対面
「くっ……」
バッと黒い石を拾い上げ、コンスタンス侯爵令嬢は会場から走り去った。
「待っ……」
「待って」
追いかけようとしたけれど、片膝をついたルトにぐいっと手を引っ張られた。
ルトはさっきより息が整ってきたみたいだけれど、まだ体に力が入らないようだ。
会場にいる招待客たちも、立ち上がることはできないらしい。
《みんなを、元気な状態にして》
ナディアは精霊に願ってみたけれど、精霊たちはふるふると首を振って、悲しげな顔をした。
「これは、魔力の欠乏状態だ。精霊は魔力を人からもらうだけで、与えることはできない。自力で回復させるしかない」
そう言いながら、どこからかルトが小さな瓶を取り出して何かを飲んだ。
「大丈夫。少し待てば回復する」
ルトはそう言って目を閉じ、息を吐いた。
そうだろうと思ってはいたけれど、やっぱりルトは魔力を持っていたようだ。最後まで倒れなかったってことは、たぶんたくさん。
みんな、魔力を奪われたから苦しんでたってこと?
洗礼式を受ければ、魔力が解放される。魔術を使える基準に足りなくても、誰でも少しは持っているものらしい。
倒れた人たちは、たぶん魔力が少なかったんだ。
「これが平気だなんて……ナディアはどれだけ魔力を持っているの?」
ルトが苦笑した。
「わ、私魔力なんて……たぶん、洗礼式を受けてないから、魔力がとれなかったんだと思う」
私、魔力解放してなくてよかった、と思っていると、ルトは驚愕したように私を見た。
「洗礼式を……受けてない?」
そして、何かを考えるように黙り込んだと思うと、ふと何かに気づいたように、おもむろに手を耳に当てた。
『あっ! やっと出やがった! おいルトッ! てめー俺が何回連絡したと思ってんだよ!』
どこからかザックの少し籠ったような声が聞こえてきた。
え!? どこ!?
顔をしかめたルトは、ピアスに手を当てているようだ。
「うるさいな、あんまり大声を出すなよ。こっちも手が放せなかったんだ」
えー!?
ザックとお揃いのピアスをしてると思ってたけど、もしかしてそれって、通信の魔術具!?
存在は知ってたけど、確か家が建つほど高額だって……ああ、ザックだもんね。持ってても不思議じゃないか。
そういえば、ザックの存在を完全に忘れていた。ごめんザック。
「ザックは今、どこにいるの?」
ルトのそばに寄って、声をかける。
ルトはピアスに触れて、何かをしたようだ。
「今どこ?」
『三階の右側突き当たりの部屋の前だ。作戦通り外を探ってたら、ホールで騒ぎがあったから向かった。そしたら怪しい女が飛び出してきたから追いかけてたんだ。そいつは今この部屋の中にいる』
「ナイスだ、ザック」
ルトがニヤリと笑った。
ルトはさっき飲んだ何かのおかげかすぐ回復したけれど、まだほとんどの人はホールで動けずにいる。
申し訳ないけれど、待っててもらうしかない。この屋敷で誰が信用できるか私たちにはわからないので、助けを求める相手がいないのだ。
「ルト、仮面取っちゃダメかな?」
こんな時だけど、いい加減これ外したい。
見えにくいし、小猿だし。
もうホールを出たし、人目もなくなったから大丈夫じゃないかな?
「さっきあれだけ魔術使って注目浴びて、正体がバレる危険を犯したいならどうぞ」
にっこりと冷たい笑顔でそう言われ、私は小猿の仮面をつけたまま犯人と対面することが決まったのだった。
ザックには移動しながら通信具で状況を説明した。大勢の人が魔力を奪われたこと。その力をはねのけたら、コンスタンス侯爵令嬢と同じ髪色と背格好の女性が逃げて行ったこと。
『ちょっと待てよ。コンスタンス侯爵令嬢って金髪じゃなかったか?』
「そうだよ?」
『いや、俺が追っかけてたのは暗めの茶髪の女だったような……』
え?
「それについては後だ。もう着く」
ルトはあっさりと通信を切った。
「来たか!」
部屋の前では、ザックが待ちかねていた。
「じゃ、開けるぞ」
ザックがドアノブに手を掛けようとすると、バチッと何かに弾かれた。
「げ、結界張ってやがる」
ザックが忌々しそうに顔をしかめて、弾かれた手をプラプラと振った。
結界!? そんな魔術があるんだ……。
「俺が解けないこともないけど、今はあまり魔力を使いたくないんだよね。……ナディア、やってみてくれない?」
ルトが何か含みを持たせたように私に言った。
「え、私?」
で、できるかなぁ。
チラリとそばにいる精霊を見る。
《結界を解いて》
すると精霊は、ふるふると首を振った。
《ナディア、入れる》
え!?
私はぽかんとその精霊を見た。
「なに? 解けたの?」
ザックは早く入りたくてうずうずしているようだ。
「う、ううん、でも、私なら入れるって」
「え!?」
なんじゃそりゃ、という顔でザックが目を見開く。
そうだよね。なんでだよって私も思うよ。
「ナディアは、何らかの理由で魔術の影響を受けないんだと思う。そうだとしたら、色々なことに説明がつく」
ルトは納得したように頷いた。
色々なこと?
「でも、ナディアだけ入れても困るだろーが」
そ、そうだよね。一人で対決できる気がしないよ。
《ルトたちも入れるようにできる?》
《ナディアが通ったら、結界壊れる》
よしっ!
「私の後からなら、二人も入れるみたい!」
「よっしゃ! じゃあ頼む!」
「お願い」
私は意を決して、ドアノブを掴んだ。
すると、パキンと何かを砕いたような感覚がした。
もしかして、今のが結界?
ドアを開けると、コンスタンス侯爵令嬢、アンジェリカが、黒い石を握りしめてバッとこちらを振り返った。
「な……何なのですかあなたたちは! どうしてここへっ……」
アンジェリカは驚愕の表情でこちらを見つめ、震え出した。
大切そうに、黒い石を胸に抱き込んでいる。
加工前の宝石みたいに見える黒い石は、鈍く光を放っていた。
《あれすごく嫌な感じがする~》
《もやっとするよー》
《黒いの、やだー》
精霊たちがまた可愛く顔をしかめている。
「あの黒い石から、すごく嫌な感じがするみたい」
「……なるほど」
ニヤリとルトが笑った。
「なんなのですか!? これはわたくしの大切なものなのです! ふざけた仮面をつけて、ふざけたことを言わないで!」
がーーーん!!
違うもん! 好きでつけてるんじゃないもん!
ルトが、私を庇うように前に出た。
「その石を渡してもらおうか」
ん?
私は、ルトの口調に少し違和感を覚えた。
こんな命令口調で話したりもするんだね。
「イヤです! どうして渡さなければなりませんの!? これは、わたくしの愛する方から頂いた、大切なものなのよ!」
「その通りだよ、諸君」
ぶわりとマントを靡かせて、バルコニーから一人の男が姿を現した。