髪だと言われて驚いた。ルトとして動く時は茶髪に見える幻術をかけていたからね。魔術が解けていたのかと焦ってザックに確認したら、解けてないって言うし。それだけでなく、王族に連なる者しか持たない銀髪を見ても、俺のことを王子だと気づかなかったことにも驚いたな」
くく、とルトは笑った。
し、仕方ないじゃない。王族に関わることなんてないと思ってたから、覚えてなかったんだもん!
珍しいけれどどこかで見たような気がしていた銀髪は、王族限定だったらしい。
「王家には、初代女王の特別な力のことが言い伝えられていたんだ。精霊が見えて会話ができたとか、簡単な短い言葉で色々なことができたとかね。……それは他の人に使える魔術ではなく、魔法と呼ばれていたそうだよ。初めは国全体に伝わっていたらしいんだけど、他に誰もそんな力を持った人は現れなかったからか、その話を信じる人が減っていき、平民では語る人はほぼいなくなったらしい」
魔法?
私が精霊にお願いしてできる色々なことは、貴族たちが使う魔術とは違うものってこと?
平民の中では語られていないから、私もそんな話を聞いたことがなかったのか。
「でも俺は、その話を信じてた。だから、ナディアの力のことを知って、きっとこの子は、初代女王、アイリスの生まれ変わりだって思ったんだ」
輪廻転生、というのは、フェリアエーデンでは割りと親しまれている言葉だ。悪いことすると来世は牛や豚になって喰われるぞ、と親に叱られたり、来世ではこんな風に生まれたいね、と友達と話したりするのだ。
それは初代女王が、輪廻転生はあると思うのだと語ったことがあるかららしい。
アイリスは、いつか自分が転生することを知っていたのだろうか。それともただの願いだったのだろうか。私にはわからないけれど。
アイリスの力を信じていたルトが、これまで他に二つとなかったアイリスと同じ力を持つ私に出会って、生まれ変わりだと思うのは当然だったのかもしれない。
「闇の大魔術師は、悪魔の生まれ変わりだとか、悪魔そのものだとか言われている。もう何百年もその存在は語り継がれているのに、誰も彼の本当の容姿を知らない。でも王家には、初代女王の死に立ち合った人物だと伝えられている」
えっ。
死に立ち合った?
あんなに大切そうに語っていたアイリスが、メノウの目の前で死んだってこと?
その時のメノウの心境を思って、心が痛くなった。
そんな私の様子を、ルトが少し切なそうに見た。
「秘密の恋人だったとか、大切な友人だったとか不確かな話しか伝わっていないけれど、さっきのあいつの様子を見るに前者かな? 少なくとも、あいつはアイリスにだいぶ執着していたみたいだ。そして、君にも」
少し鋭い視線を向けられて、ドキリとした。
確かにメノウはアイリスにものすごく執着していたみたいだった。
でも私は、単にアイリスの代わりみたいなものだと思う。アイリス本人ではないんだし、本当にアイリスの生まれ変わりかどうかの確証もない。
私としては前世が女王だったなんてとても信じられないのだ。今は孤児院で暮らしているというのに。
「でも、確かに一緒に来てとは言われたけど、断ったよ。孤児院のみんなと離れたくないし、今の生活に満足してるもん」
そう言うと、ルトは少し困ったように微笑んだ。
「……冷えてきたね。そろそろ下りようか」
そう言って、ルトは自分のマントを外して私にかけてくれた。